【7】
めずらしくギルベルト視点。
顔を隠すようにうつむいてしまった自分よりだいぶ年下の少女を見て、ギルベルトは薄く笑った。選帝侯会議の最中はあんなに堂々としていたのに、こうしてみるとただの少女だ。強硬な反応が返ってこないのを残念に思う一方、年ごろの少女らしい反応に愛らしさを覚えるギルベルトだった。
菫色のドレスを着たヒルトラウトは上品で美しかった。確かに、本人が言うように社交界では目立つような美人ではないだろう。だが、不美人と言うわけではない。端正な顔立ちをしていると思うし、二十七歳のギルベルトから見ると可愛らしい少女だ。
性格ははっきりきっぱりしているようだが、主張し過ぎない性格や容姿はギルベルトの好みと一致する。まあ、後付けの理由かもしれないが。
ひとまず、ギルベルトはヒルトラウトに好意を持っているのである。選帝侯会議が終わってからもギルベルトが帝都に残っているのは、帝都でしかできない仕事があるからでもある。しかし、それとは別に嫁を探して来い、と家人たちに言われているからだ。
アイスナー辺境伯ギルベルトには結婚歴がある。今から十年前、十七歳のころに政略結婚をした。嫁いできたのは二歳年上の公爵家の女性で、生家よりも低い家格の家に嫁いだにもかかわらずうまくなじんだ明るい女性だった。
好奇心が旺盛で、交易路に位置するアイスナー辺境伯領での生活を楽しんでいるように見えた。引きこもりがちなギルベルトの手を引っ張って連れ出してくれるような、そんな女性だった。
だが、彼女は流行り病で腹の子と共に亡くなった。ギルベルトが二十歳のころだ。それから七年。後継ぎが必要だとわかってはいるものの、失ったものが大きすぎて、ずっとそんな気にはなれなかった。
だが、ヒルトラウトのことは気にかかる。正確には、九歳年下の少女の取り繕った仮面の下の顔が。完璧な淑女と呼ばれるほどのふるまいをしながら、その裏で手を出してきた相手を蹴りあげるなど遠慮がない。かと思えば、普通の少女のような反応をする。
宮殿で開かれた夜会で、彼女と共にホールに入る機会があった。目ざとい人は、親しげに腕を組むアイスナー辺境伯とヴァイデンライヒ侯爵家の長女を見ただろう。その目ざとい人間のうち二人は、ヒルトラウトを彼女の兄に引き渡して一人になった彼に話しかけてきた。
「ふうん。彼女もまんざらじゃなさそうだな」
「つけ入るすきはなさそうだねぇ。僕が好きになった子ってみんなそう」
はあ、とため息をついたのはヴォルフラム皇帝だ。何となく気づいていたが、どうにも後ろ向きでやる気のない少年である。ここが夜会会場でなければ膝を抱えてうずくまっていただろう。何でも、その体勢が落ち着くらしい。
「ヴォルフ、ヒルトラウト嬢が好きだったのか?」
「いいなあとは思ったよ」
妹のことがなければ、確かに皇帝の妻にもなれただろう。だが、本人が望まないのであればヴォルフラム皇帝は無理やりなことはしないだろう。
「だけど、僕が入り込む隙はないだろうねぇ。そもそも、彼女、弟くらいに思ってそうだ」
あり得るな、と年かさのギルベルトとエーベルハルトの二人は思った。彼女は妹でもあるが、姉でもあるのだ。
二人の言葉を聞いていると、ヒルトラウトがギルベルトのことを憎からず思っているように聞こえる。そうだとしたらうれしい、と思う自分に気付く。
「……お前、難しい顔してどうしたんだよ」
顔をしかめているギルベルトを見て、エーベルハルトが引き気味に尋ねた。ヴォルフラム皇子が笑う。
「あれでしょ、僕らの言うことを聞いてると、ヒルトが辺境伯のことを好きだと言うように聞こえて、それをうれしいと思っていることに戸惑ってるんでしょ」
「……鋭い洞察、恐れ入ります」
「あ、当たった」
あてずっぽうだったようだ。勘だとしたら余計にすごい気もする。人の心の動きを読むのがうまい、と言った方がいいのだろうか。
「一応言っておくけどさ、お前、取られてからじゃ遅いんだぞ。指咥えてみてるだけじゃだめだからな」
「なんの助言だ、それは」
「ヒルトラウト嬢に少しでも気があるなら、行動しておけってこと!」
簡潔に指摘され、さすがのギルベルトもうなずいた。とてもわかりやすかった。
気があるかないか、と聞かれると、無い、とは言えないのであるのだろうと思う。仮に彼女を娶った時のことを考えるが、悪くはない、と思う。ただ、結婚歴のあるギルベルトにヒルトラウトがついてきてくれるかが問題だし、一度妻を亡くしている彼は、また別れが来ることを考えると踏み出せなくもある。
だが、だからと言ってここで手をこまねいてしまえば、彼女は別の男のものになってしまうのだろうか。彼女は自分は美人ではない、と言いはるが、十分に美しい部類に入ると思うのだ。
出会わなければ何とも思わないだろうが、出会ってしまった以上、手の届かない場所に行かれるのは嫌だ。となると、とる行動は決まってくる。
贈る花束にアガパンサスを選んだのは、その青みがかかった淡い紫の花が何となく、彼女を思い出させたからだ。出来上がった、華やかではないが優しげなその花束はおのずと彼女を連想させた。
その日のうちに、思いがけずヒルトラウトと遭遇した。帝都の書店でだ。ここで彼女が買おうとしていた本は、彼女の細腕で持つには分厚すぎた。
「すみません……」
恐縮しきりのヒルトラウトにギルベルトは何となく穏やかな気持ちになる。遠慮なく意見をぶつけてくる彼女だが、礼を欠いているわけではない。
彼女の母とも顔を合わせた。母娘が合流出来たのでギルベルトはその場を辞することにした。外に御者もいると言っていたし、いざとなれば、このブティックの店員に本は持ってもらえばよい。もう少し話をしたい気もしたが、ギルベルトが一緒ではやりにくいだろう。
それから数日後、所用で宮殿に来ていたギルベルトはダンメンハイン公爵に声をかけられた。
「久しいな、アイスナー辺境伯」
「ええ、お久しぶりです、ダンメンハイン公爵」
ギルベルトの父親よりも年上になる公爵は唇の片方を吊り上げると言う癖のある笑いを見せた。
「変なことを聞くが、我が家のガーデンパーティーの招待状は届いているかな?」
「ええ。数日前にいただきました。参加させていただくつもりです」
ちゃんと余裕を持って届いた。王族であるダンメンハイン公爵の招待を断る貴族はいないだろう。
「そうか。実は、孫娘が今年社交界デビューでな。昼の開催にさせてもらったんだが」
なるほど。夜会を開く家が多い中昼の開催にしたのは、そんな理由もあったらしい。確かに、我が家で開催とはいえ夜のパーティーに十五歳の娘を出すのは避けたいだろう。
「良いお考えかと。昼の開催があっても良いと思いますし」
「そう言っていただけるとありがたいな。さて、老婆心だが、一つ言わせていただくと、パートナーを連れてくることを推奨する。孫娘に焦点を置いたので若い参加者が多くてな。見る限り、君はそういう場はあまり得意ではないのではないかな? 相手がいれば、多少は和らぐだろう」
「……ご忠告感謝しますが、難易度の高いことをおっしゃいますね」
帝都での知り合いが少ないギルベルトに、パートナーを連れて来いとはなかなか難しいことだ。まあ、普通は夜会にパートナーを連れてくるものだが。ギルベルトは辺境伯であるのでお目こぼしされている面がある。
「良い人がいないのであれば、私の孫娘を勧めたいと言うことだよ。では、当日は楽しんでくれ」
「はあ……」
一回りも年が離れているが、そのあたり、祖父は気にしないのだろうか。まあいいが。だが、勧められるのはちょっと困る。
ギルベルトが出した結論は、どうせならダメ元でヒルトラウトに声をかけてみようと言うことだった。かなりやけっぱちで行き当たりばったりで、思慮深いと言われる彼には珍しい行動だったが、その行動は吉と出て、今、彼の目の前にヒルトラウトが座っている。何もしなければ、何もつかめないと言うことだ。
ギルベルトがこれまでのことを思い返している間に、ダンメンハイン公爵邸に到着した。
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