【2】
「何故こんなことに」
「俺が君に声をかけて、君が了承したからだな」
平然と言ってのけた相手に合わせて、ヒルトラウトは軽やかにターンする。濃い金髪の偉丈夫はにやりと笑う。
「ほら、ギルが驚いた顔で見てるぞ」
「……いや、わかんないんですけど……」
ヒルトラウトをダンスに誘ったのは、皇帝の叔父シュヴェンクフェルト公爵エーベルハルトだった。彼が示す方を見ると、確かに『ギル』ことアイスナー辺境伯ギルベルトはそこにいたが、あいにくとヒルトラウトには彼の表情は読み取れない。
何故私に声をかけたのですか、と尋ねれば、シュヴェンクフェルト公爵は笑って、ギルをからかうため、と答えた。ヒルトラウトに対してかなり失礼であるが、正直に話してしまうその性格が、ヒルトラウトに彼を憎ませない。嘘をつかれたら「嘘を言え」と睨んだだろうに。
怒るのは両親だろうな、と思った。両親はヒルトラウトがシュヴェンクフェルト公爵に声をかけられたことに驚きつつ、ヒルトラウトを押しやった。彼女は先ほど、兄と友人をけしかけたことがあるので抵抗することはできなかった。
いつも、ヒルトラウトのことで怒るのは本人ではなく、家族だ。家族が先に怒るので、彼女は怒る機会を逸する。まあ、最初に爆発しないヒルトラウトが世間一般から少しずれていることは否定できないが。
「どうして私と踊ることがアイスナー辺境伯をからかうことになるんですか」
ヒルトラウトには自分のせいではないとしても、醜聞があるのだ。一緒にいれば、からかうどころが自分もゴシップの対象になりかねないのだが。その点では、シュヴェンクフェルト公爵はかなりいい度胸をしている。
そのいい度胸をした帝国将軍殿は、少し変わった人ではあるが人格には定評がある。皇帝の器ではない、と選帝侯会議では票が入らなかったそうだが、それは理解できる。彼は現場にいてこそその力を発揮するのではないだろうか。
ちなみに、その選帝侯会議の内容であるが、すでに帰着したことで何となく情報が漏れてくるようになった。
「あいつは君を気にしているようだからなぁ」
ニヤッと笑うシュヴェンクフェルト公爵に、ヒルトラウトは小首をかしげた。その時、背後からぶつかられた。
「きゃ……」
「おっと」
倒れかけたが、シュヴェンクフェルト公爵が抱え込むようにヒルトラウトを支えた。背後から「失礼」と嘲笑するような声が聞こえた。明らかに悪意がある。ヒルトラウトは視線を落とす。
「いやはや。あからさまだな」
すでにステップについてくるだけになっているヒルトラウトを踊らせながら、シュヴェンクフェルト公爵が言った。ヒルトラウトは淡く微笑んだ。
「嫌がらせとしてこれくらいなら、大したことはありません」
婚約者を妹に奪われたような女が、皇位を継がなかったとはいえ、皇族の男性と踊るのはおこがましい、と言うことだろうか。
曲が終わり、ヒルトラウトは礼を言ってシュヴェンクフェルト公爵と離れようとしたが、彼は有無を言わせず彼女の手を取ると、ダンスフロアを出た。
「あの、どこに?」
「いや、会わせたい人がいてな」
シュヴェンクフェルト公爵の言葉に、ヒルトラウトは首をかしげた。彼女に会いたがるなんて、奇特な人間もいるものだ。
「あ、こんばんは。お久しぶり……と言うほどでもないのかな」
どこか疲れたような微笑を浮かべてヒルトラウトにあいさつをしたのは、皇帝ヴォルフラムだった。ヒルトラウトは目をしばたたかせ、次いで最上級の礼を取った。
「お目にかかり、光栄です。皇帝陛下」
「……うん。慣れない。叔父上、今からでも替わらない?」
「ははっ、遠慮しておこう」
シュヴェンクフェルト公爵に断られて、ヴォルフラム皇帝は心底残念そうに言った。
「僕も皇帝なんて柄じゃないのに……」
ため息をついて、ヴォルフラム皇帝はヒルトラウトに向き直った。
「改めて、こんばんは、ヒルト。元気そうだね」
「光栄です、陛下。というか、何故私にお会いになりたいと?」
素朴な疑問をぶつけると、ヴォルフラム皇帝は小首を傾げて困ったように笑った。
「うん。興味があるから、かな」
「……」
少しためらってから、ヒルトラウトは口を開いた。
「あの、それは私が妹に婚約者を奪われたから、ですか?」
その問いに、ヴォルフラム皇帝は微笑んだ。
「ねえヒルト。その方式は成立しないよ。君に興味を持つことと、君の一年前の事件はイコールではない。君自身の魅力と、切り離して考えるべきだよ」
「お嬢さん、モテ気じゃないか?」
シュヴェンクフェルト公爵が俗な言葉でからかったが、ヒルトラウトは眉をひそめた。逆に、ヴォルフラム皇帝が笑う。
「僕のは好奇心だから気にしなくていいよ。まあ、ヒルトが皇妃になってくれるなら、いろんな問題が解決しそうだけど」
ヒルトラウトは勢いよく首を左右に振った。ヴォルフラム皇帝は「だよねぇ」と苦笑する。侯爵家は皇妃になるのに身分は足りているが、ヒルトラウトに勤まるとは思えない。
徐々に、この奇妙な集団が視線を集めている。シュヴェンクフェルト公爵の影になり、ヒルトラウトは見えていないだろうが、これ以上注目を集めるのはまずいと皇帝も思ったらしい。
「もう切り上げたほうがいいかな。ヒルト、ルートヴィヒによろしく」
ヴォルフラム皇帝はそういうとその場を離れて行った。しばらく見ていると、どこぞの公爵家にお嬢さんを紹介されていた。
「ああ、なるほど……」
さまざまな問題が解決する、と言ったのは、こうしたことがなくなる、と言うことだろうか。別の問題が浮上してきそうだが。
ひとまずシュヴェンクフェルト公爵と今度こそ別れ、ヒルトラウトは化粧直しに行った。まあ、直したところで顔立ちが変わるわけでもないのだが。
「ねえ、あなた」
声がかかり顔を上げると、鏡にきつめの美人が映っていた。鮮やかな真紅のドレスは彼女に良く似合っていたが、通常であればまだ喪中であるはずなのに、ちょっと派手すぎるような気もする。
「私に何かご用が?」
小首をかしげると、ヒルトラウトと同年代に見えるその美人は目元に剣を乗せて言った。
「あなた、もう少し自分の立場をわきまえてはどう?」
「はあ……?」
パッとしないヒルトラウトの反応に、その美人は今度こそ起こった。
「妹に婚約者を奪われたようなさえない女が、皇族の方と踊るなんておこがましいって言ってるの!」
「……」
そんなことを言われても困る。一介の侯爵令嬢であるヒルトラウトに、皇族からの誘いを断って不敬を取れと? そんなことをすれば家名取り潰しになる。まあ、シュヴェンクフェルト公爵もヴォルフラム皇帝も、そんなことはしないだろうけど。
そのようなことを理路整然と述べたヒルトラウトだが、美人の怒りは増長するだけだった。たいていの女性は、理論より先に感情が来るものなのである。
「あなたね……!」
さらにヒルトラウトを非難しかけたところで、華やいだ声が聞こえてきた。美人は顔をしかめると、「覚えてなさい!」と悪役丸出しのセリフを残して去って行った。代わりに華やいだ声の主たちが入ってくる。コルネリアとギーゼラ、それにフィーリッツ侯爵家のマルガレーテが一緒だった。
「あら、無事なの。残念」
「相変わらず口が悪いわね、メグ」
「あなたに言われたくないわよ、ヒルト」
扇で口元を隠したマルガレーテが嫌味っぽく言ったが、その扇を下ろすと笑っていた。
「ま、あなたが堪えるなんて思ってないけど。でも、助けてあげたんだから感謝くらいしたらどう?」
「どうもありがとうございました」
事実だったので、ヒルトラウトは三人の少女に礼を言った。コルネリアがギーゼラの手を取る。
「ギーゼラが気づいたのよ。やり方はヒルトのをまねさせてもらったけど」
気の強い少女二人に口のきけない少女。ヒルトラウトは肩をすくめた。
「二人もありがとう。どうも、感情論で動く人って苦手なのよね……」
「まあ、だいたいの人は感情論で動くわね」
マルガレーテに突っ込まれた。確かにその通りだが。ヒルトラウトだって感情的になることくらいはあるし。
「ひとまず、一緒にホールに戻りましょ。ルートヴィヒ様も心配してるだろうし、マルガレーテの婚約者さんだって待ってるわよ」
コルネリアの常識的な意見に、他の三人も同意した。
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