【9】
アリーナが二人を連れて行ったのは、緑のトンネルを抜けた大きな池だった。先ほど、ヒルトラウトがギルベルト共に訪れた場所でもある。池の近くで立ち止まったアリーナはおかしそうにくすくす笑った。
「のこのこついてくるなんて、あなたたちも馬鹿ねぇ」
本気で馬鹿にしきった調子での言葉に、ヒルトラウトは顔をしかめて言いかえそうとした。実際、そのまま口を開いていれば、アリーナたちを論破していただろう。と言うのは、ヒルトラウトではなくコルネリアの言である。
実際にはそうならなかった。コルネリアが池に向かって突き飛ばされたからだ。
「きゃあ!?」
さしものコルネリアも悲鳴をあげた。ヒルトラウトは自分の反射神経に感心したが、とっさに彼女の腕をつかんだ。しかし、勢いは殺し切れず、やむを得ずヒルトラウトは重心を入れ替えてコルネリアを土の上に放り出すと自分が水の中に落ちた。あまり池が深くなかったのは幸いだろう。
「ヒルト! 大丈夫!?」
心配のあまりツンデレを忘れている必死なコルネリアの声の後ろで品のない笑い声が響いている。
「自分から落ちるなんて!」
「妹に婚約者を取られるような女にはお似合いよ。よく我が家のパーティーに足を踏み入れられたものね。私なら遠慮するわよ」
高飛車なアリーナに、ヒルトラウトはさすがに怒って立ち上がった。尤も、髪まで濡れており、腰元まで水位があったが。
「言いたいことは、それだけですか?」
「何よ。格好悪い、恥の塊のようなあなたが私に何か言うことがあるの?」
聞いてあげるわ、と言う態度に腹が立ったが、表面上はヒルトラウトは穏やかだった。
「では、言わせていただきますけど」
「アリーナ!」
前置きを言っただけでセリフが遮られてしまった。緑のトンネルを潜り抜けてやってきたのはダンメンハイン公爵だった。彼はヒルトラウトが池の中にいるのを見て眉をひそめる。
「何をしているんだ」
「まあ、おじい様。彼女ったら、水浴びがしたかったようで自分から池に入ってしまいましたの」
しれっと嘘をつくアリーナである。いや、自分から入ったのはある意味本当だけど。コルネリアが涙目でアリーナを睨んでいる。自分は結構好かれているのだな、とこんな時なのにヒルトラウトは感心した。
「恐れながら公爵様! アリーナ様のご友人が私を突き飛ばして、彼女は私をかばっただけですわ!」
さすがは気の強いコルネリア。反論した。ヒルトラウトは何と答えるべきか迷った。スカートが重くて、水の中を歩きづらい。靴も落ちた時の衝撃で脱げてしまったようだ。
ここでコルネリアの言うことが本当だ、と言うのは簡単だ。しかし、それをダンメンハイン公爵が受け入れるだろうか。人数的には、アリーナ側の方が圧倒的多数なのだ。
しかし、かといってアリーナの言うことを事実とすれば、ダンメンハイン公爵を侮辱したことになる。政治の上で公平な人物、と言われている彼を侮辱したとなれば、それこそ貴族社会で生きていけない。
たたっとコルネリアに駆け寄り抱き着く影があった。ギーゼラだ。と言うことは。
「ヒルト、大丈夫か!?」
「あら、お兄様」
必死なルートヴィヒを見ると何故か落ち着くヒルトラウトであった。ルートヴィヒは「なんでお前そんなに落ち着いてんの!?」とツッコミを入れてくる。
「あちゃー。大変なことになってんな」
さらに現れたのはシュヴェンクフェルト公爵エーベルハルトだった。そして、その友人だと言うギルベルト。
ヒルトラウトはここにきてやっと自分の恰好が、水にぬれてドレスが肌に張り付き、かなりはしたない恰好であることに気付いた。とりあえず、ヒルトラウトは兄に助けを求めた。
「お兄様、ヘルプ」
「……」
この状況で妙に落ち着いているヒルトラウトに、ルートヴィヒは言葉もないようだが、上着を脱いだので助けてくれるようだ。自分で上がれよ、と思うかもしれないが、ドレスが絡み付いて本当に動けないのだ。
おとなしく兄の助けを待っていたヒルトラウトだが、その前に動いた人がいた。ギルベルトだ。文官でもやしなルートヴィヒよりは信頼できる助けであるが。
「あ、いや、アイスナー辺境伯!?」
ツッコミを入れたのはルートヴィヒだ。ツッコミに忙しい兄である。どんな異常事態でも、兄を見ていると落ち着くヒルトラウトであった。
さすがにヒルトラウトもあっさりと水の中に足を踏み入れ近くまで来たギルベルトに驚いた。
「すごい度胸ですね」
「君ほどではないと思うな」
年上の男性にとても失礼なことを言ったが、ギルベルトは怒らずにヒルトラウトを抱き上げた。手を引いてもらうつもりだったヒルトラウトは驚く。
「わっ。重くないですか!?」
「いや、覚悟したほどではない」
結構失礼なことを言われたが、ドレス全体が水を吸っているので自分の実の体重の一.五倍は重さがあると思うのだ。
「知ってますが、水って重たいんですよ」
「私も大概だが、君も大概失礼だな」
ギルベルトに指摘されて、自覚のあるヒルトラウトは自分を抱き上げる男を上目づかいで見る。
「……怒りましたか?」
「怒ってはいないが、危ないから首に腕をまわしてくれないか」
おとなしくギルベルトの首に腕をまわした。密着すると、ギルベルトまで濡れてしまうのだが、池に足を踏み入れているから今更か。
二人が陸地に上がったころには、ダンメンハイン公爵は自分の孫娘がしたことをつまびらかにしていた。アリーナはしゅんとしているし、コルネリアは「さもありなん!」と腕を組んでいる。ヒルトラウトたちが訳の分からない喜劇を演じている間にも、ダンメンハイン公爵は冷静に事態を処理しようとしていた。
「大丈夫か、ヒルト」
自分のジャケットをヒルトラウトの肩にかけながら、ルートヴィヒは心配そうに尋ねた。そう言えば答えていなかった、とヒルトラウトはうなずく。
「大丈夫。ギルベルト様、ありがとうございました」
「いや。目を放した私が悪かった」
そう言えば、本日の同行人は兄ではなくギルベルトなのであった。今更思い出したヒルトラウトであるが、芝生の上に座りこんだ彼女は、スカートの裾をつかんで水を絞っていた。
「お前……もう少し慎みを覚えろよ。っていうか、靴はどうした」
「あ、水の中で落とした」
呆れた調子のルートヴィヒだが、最終的に妹の心配をしている。いい兄だし、ヒルトラウトはこの頼りないが頼りになる兄が好きだ。
「フロイライン・ヒルトラウト。うちの孫娘が申し訳ないことをした」
「ダンメンハイン公爵」
ヒルトラウトはダンメンハイン公爵が話しかけてきたので立ち上がろうとしたが、公爵に手で押しとどめられた。失礼にあたるが、ヒルトラウトは座ったまま答える。
「ある意味、私はアリーナ様の言うとおり好きで落ちたのですから、お気になさらず」
「いや、そもそもアリーナがフロイライン・コルネリアを突き飛ばそうなどと考えたからだ。それに、君を悪く言っただろう。すまない。あれは、どうもアイスナー辺境伯に好意を持っているようでな」
離れたところから「おじい様!」と言う声が聞こえてきたが、アリーナのものだろう。ヒルトラウトは「そうですか」と答えるしかない。皇族に連なるダンメンハイン公爵家の令嬢と選帝侯アイスナー辺境伯。いいのではないだろうか。何故か、胸がつきりと痛むけど。
「うちのものに着替えを用意させよう。大きさが合うといいんだが……」
一瞬断ろうかと思ったヒルトラウトであるが、さすがにこのまま出て行くことはできない。というか、彼女が口を開く前にギルベルトが「ありがとうございます」と答えていた。
「……ギルベルト様って図太いですよね」
「君ほどではないと思うが」
「いや、どっちもどっちだ」
今回はダンメンハイン公爵から冷静につっこまれた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お兄様が書きやすいのは性格が安定しているからでしょうか。




