表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第2章 “Loving can cost a lot, but not loving always costs more.”
23/26

愛憎、あいまみえる

 カナダの作家マール・シェインいわく、


「人を愛することで失うものがたくさんあるかもしれない。でも、愛を知らないと、それ以上に多くのものを失う」と。




     *     *     *




 雲雀が影を取り戻してから、一週間が経過しようとしている。

 一昨日までは、ほたるは雲雀の討つべき敵の行方を、様々な伝手をもって探していた。

 勿論、雲雀の伝手も使ってだ。


 再戦を望むならば、丹念に準備をすべきだろう。

 修行でもして強くなるべきだろう。

 しかし雲雀にはそのような余裕がなかった。

 雲雀は今、以前よりも、学校の頃よりも高い霊力を有している。

 それは妖怪と成りかけた時の妖気を、霊力に変換して取り込んだかららしいのだが、一方で、新たに霊力を生み出す器官である霊巣の機能が停止したままなのだ。

 つまり、現状の雲雀は彼女が武器としている拳銃と同様に、ただ霊力を溜めているだけに過ぎない。

 消費すれば戻ることはないだろう。

 霊巣の回復は、できるかどうかわからない。


 故に、戦うとしたら今だ。

 雲雀にそう力説されて、ほたるに断れようか。


 結果として、彼は意外にも容易に発見された。

 彼は人間として、黒羽くろばたかしという名で、人間社会で生活を送っていたのだ。

 職業は、いたって普通のサラリーマン。

 業績は可もなく不可もなく、人付き合いは一定の距離を保ちプライベートを知る者はなし。

 とあるマンションに一室を借りて、一人で暮らしている。


 ほたるは、その部屋に宛てて手紙を出した。果たし状だ。

 雲雀には渋られた。

 直接乗り込んだ方が良いのではないか、と。

 しかし、ほたるが頑なに拒んで、最後には雲雀の方が折れた。


 その日はすぐにやってきて、間もなく時刻が丑三つ時を指し示そうとしている。

 天気は生憎と悪く、分厚い雲に覆われた月や星を見ることはできない。

 決闘の場所として選ばれたのは、とある市民野球場である。

 ライトが球場全体を、眩いほどに照らしている。


 二人が立つのはマウンドの上である。

 ほたるは巫女装束で、雲雀はジーンズとシャツ。

 それぞれの戦闘服で身を包み、後は時間を待つばかりである。


 そこで、ほたるは思う。


 もしも幸せな死というものが、本当にあるのならば、今日に違いない。

 彼女の復讐を手助けして死ねたなら、きっとなにひとつ不満はないだろう、と。

 無論、本当に死ぬつもりなわけではない。

 生き残ることを前提にしている。

 ただ、彼女の瞳が前を向くならば、自分はその礎となったとしても、ほたるが悔やむことはないというだけである。

 己が決めたことを成し遂げて、後悔する者などいるだろうか。

 少なくとも、それが本心であれば、いないはずだ。


 ほたるは、隣に立つ雲雀をそっと横目で窺った。

 決戦を前に緊張しているのだろうか、どことなく強張っているようだ。

 その手に軽く指先で触れると、ピクッと彼女の体が揺れた。


「ほたる、びっくりさせないでよ」

「気負い過ぎだよ。生きてれば次があるんだから」


 雲雀の表情が、むっとしたものに変わる。


「いや、今日こそアイツを……殺すわ」


 それを聞いて、ほたるは安心した。


「そっか。それじゃあ、頑張らないとね」

「期待してるのよ、一応は」

「任せて。チャンスを必ず作るから」


 トドメを確実に刺せる機会を与えるから、それまでは援護に徹してもらいたい。

 ほたるは雲雀に、それだけを言ってある。

 不満そうではあったが、自身の現状から、前へ前へと出ては勝ち目が薄いと考えてくれたようで、果たし状を出してからは文句もなにも言わなくなった。


 そして深夜二時ちょうど。

 天から、ひらりひらりと、漆黒の羽根が舞い落ちてくる。

 はっとして頭上を見れば、一人の男がいた。

 羽根と同じく柔らかな動きで、男は空中より三塁ベースの上へと降り立った。

 雲雀が歯軋りをしながら「クロハネ」と零す。

 ほたるはそれが、苦痛に耐える声だと思った。

 怒りを抑え込んで、必死で待っている。

 勝つために。


 彼がにこやかな笑顔で、片手をあげる。


「やあ。どうやら紛い物は無事に倒せたようですね。今日は今の東風谷の力を試せると聞いて、とても楽しみにしているよ」


 一歩前に出て、ほたるは答えた。


「まさか。今日で終わりだよ」

「なるほど。一人では無理と思って、君を使うことにしましたか。まぁ、良いでしょう」

「偉そうに」

「実際、勝てると思っているんですか? この私を相手に。貴女如きが」


 最後の言葉に苛立ちが混じるのを、ほたるは微かに感じ取る。

 今まではどこか天上にいるような男だったが、初めて人間味を覚えた。

 だからではないが、ほっとする。


 ほたるはなにも答えず、真剣な眼差しをクロハネに向けながら、構えた薙刀に霊力を通わせていく。

 同時に肉体には内功を巡らせていく。

 彼の眉がぴくりと反応する。


「ほう! この間は気付きませんでしたが、面白いですね。二つ使えますか」

「だから、あんまりナメてると足元掬う──よ!」


 言い終わるや否や、ほたるは一直線に男へ駆け寄る。

 間合いに入ると、下から上へと刃を走らせた。

 クロハネが一歩退いてそれを躱す。

 返す刃を脳天目掛けて振り下ろす。

 すると今度は刀身の根元を、交差させた両腕で抑えられた。


 ほたるの視界から、男の左足が消える。

 鳩尾を狙ったらしいその蹴りを、片手で受ける。


(めちゃくちゃ痛い!)


 手のひらをじんじんとした痛みに襲われ、思わず顔を歪めながら、二三歩ほど後退する。

 追うように、クロハネが動く。

 そこで雲雀の援護射撃が左側から飛んできた。

 たたらを踏むクロハネへ、また、ほたるは突っ込んでいき、彼の顔面目掛けて突きを放つ。

 それが躱されることなど予想している。

 だから同時に、先ほどのお返しとばかりに脇へと蹴りもいれる。


 その足を捕えられてしまったかと、ほたるが思った瞬間、彼女の体は宙を舞っていた。

 銃声を聞きながら受け身を取って、すぐさま立ち上がるとクロハネを見る。


 男は既に相手をほたるから雲雀に変えていて、雲雀は珍しく近接戦闘で足を主体とした攻撃から、彼の頭に弾丸をお見舞いする隙を窺っている。


 ほたるは二人に駆け寄りながら、袂から呪符を取り出し、クロハネに投げつける。

 それが背中に貼り付き燃え上がれば、彼でもたまらず「おおおっ!?」と情けない声を出した。

 その隙を狙って、雲雀の照準が男の額に当てられる。

 が、しかし、引鉄がひかれる寸でのところで、クロハネは燃える上着を脱ぐと、それを雲雀に被せるように放った。


「熱っ!」


 と叫ぶ彼女の声が、ほたるの耳へと届く。


 既に充分、薙刀の間合いに入っている。

 ほたるは呼吸を止めて、横薙ぎの一閃を放つ。

 けれど、手応えはない。

 クロハネは空中にいた。跳んで躱されたのだ。

 そして彼からの反撃は、顔面への真っ直ぐな蹴りだった。

 その衝撃に上下の奥歯が擦れあう。


「んぎっ!」


 そして後頭部を地面に強く打ちつけた。

 額、後頭部、首の三ヶ所に激痛が走る。

 内功でどうにかそれを緩和させながら、彼女はすぐさま立ち上がった。

 少しだけ目の前がふらふらしているが、これも内功で補正する。


(あの修行がなかったら死んでた!)


 たとえ生み出す内力が小さくとも、体の一部位に寄せ集めれば、そこの厚みが増す。受け易くなる。

 元々、霊力で身体強化をしていた彼女は、その技術自体は習得していたが、仙人との修行でより速くより正確に行えるようになっていた。

 打たれ強くなった。

 だから今、回避を確認してからであっても、頭部に内功を集中させて蹴りを受け止められたのである。


 もっともクロハネが真に本気であったならば、結果は違っていただろう。


 その彼が不愉快そうに言う。


「貴女を殺したら、東風谷はどんな表情を浮かべるのでしょう」


 その直後、銃声が響くと同時に、クロハネの姿が忽然と消え去った。

 漆黒の渦もなしに。


 雲雀は彼の後ろから撃ったようで、標的を失った弾丸は、ほたるに当たった。

 だがそれは人にとっては雨粒のようなもの、怯むわけがない。

 そして奴が消失したことに慌てることもなく叫んだ。


「影を狙って!」


 ほたるはクロハネが雲雀の霊力を影に封じ込めた点から、影にまつわる能力を有していると推測し、ならば自身を影にできるかもしれないと仮説を立てていた。

 消えるたびに舞い散らせる羽根は、手品師がやるところのミスディレクションだ。

 それがクロハネが神出鬼没であることの理由であり、野球場を戦場に選んだ理由でもある。

 四方から光に照らされるここでは、持ち主のない丸い漆黒はよく映えており、狙いやすい。

 思った通りだった。


 ほたるは地面をするすると動く奇怪な影に呪符を繰り出す。

 その話を前もって聞いていた雲雀も慌てず、むしろこれこそが千載一遇の機会と思ったのか興奮した様子で後に続いた。

 二つの攻撃が見事に直撃し、激しい砂煙を起こした。


 だがしかし、クロハネは生きている。

 妖気はまだ健在だ。

 このことは、ほたるの予想の範疇内である。

 おそらくあの能力は移動用、つまり回避のため、ならばそこに攻撃を与えても致命傷にはできないだろう、と。

 そしてそれが事実だった。

 けれどもクロハネが発している妖気、殺気は先程までと比べようもない。

 これは予想外だった。


 雲雀はどうしているだろうか。

 ちらりと、その様子を窺う。

 遠目であるものの、額に汗を浮かべているらしく、きらきらと輝いている。

 戦闘の疲れか、あるいは冷や汗。

 もしも後者ならば、なにか声を掛けた方がいいかもしれない。

 試合中のキャッチャーが、打たれたピッチャーにするように。

 そう思って、ほたるが口を開いた瞬間に、収まりつつある砂煙の中から、黒いなにかが飛び出した。

 小さく無数のなにかである。


 そして──、光が消えた。

 視界に濃い幕が下りてなにも見えなくなる。


(鴉の羽根! ライトを潰された!)


 すぐに状況を理解したほたるは、その場に立ち尽くしたまま、自然と口元を緩ませていった。

 開戦前の応答から既に、彼女は自身の策の成就を確信しているし、その通りに事が運んでいるのだから、薄笑いを浮かべてしまうのも無理はない。


 クロハネは間違いなく、この暗闇に乗じてほたるを殺しに掛かる。

 何故ならば(雲雀ちゃんの周りでうろちょろする私を邪魔に思ってる)からだ。

 少なくとも苛立ちを覚えている。

 そして彼は雲雀を殺さない、何故かは未だわからないが、その気がないことは確かだ。

 あるなら今まで幾らでも機会はあったはず。


 よってこの場において標的は、ほたるただ一人しかいない。

 そこを彼女に討たせる。

 獲物を狩る瞬間や勝利を確信した瞬間は、しばしば大きな隙を作る、無防備になりやすい。

 攻撃と防御が両立することは稀であろう。

 その時こそが、ほたるが雲雀に捧げる千載一遇の好機だ。


 漆黒の闇夜は問題にならない。

 ほたるの瞳は暗順応できていないし雲雀も同様であろうが、妖気を感知して代わりにすればクロハネの動きなどおよそ筒抜けになる。


 彼はまだ動かない。

 砂煙はもう落ち着いたのか、それもまだなのか、どれほどの時間が経っているのか。

 なにも、ほたるにはわからない。

 唯一わかることは、次に奴が動く瞬間だけだ。


(さあ、来い! 彼女のためなら私は、いくらでも死んでやる!)


 そんなほたるの覚悟を、せせら笑うかのように、漆黒の塊が雲雀を目指して疾走する。

 ほたるは一瞬にして頭が真っ白になった。

 彼女の中では絶対にありえないことだった。


(そんな! なんで!?)


 その答えを教えてくれたのは、雲雀にほかならない。


「銃をやられた! ──逃げて!」


 それで巫女は悟る。

 全て見破られていたことを。


 次いで雲雀の元を離れた殺意の権化が、ほたるに逼迫する。

 しかし、ほたるは逃げなかった。

 策を見破られたショックは勿論あるが、それ以上に感じてしまったのだ。


(私なんかじゃ、雲雀ちゃんを助けられないんだ)と。


 諦観が彼女を不動にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ