【12】
エルシェが何も言わなかったため、彼女が選帝侯会議規則違反をした、という事件はそのまま迷宮入りとなった。エルシェを疑う者もいるにはいたが、それもだんだんと下火になっていった。
「ヒルト、ヘレナ、アメリー」
ちょいちょい、とエルシェが笑顔で手招きしていた。明日のスケジュールの確認をしていたヘレナとヒルトラウト、片づけをしていたアメリーは顔をあげてエルシェを見た。
呼ばれた三人はエルシェの側に寄る、彼女ははじめにヘレナとヒルトラウトに話しかけた。
「今日って、この後何か重要な用事はあったかしら」
ヒルトラウトはヘレナと目を見合わせた。
「特にありませんが……」
ヘレナが首をかしげつつも答える。呼ぶのはどちらか一方で良かったはず。何故二人とも呼ばれたのだろうか。
「そう。なら、アメリー」
「はいっ」
アメリーがいつもながら元気に返事をした。それを見てエルシェがにっこり微笑む。
「あなた、わたくしの情報をフリートベルク公に流したわね」
「ええ……っ?」
声をあげたのはヘレナだ。ヒルトラウトは侍女たちの中に誰か通じている者がいるということを感じてはいたが、特定まではできなかった。
エルシェは穏やかな声と表情のまま続ける。
「わたくしが、あの鍵のかかった箱の本を司法省に渡したことを知るのは、ここにいる人物だけだわ。おのずと、答えは限られてくるわね。たぶん、あれが成功していれば問題なかったのでしょうけど、失敗してしまった。だから、あなたはスパイであることを隠したまま侍女として居残ることになってしまった……違う?」
「……」
アメリーは答えない。ヘレナは恐る恐る、ヒルトラウトは注意深くアメリーを見たが、彼女はいつも通り能天気そうな笑みを浮かべているだけだ。それが、今となっては逆に不気味である。
ヒルトラウトはヘレナの腕を引いて少しアメリーから距離を取る。エルシェはそれをちらりと見ると、立ち上がった。
「わたくしは別に、あなたのことを責めたりしないわ。それで、どうなの?」
「……エルシェ様の言うとおりです」
アメリーが認めた。エルシェは「そう」と目を閉じた。
「だとしたら、わたくしはこれ以上、あなたを側に置くことはできないわ」
「それは、わかっています。ですから……」
アメリーの発言が終わる前に、ヒルトラウトが駆け出した。彼女は偶然それを目にした。銃声が室内に響いた。天井からぱらぱらと漆喰の破片が落ちてくる。
「ロ、ロジーナ……」
コルネリアが驚愕に目を見開いていた。今、銃を発砲したのはロジーナなのである。彼女はまっすぐにアメリーを狙っていた。
「コルネリア、離れて」
間一髪、ロジーナの腕をつかんで狙いをそらすことに成功したヒルトラウトは、同僚にそう命じた。彼女は言われたとおりにそろそろとその場を離れる。
「ヒルト、そのまま拘束しろ」
「いいえ。放して銃だけ取り上げなさい」
相反してはいないが、ハーレン将軍とエルシェ大公からは別の命令が下った。ヒルトラウトがしたがったのは、エルシェの命令だった。ロジーナを解放して銃だけ取り上げ、安全装置をかけた。
「はあ……」
エルシェがため息をついた。
「人間のしがらみとは面倒なものね……アメリーもロジーナも、わたくしにとってはよき侍女であり、友人であったけれど、しがらみから逃れることはできなかったのね」
こうして、エルシェの元から二人の侍女が解雇された。何となく、みんなにとって後味の悪いものとなった。
アメリーを撃とうとしたロジーナは、フリートベルク公ではなく、ダンメンハイン公を押す貴族の後押しを受けているようだった。エルシェがため息をついた。
「そんなに、権力が大事なのかしらねぇ」
さすがは一度は大公になることを拒んだだけある。その言葉には妙に実感がこもっていた。
「あなた以外の人にとっては、重要なのでしょうね」
と、返したのはハーレン将軍だ。だが。
「皇帝候補の方々より、むしろ、その背後にいる方々の方が自身の権力に敏感なのでしょうね。自分に関わりのある皇族の方が帝位に着けば、今以上の栄華を得ることができる、と」
評論家のようにそんなことを言ったのはヒルトラウトだ。エルシェが頬杖をついたまま彼女を眺め、微笑む。
「ヒルト、補佐官に欲しいくらいの思考力よねぇ」
「お、恐れ入ります」
変なことを言ってしまった、とヒルトラウトは首をすくめて引き下がった。
「ヒルトの言うとおり。アメリーもロジーナも、その思惑に巻き込まれてしまったのね」
むしろ、エルシェがその当事者であり中心にいたのだが、彼女はその事実を無視するらしい。
その翌日、再び選帝侯会議は開かれたのだが、これはまた成果なしに終わるだろうとヒルトラウトは思っていた。ヘレナとも同意見だったので、まず間違いないだろう。
というか、ヒルトラウトたち三人の侍女は、それどころではなかった。五人が三人に減ってしまったため、業務の再分担を行う必要が出てきたのである。主に、ヘレナとヒルトラウトがスケジュール管理を行い、コルネリアは服飾関係を担っていたが、そのほか、アメリーとロジーナが行っていた仕事も請け負う必要が出て来たわけだ。
基本的にエルシェの随行はヘレナとアメリーの二人で行っていたが、これはヘレナ一人で行かざるを得ないし、今回の会議にも侍女としてヘレナしか同行していない。ロジーナが担っていた肌の手入れや化粧なども、コルネリアが行うことになった。もちろん、一人では無理なのでヒルトラウトが髪結いなどを手伝うことになる。
まあ、こうしてみるとヒルトラウトの仕事が少ないようにも見えるが、ヘレナが外出する分の仕事はヒルトラウトが請け負うので、結局、三人が三人とも仕事が増加しているのだ。耐えられないほどではないが、あと一人いてくれればいいのに、と思う。
「エルシェ様は体面を気にする方ではないけれど、やはり随行人は二人は欲しいところよね……」
「何ぶつぶつ言ってるのよ」
並んで宮殿の廊下を歩いていたコルネリアからツッコミが入り、ヒルトラウトは肩をすくめた。
「体面の問題」
「随行人のこと? まあ、エルシェ様の身分だったら、四・五人いても不思議じゃないしね」
と、さすがは生粋の伯爵令嬢。察してくれたらしい。コルネリアは眉を吊り上げる。
「あなたも侯爵令嬢だし、本当はそちら側でしょ」
「私も別に、そう言うこと気にしないし」
そう言ったことを気にする段階を過ぎてしまった、とも言う。
「あなたとエルシェ様って、実は似た者同士なのかもしれないわね」
「コルネリアは見た目に寄らず、いい子よね」
「わたくしがいじめっ子だと言いたいの」
コルネリアが眉を吊り上げたが、その怒り方がかわいらしくてヒルトラウトは少し笑ってしまった。
「口は悪いけど、根はやさしいってことよ。こういうの、なんていうんだったかしらね」
何かで読んだ気がするが、思い出せなかった。そこに、コルネリアがくいくいとヒルトラウトのスカートを引っ張る。
「何?」
「ね、あれ、ヒルトのお兄様じゃない?」
「へ?」
ヒルトラウトは驚いてコルネリアの示す方を見る。そして、見慣れた姿を見つけて「本当だ」と驚いた声をあげた。しかも一人ではない。
「一緒にいるのって、ブランシュ子爵家のギーゼラじゃない?」
「……そうね」
兄ルートヴィヒは一人ではなかった。アッシュブロンドの小柄な女性が一緒で、ヒルトラウトにも彼女には見覚えがあった。口のきけない子爵令嬢ギーゼラだ。
ギーゼラが話せない以上、静かであるが、時折ルートヴィヒはギーゼラに話しかけているようだった。
「……知り合いなの?」
「一度、屋敷まで送って行ったことがあるはずだけど」
それ以上のことは知らない。妙に個人名を省いているが、ルートヴィヒとギーゼラの関係だ。あれ以降、何かがあったのかもしれないがヒルトラウトの知るところではない。
「あなたのお兄様、ギーゼラさんみたいな女性が好みなのかしら……いい物件だったんだけどなぁ」
コルネリアが残念そうに言った。コルネリアは伯爵令嬢である。ルートヴィヒは侯爵家の跡取りであり、司法省の官僚である。ヴァイデンライヒ侯爵家は、現在の地位はそれほどではないが、旧家で堅実だ。ルートヴィヒ自身の外見も悪くない。そう言ったところで、コルネリアはそんな事を言ったのだろう。
「まあ、あなたを『お姉様』と呼ぶより、ギーゼラをそう呼んだ方がいいわね」
ヒルトラウトも妹の立場からそんなことを言う。コルネリアがむくれた。
「ヒルトって、『完璧な淑女』とか言われてるけど、結構いうこときついわよね……。と言うか、ギーゼラさんと知り合い?」
「ちょっとね。コルネリアこそ、彼女のこと知ってるんだ?」
「うん。昔、いびられてたから助けたことがあるわ」
「……そう」
ヒルトラウトは、昔からこの娘は気が強かったのだな、と妙なところで感心した。
「ヒルトは?」
「私も似たようなものかな」
肩をすくめてヒルトラウトは答えた。コルネリアが憤然とする。
「自分より目立っているからって、いじめるなんて恥ずべき行為だわ。そんな自分が悪目立ちしてるって、気づかないのかしら」
「……」
ヒルトラウトも散々いろいろ言われたが、コルネリアもこの性格だ。いろいろ言われたことがあるのだろう。
「まあ、ギーゼラさんもギーゼラさんよね。もう少し強気でいればいいのに」
「君らを足して割ればいいんじゃないの」
などと、ヒルトラウトはまぜっかえした。その間に、観賞対象者たちはいなくなっていた。
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