石膏像は目が光る
その時突如として、廊下の霧が晴れ渡り、どころか廊下そのものが消失してしまい、雲雀と花子さんのコンビはある教室へと場所を移された。
異界の意志によって。
二人は急造のチームとは思えぬほど確かな動きで、互いに背中合わせを取った。
どうやらここは、美術室のようだ。
二人を中心にして、囲うようにキャンバスが置かれている。
また教室の後ろと横の棚には、白い胸像が安置されている。
著名なローマ人らが、突然に沸いて出た来訪者を前に、戸惑っているかのような錯覚を受けた。
「とりあえず、出口は前に一つだけね」
雲雀もまた戸惑っている。
その中でもしっかりと神経を尖らせる。
「わたしの所為かも」
緊張の糸を花子さんの訳知りらしい言葉が揺らした。
「どういうこと?」
「わたしは唯一異界に殺されなかった、というか、殺しきれなかった存在。つまり邪魔者ね」
「なるほど。どうしても異界の主は、貴女に会いたくないというわけ」
それが真実かどうかはわからないが、戸をくぐる前から空間転移した今、最もらしい説のように思える。
そしてありがたい説だ。
「だとしたら、とんだビビリね」
雲雀は鼻で笑う。
それに釣られてか、花子さんもけらけらと笑い出した。
「確かに! わたしに勝てないから、こんな真似をするのね!」
「そうそう。異界の主なんて言っても本当は雑魚なんじゃないかしら」
思いがけずに始まった悪口大会は、次第にエスカレートしていく。
花子さんの方が特に鬱憤を溜めていたらしく饒舌だった。
だが突然、口を止めたかと思うや否や圧し掛かってきて、雲雀は転倒させられてしまう。
けれど文句の一つも出ようはずがない。
かつていた空間を、無数の光線が通り抜けていくのを見たのだ。
その光線によってキャンバスの一枚に穴が開く。
レーザーにも似た攻撃。
発射元はどうやら石膏像からのようである。
両目に妖気を凝縮し放ったのだ。
雲雀は腹這いになったまま、出口を指さす。
このまま匍匐前進で逃げようと言うのだ。
上空では間断なく光線が飛び交い続けているのだから、それも当然の判断であろう。
しかし、花子さんが首を縦に振ることはなかった。
「何か策でも?」
問うと今度は首を横に振る。
雲雀は呆気にとられて彼女を見つめる。
「冗談でしょう?」
であって欲しかった。
しかし花子さんは何故だか誇らしげに、
「策はない。でも逃げない」
と宣誓する。
(頭が痛くなりそう……)
妖怪を憎み、全ての妖怪を滅ぼしてやりたいと思っている雲雀ですら、無理な相手の前では退くことを覚えている。
無茶をして自らが滅んでは、最大の目的である復讐を達成できなくなるからだ。
もしも東風谷雲雀が必死になるとすれば、それは憎悪の源泉を前にした時だけにほかならないのである。
不意に攻撃が止んだ。
一瞬だけ生まれる“溜め”の時間。
雲雀の隣で同じく腹這いになっていた彼女は跳ねるように体を起こして、たちまち一体の胸像の前へと躍り出る。
二つの瞳が紫色の光を溜めて、今まさに放とうとしていた。
そこを指で突く。
眼球を破壊する。
次いで、それを持ち上げたかと思えば、横の棚に目掛けて投げる。
飛んで行った先にまた胸像。
攻撃の再開はその後だった。
けれど光線は、花子さんにまるで当たることなかった。
雲雀は驚愕し、すぐにはっとする。
胸像の置かれている棚は全部で三つある、教室の後ろと左右に。
そして胸像の並びは決して、正面を向きあわないようになっている。
でなければ同士討ちになってしまう。
故に一つを壊すだけで空きが生まれるのである。
(いや、それを埋めるのが縦に対する横の、特に隅っこの存在)
だから花子さんは残骸を投げることで角の一体をも破壊したのだ。
これで二線の空間が交わる点が死角となった。
あとはただ悠然と、順繰りに破壊していけば良い。
「策ナシなんて嘘吐き」
雲雀はつい、そんな言葉を投げかけてしまった。
実際のところ、かなり感心したというのに。
「あら! こんなの策の内にも入らないよ。誰にだって思いつくことだもん」
花子さんはやはり皮肉でもなんでもなく、純真にそう答えながら古代ローマ人の残骸を床にばら撒いていった。
ホメロス、アグリッパ、カラカラ帝、ブルータスお前もか……。
それでようやく雲雀も立ち上がる。
こうなってしまえば、鴨撃ちの如く楽な手合いだ。
しかし──
「雲雀チャン、あれ!」
新手の登場である。
それは唯一の出入り口たるドアの下にある、僅かな隙間から小さな体をぐにゅりと押し込むようにして入ってくる。
わらび餅のような柔軟さだ。
全体は黒く、ぬらぬらとてかっている。
顔と思われる部分には、白色をした葡萄のような粒がびっしりと付いている、きっと目だ。
カチカチと、これまた真っ白な歯を鳴らしながら、ぴたぴたという足音を立てて近づいてくるのだった。
雲雀がそれを撃つと、風船のように弾けて、煙になって消えていった。
「なんだ雑魚じゃない」
そう思うのは束の間のこと。
すぐにまた、同種の妖怪が忍び込んでくる。
一体、二体、三体、四体……何体も何体も隙間から這いずり込んでくるのだ。
一つ一つがいかに弱くとも数の優位というものがある。
幾らでも捌ききれるわけではない。
小さいから、残った光線に当たることもなく忍び寄ってくる。
そのうちの一匹が、花子さんへと跳びかかる。
雲雀の弾丸がそれを撃ち殺した。
「ん、ありがと。でも自分の身を守った方がいいかもよ。銃それだけなんでしょ」
「フン。悪いけど、妖怪の指図は受けないって決めてるの」
「あはは! 良い心構えね! あなた、良い退魔師になれるわ!」
花子さんが一体を蹴散らし、
「そりゃどーも!」
雲雀はまた一体を撃ち殺した。
石膏像もまだ残っているが、まずはこちらからが良いだろう。
スカスカになったレーザーの網目をくぐりながら、二人の戦いは続く。




