【8】
ダンメンハイン公爵邸に到着し、先に馬車を降りたギルベルトがヒルトラウトに手を差し出した。
「ありがとうございます」
「足元に気をつけろ」
ギルベルトはヒルトラウトの手を取って支えながら馬車から降ろしてくれた。ダンメンハイン公爵家の使用人に野外会場に案内された。今日は天気はいいが爽やかで暑すぎない気候で、ガーデンパーティーにはもってこいだ。
会場は木々が生い茂る美しい庭で、日よけのパラソルなども用意されていた。それ以外は、だいたい通常の夜会と同じだ。
「ヒルト、先に挨拶を済ませてしまおう。一緒に来てくれ」
「え? ああ、はい」
ギルベルトの腕に自分の手を絡め直し、ヒルトラウトはギルベルト共にダンメンハイン公爵の元へ向かった。彼の歩みが比較的ゆっくりなのは、芝生に足が取られているのと、ヒルトラウトに合わせてくれているからだろう。
「ダンメンハイン公爵。お招き下さり、ありがとうございます」
「いや、参加していただき、こちらこそありがとう、アイスナー辺境伯。そちらの女性は、お会いしたことがあるな」
「ヴァイデンライヒ侯爵家のヒルトラウトです」
「お会いできて光栄です、ダンメンハイン公爵」
ギルベルトに紹介され、ヒルトラウトはニコリと微笑む。ダンメンハイン公爵も笑みを浮かべた。
「なるほど。しっかりした子だな。一人、紹介したい。孫娘のアリーナだ。今年社交界デビューでな」
と言うことは十五歳か。どこかまだ幼い印象を与える顔立ちのアリーナはギルベルトだけを見つめて言った。
「よろしくお願いいたしますわ」
おとなしげにそう言ったアリーナ嬢であるが、ヒルトラウトの方を全く見ようとしなかったので、彼女にいい印象を与えるはずがなかった。まあ、ヒルトラウトには関係のない話だが。
一番重要な仕事を終えたので、あとは自由行動でもよさそうだが、何となくヒルトラウトとギルベルトは一緒にいた。せっかくなので、庭の花を見て回っているのである。
「そう言えば、髪飾りがアガパンサスだな」
ギルベルトが手を伸ばしてヒルトラウトの髪飾りに触れた。髪型を崩さないように、そっと。自分の髪に飾ってあるものと同じ花を見ていたヒルトラウトは、「ああ」とうなずいた。
「以前、アイ……ギルベルト様にいただいた花なので、いいだろうと侍女たちが。というか、花の名前、ご存じだったのですね……」
「私だって、人に贈る花の名前くらい確認する」
縁起の悪い花だとまずいからだ。だとしたら、花言葉も知っているのだろうか? ヒルトラウトは一瞬考えたが、すぐに知らないのだろうな、と結論付けた。たぶん、花の名前は店員にでも聞いたのではないだろうか。
「……何故、アガパンサスにしたのですか?」
「見ていたら何となく、君の顔が浮かんできたんだ。嫌いだったか?」
「いえ……」
ただ、アガパンサスだけの花束を贈る人も珍しいと思っただけだ。別にいいけど。きれいだし。
緑のトンネルをくぐると大きな池に出た。後から聞いたところによると、もともと小さな泉があったところに屋敷を立てたのだそうだ。
来た道を戻ると、出し物が始まっていた。仲良く並んで見学しているギーゼラとルートヴィヒを発見し、ヒルトラウトはひそかに微笑む。
「ヒルト」
「あ、お父様、お母様」
呼ばれて振り返ると、両親だった。二人はルートヴィヒとギーゼラのカップルの方には手を出さない様子だが、ヒルトラウトたちの方には手を出すらしい。
「大切なお嬢さんをお借りして申し訳ありません、ヴァイデンライヒ侯爵、侯爵夫人」
ギルベルトが礼儀として述べると、母は「いいんですのよ」とよそ行きの顔で微笑む。
「これくらいしないと、この子ったら外に出たがらないんですもの」
「……耳が痛いですね」
引きこもり辺境伯と揶揄されることもあるギルベルトだ。どうやら、自分自身にも身に覚えがあるらしい。
「辺境伯、娘が何かご迷惑でもおかけしていないか? ちょっと変わっているが、礼儀作法はちゃんとしていると思うのだが」
「ああ、はい。私よりしっかりしているほどで、むしろ助かっています」
さすがにそんなわけはないだろう。十代後半と二十代後半の差は大きいのだ。
しかし、父は何故か「ああ」と納得したような声をあげた。
「この子は昔からしっかりしていて……しっかりし過ぎていて不安になるくらいなのだが」
「なんでよ」
さすがにいぶかしんでヒルトラウトが尋ねたが、父は苦笑しただけで答えなかった。
「もうしばらく、娘を頼みます」
「ええ。帰りも送り届けますので、ご心配なく」
どうやら送ってもくれるようだ。まあ、普通は一緒に来た人と一緒に帰るか。
それぞれの知り合いに挨拶に行くため、いったん別れたヒルトラウトとギルベルトである。ヒルトラウトはコルネリアを見つけていた。
「あら、ヒルト。アイスナー辺境伯と一緒じゃないの?」
「さっき別れたの。私が一緒じゃ話せないことだってあるでしょうし」
正直、仕事の話とかされてもわからないし。コルネリアは「まあ、そうね」とあっさり納得した。
「私も同じような理由で別れたところ。ギーゼラは……まだラブラブしてるわね」
コルネリアがため息をついて言った。あそこまで兄とギーゼラが仲良くなるとは、正直意外であった。
「コルネリア。シャーベットでももらいに行かない?」
「いいわね。何の味にしようかしら」
コルネリアが言い切る前に、「ヒルトラウトさん」と声がかかった。振り向くとアリーナだった。先ほどは無視したのに何の用だろう。
返事をしないでいると、アリーナはむっとしたように言った。
「返事くらいなさったらどうなの?」
「……と、言われましても、私は挨拶をされていませんもの」
基本、社交界では上のものから話しかけない限り下のものは答えることができない。この場合、公爵家の孫娘であるアリーナの方が立場は上だ。
「……それは失礼したわ。ダンメンハイン公爵家のアリーナよ」
「ヴァイデンライヒ侯爵家のヒルトラウトです。こちらはシュトライヒ伯爵令嬢コルネリアです」
紹介されたコルネリアは礼を取るにとどめる。先ほどヒルトラウトに指摘されたからか、アリーナは「アリーナよ」と名乗った。
「コルネリアと申しますわ。以後、お見知りおきを」
にっこりとコルネリア。二人は一歳違いのはずだが、コルネリアもアリーナにあまりいい印象を抱かなかったようだ。
「ねえ、お二人とも。よろしければ、一緒に池の方へ遊びに行きませんこと?」
思いっきり何かたくらんでます、と言う顔で誘いをかけるアリーナに、その取り巻きたち。くすくすと笑っている。コルネリアが怒りだしそうだったので、手をつかんで止めた。
「私で良ければ、ご一緒させてください」
「あらそう? コルネリアさんもご一緒にいかがかしら」
「……では、お言葉に甘えて」
どこか憮然とコルネリアが言った。アリーナたちについて歩きながら、コルネリアが小声で言う。
「どうして行くって言っちゃうのよ!」
「断った方が面倒だわ。殺されることはないでしょうし」
いいかな、と思ったのだ。と言ったら怒られた。当然か。コルネリアが慄いたように言う。
「あ、あなた……普通、その発想はないわ」
「そう?」
まあ、確かに一度攫われた経験があるヒルトラウトだからかもしれない。刺された経験のあるギーゼラも似たようなことを言うかもしれないが。
何と言い訳を並べてみても、公爵令嬢であるアリーナに逆らうのは賢明ではない。ダンメンハイン公爵は気にしないかもしれないが、社交界ではそれすらもゴシップになるのだ。一年前、そのゴシップの中心になったことがあるヒルトラウトはそこを避けたいところだった。
「……まあ、確かに殺されることはないでしょうね」
コルネリアがため息をついて言った。年下の友人に、ヒルトラウトは少しだけ笑った。
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