【1】
今日から新章です。
糖度高めです…。
選帝侯会議の間だけ、選帝侯クラウスヴェイク大公エルシェの侍女を務めたヴァイデンライヒ侯爵家のヒルトラウトであるが、選帝侯会議及び戴冠式が終了したため、帝都の自宅であるヴァイデンライヒ侯爵家に戻ってきていた。
戻ってくれば、一応お嬢様であるヒルトラウトだ。何かと言うと、特にすることがないのだ。日がな一日本を読んでいて、いつも驚かされている兄ルートヴィヒですら心配になるほどである。
何故こんなにすることがないかと言うと、彼女が社交界に出席しようとしないからだ。
「お前、たまには外に出たらどうだ?」
「出てるわ。今日は植物園に行って来たわ」
「いや、そうじゃねぇだろ」
ルートヴィヒからツッコミを入れられ、ヒルトラウトは本から目をあげて、妹の部屋に勝手に入ってきた兄を見やる。
「招待状とか、届いてるだろ」
「私宛じゃないもの」
事実だ。ヒルトラウト自身は何の地位もない、ヴァイデンライヒ侯爵家の長女に過ぎない。彼女宛てに招待状は来ないので、それをいいことにヒルトラウトは屋敷で読書三昧だ。
「皇帝陛下が心配してたぞ。見ないけどって」
「ねえ。前から思っていたけど、お兄様と陛下ってどういう関係なの? 臣下?」
「そりゃそうだろ。まあ……ちょっと、個人的に仲良くしてもらう機会があっただけだ」
「もしかして、陛下が『疲れた、もう辞めたい』とか言っているのに出くわした?」
「なんでわかるんだよ!」
なんと。兄妹で同じ場面に遭遇していた。まあ、何となくヒルトラウトの疑問は解決してしまったので、話が戻る。
「もうすぐ皇帝陛下が即位後初めての夜会があるぞ。行かないか」
「行かない。ギーゼラと行けばいいじゃん」
「…………………そう言う問題じゃねーの!」
ダメージを受けたルートヴィヒであるが、すぐに持ち直した。まあ、確かにそういう問題ではないだろう。
「いいから! 母上も心配してるんだからな。一回くらい夜会に出ておけ」
「……わかったわ」
ひとまず一度は折れることにした。選帝侯会議が終わった今、再び社交界は低俗なゴシップにあふれているだろう。あまり、それをつつくようなことはしたくなかったのだが。気にしないふりをしていても、耳に入ってくると気になるものだ。面と向かって言われるのは、傷つくが、まだましだ。陰で言われ右方が傷つく。
「じゃあいいな? 三日後、仕事終わりに迎えに来るからな」
「結構近かった……」
思ったよりすぐ夜会に参加しなければならないようだ。ルートヴィヒから話を聞いたのだろう。母が嬉しそうにヒルトラウトのところにやってきて言った。
「あなたが宮殿に出仕するときに多めにドレスを仕立てておいてよかったわ。体形は変わっていないわね?」
「まあ、縦にも横にも大きくなる予定はないけど……」
身長は伸びきっているし、年ごろの娘として体形は気になるので維持している。胸部のあたりはもう少し大きく成ってくれてもいいのだが、世の中そううまくはいかないものである。
「ちょっと心配ではあるけど、まあ、ルートヴィヒと一緒なら大丈夫でしょう」
と言うのが母の見解だった。兄が頼りになるか、と言われると首をかしげてしまうヒルトラウトだが、いないよりはマシだろうと判断した。
嫌なことは早く訪れるもので、三日後、ヒルトラウトは屋敷で出かける準備をしていた。身を包む淡い紫をしたシフォンの生地。装うのは好きだが、これから向かうのが社交界であると言うことでヒルトラウトのテンションは低い。
「お、きれいに出来てるじゃないか」
仕事帰りの兄が、正装に着替えてヒルトラウトの部屋を覗き込んだ。彼女はメイドに髪を結ってもらっているところであった。
「ねえ。終わりがけにこっそり入るんじゃダメ?」
「始まってしばらくたったらこっそり抜け出そう」
ルートヴィヒの提案に、ヒルトラウトの淀んでいた眼がぱっと輝いた。
「お兄様、大好き」
「お前、現金だな」
ツッコまれた。当然だけど。ひとまず、一定時間我慢すればルートヴィヒが連れ出してくれそうなので、途端に機嫌が良くなるヒルトラウトは、確かに現金なのだろう。
きれいに髪を結い上げてもらい、ヒルトラウトは立ち上がる。髪結いをしたメイドに「ありがと」と礼を言って兄の側に寄った。
「よし。じゃあ行こうか」
「了解」
ヒルトラウトとルートヴィヒは仲良く手をつないで夜会会場に向かった。その様子を、使用人たちが微笑ましく見守っていた。ヴァイデンライヒ侯爵家の兄弟は、すでに結婚した末っ子以外、つまり兄と上の妹はどこか奥手で可愛らしい。
そんなことを使用人たちに思われているとは知らず、ヒルトラウトは兄に手を貸してもらい、父母と共に馬車に乗りこんでいた。
「いいか、ヒルト。突飛な行動はするなよ。ただでさえ、いろいろ言われているんだからな」
父の忠告にヒルトラウトは「はいはい」と適当に受け流す。言われなくても、注目を浴びるような振る舞いをしようとは思わない。
「ねえヒルト。今度、フィーリッツ侯爵家のマルガレーテ嬢が結婚なさるらしいわ」
「知っているわ。エルシェ様に仕えていた時に宮殿で会ったんだけど、ドヤ顔で言われたもの」
本人から自己申告を受けていた。彼女でも結婚できるのだなぁと、ヒルトラウトは結構ひどいことを思ったものだ。
「あなたと同い年のご令嬢よ。あなた、嫁き遅れてしまうわ」
母が心配そうに言った。いや、そんなことを言われても。貴族の婚姻など政略的なものであるし、両親がだれそれと結婚しろ、と言うのなら否やを唱えるつもりはない。
カミルとエルネスティーネのことがあったから、両親が気にするのはわかる。だからと言って、どうしろと言うのか。まあ、両親が嫁ぎ先が見つからない、と言っているのは知っている。
同程度の家格の相手が見つからないと言うことだ。ヒルトラウトの醜聞があるから。かなり家格が下がれば見つかるだろうが、往々にして、恋愛結婚でなければ身分違いの婚姻は成立しない。
若干よろしくない空気のまま、宮殿に到着した。ひと月ほど暮らしたので、ヒルトラウトにとってもなじんだ場所だ。まあ、会場の大ホールにはそんなに来ることはなかったけど。
ホール内は既に人でいっぱいだった。ヒルトラウトもルートヴィヒも目立たないように会場の隅にちょこんとしていた。折を見て、ヴォルフラム皇子もといヴォルフラム皇帝陛下に挨拶に行かねば。
選帝侯クラウスヴェイク大公エルシェは、自分の領地に帰っていったが、それ以外の選帝侯は未だ帝都に残っているようである。まあ、帝都での仕事もあるだろうし、そんなものなのかもしれない。
給仕からぶどうジュースを受け取ったヒルトラウトは、肩をちょんちょんとつつかれてヒルトラウトは振り返った。
「ギーゼラじゃない!」
思わずらしかならぬ弾んだ声をあげたヒルトラウトである。短剣で刺されて療養中だったギーゼラだが、復活したらしい。あれからまだ二週間くらいしかたっていないと思うのだが!
「怪我は大丈夫なの?」
口をきけないギーゼラは淡く微笑んでこくっとうなずいた。相変わらず控えめな娘だが、ヒルトラウトやコルネリアとは仲良くしてくれた。もう一人の侍女仲間、ヘレナのことは苦手だったようだが。
コルネリアの方がギーゼラとコミュニケーションをとるのがうまいのだが、彼女は今ダンスフロアで男性と踊っていた。代わりにルートヴィヒがやってきた。
「ギ、ギーゼラ?」
わかりやすく動揺したルートヴィヒと、はにかむような笑みを浮かべたギーゼラ。上目づかいにルートヴィヒを見やるのが可愛い。
ヒルトラウトは兄を取られる葛藤と、せっかく出来た友達が取られる葛藤にさいなまれながら、それでももどかしくて言った。
「ギーゼラ。動いても怪我は平気?」
ギーゼラがヒルトラウトに視線を戻してこくっとうなずく。それを確認し、ヒルトラウトはルートヴィヒに言った。
「お兄様。ギーゼラと踊ってきたら?」
「お前は何を!?」
ルートヴィヒ、騒がしい。ギーゼラもあわてた様子で手をばたつかせているので、声が出たなら悲鳴を上げていただろう。
「いいじゃない。一曲くらい踊ってくれば?」
目の前で二人して照れられると居心地が悪い。背中がかゆくなる。
「行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振り、ヒルトラウトは兄と友人を送り出した。ヒルトラウト自身は両親と共に残ることになったが。母は、息子に好きな人ができたようだ、と喜んでいる。まあ、話せないけど、ギーゼラは可愛いし。
あの半分くらい、ヒルトラウトも可愛げがあればいいのかもしれないが、残念ながら期待できそうにない。なので、ヒルトラウトははにかみながら手を取り合って踊る兄と友人を眺めるにとどめた。ぶどうジュースがおいしい。
そんな時、ヒルトラウトにも声がかかった。
「よろしければ一曲おつきあい願えませんか、フロイライン?」
シュヴェンクフェルト公爵エーベルハルトだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お気づきかもしれませんが、お兄様が書きやすい。




