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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
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トイレの花子さん、現る

「ねぇ、ちょっと待ってくれない?」


 それは一番奥の個室から聞こえてきたようだった。


「悪いんだけど、ちょっと、ここの戸を開けて欲しいんだよね。自分じゃ出られなくって」


 幼さを感じる少女の声だ。

 果たして人間か、妖怪か。

 考えるまでもなく、


「妖怪の頼みなんか聞かないわ」


 と言い放つと、声の主は慌てた風になる。


「わー、待って待って! ……あ、そうだ! ねぇねぇ、あなた退魔師みたいね。霊力を感じるからわかるわ。この異界をどーにかしにでも来たんでしょ? 手伝ってあげる!」

「手伝う? 妖怪の貴女が?」


 雲雀は小馬鹿にした口ぶりで訊き返した。

 途端、少女が哄笑をあげる。


「あははははは! はっきり言ってあげた方がよかったみたいね? わたしを手伝わせてあげるから、とっととここを開けろと言ってるんだよ、愚図な雑魚め」

「なっ……!?」


 その変貌ぶりは言うに及ばず、肌を貫く濃密な殺気、骸骨剣士のそれよりも遥かに強い気配が立ち込めており、雲雀は狼狽する。

 だが、更に強い語気で求められて、ついに一歩を踏み出したのだ。

 緊張から、ごくりと、喉が鳴る。

 逃げることもできたはずだ、戸を閉めてからまた開けることで別の教室へと行く手もあったはずだ。

 最善な道はそれだ、触らぬ神に祟りなしとも言う。

 この妖怪は決して雑魚ではないと、今わかった。

 しかし、この強さは魅力的でもある。

 もしも本当に一緒に戦うことになったなら、きっと頼りになる。

 それに妖怪だから盾や囮に活用しても、心は痛まないどころか一石二鳥だ。


 雲雀は一番奥のトイレの前で立ち止まり、悩ましい表情を浮かべる。


(使うのか、使われるのか。どちらにせよ一時協定を結べるのは悪くない。例え相手が妖怪であるとしても、向こうから申し出たのだから使ってやればいい。けど……)


 もしもそれが嘘だったら? 懸念があるとすれば、それなのだ。


「いい? わたしの言うとおりにしてね?」

「……ええ」


 雲雀は覚悟を決めた。

 賭けだ、大博打だ。

 妖怪の言葉など信じるに値しない。

 けれど心の底から、ふつふつと湧き上がるどす黒い感情が、彼女の体を突き動かした。


 その個室の扉だけが固く閉ざされている。

 少女の声に従って、まずはノックを三回した。

 それから、


「花子さん、遊びましょう」


 と向こう側へ言葉を投げかける。


「は、あ、い」


 可憐な声が返ってきて、個室の蝶番が軋んだ。

 雲雀の背筋を、ぞわりとする薄ら寒いものが駆け上っていったかと思った時には、その体は冷たい壁に押し当てられていて、首を青白い手によりギリギリと締め上げられていた。


 少女は己と同じぐらいの背格好で、長髪により顔を窺い知ることはできない。

 雲雀はすかさず拳銃を、烏のような頭へと押し付けて引鉄をひく。

 絞める力が緩んだ。

 その隙に抜け出ると、出口に向かって全力で走る。


(やっぱり妖怪は妖怪ね!)


 どうやら賭けに負けたらしい、けれど命は絶対にやりたくない。


 僅かな距離なのだ、難なく逃げ切れる。──はずだった。


「あっ!?」


 雲雀の目は天井を見ていた。

 腕を捕えられたと思った時には、そうなっていた。

 投げ飛ばされたのだと気付いたのは、一体の影が自分の体に乗りあがってからだった。

 髪が顔の左右に幕のように垂れ下がり、その間には彼女の可愛らしい顔立ちが浮かぶようにある。妖怪のものとは思えぬ無邪気な笑顔。


 雲雀は(あの娘とは違う感じの笑みね)などと考えていた。


 殺されるとは、まるで思っていない。

 先程感じた濃密な気配が消え去っていた。


「トイレの花子さん?」


 問うと、少女がこくこくと頷いた。

 髪が揺れて、頬に当たってむず痒い。


「ねぇねぇ、あなたの名前は?」

「雲雀」

「ふーん。さっきは愚図な雑魚なんて言ってごめんね」

「別に、いいけど」

「素早い雑魚だったよ」

「……殺されたいの?」

「あはは! やってみるといいわ!」


 ぱっと体の上から重しが退いて、ようやく雲雀は上体を起こせた。

 花子さんの方へと目をやると、彼女は少し離れた場所でニコニコ顔を浮かべて、抱きしめる直前のように両腕を広げている。


「なにしてるの?」


 雲雀が怪訝そうに尋ねたら、


「えっ、殺すんじゃないの?」


 と、きょとん顔の花子さん。


 半分は冗談のつもりだったのだが、どうやら本気にとられてしまったらしい。

 雲雀は呆れ顔になる。


「貴女もあれね、どこぞの骸骨みたく戦いたがりなのね」

「あら、ぶるーのクンと会ったんだ」

「知り合い?」

「敵♪」


 未だかつて、こんなにも嬉しそうな響きの「敵」は聞いたことがない。

 それから一変して、今度は寂しそうな表情を浮かべた。


「知り合いも、友達も。みーんな、やられちゃった」

「それはご愁傷様ね」

「全然そんなこと思ってないくせにー」


 ころころと花子さんが笑って、雲雀の頬をつんつんする。

 ほたるも笑顔の多い娘であったが、こうも寒気を感じさせるものではなかった。

 この妖怪はきっと、笑顔のままでどのような残忍な言葉も吐けるタチなのだろうと、雲雀は感じていた。

 そして自分はもしかしたら、とんでもない怪物を引き摺りだしてしまったのではないかとも。


「悪いわね、妖怪が嫌いなの。清々してるわ」


 雲雀は、むすっとした表情でそう言った。


「自分が弱いからって妖怪に嫉妬してるの?」


 花子さんが小首を傾げた。

 嫌味ではなく、純粋な疑問を投げかけているらしかった。


「アンタ、本当にむかつくわね」

「あはは。自分でもわかってるんでしょ?」


 それには何も言い返せない。

 常々自分は弱いと感じているし、現につい先ほど、この妖怪にマウントを取られもした。

 それも無様に逃げの一手を打った途端にだ。


(そういえば……頭を撃ってやったのに無傷だわ)


 屈辱的な思いが今更ながら波紋となって、雲雀の心に広がっていく。


「……ところで」


 そんな気持ちを振り払うつもりで、話を変える。


「本当に花子さん?」


 上から下までじろじろと見ても、そうは思えない。

 トイレの花子さんと言うと、おかっぱ頭に赤いスカートの童女といったイメージがあるが、この少女の見た目は高校生くらいであるし、服装は黒のセーラー服、赤いのはタイだけ、髪は長い。

 花子さんは黙って、雲雀から少しだけ離れた。

 何のつもりかわからず、眉をひそめる雲雀。

 しかし、次に気付いた時には彼女の姿は縮んでしまっていて、心臓がひっくり返るかと思うほどだった。

 まるっきり小学生そのもの。

 おかっぱ頭に、赤いスカートを履いている。

 誰もが思い浮かべる花子さん像だ。

 林檎のように赤い頬が可愛らしい。

 冷静になってみれば、妖怪なのだから変化の一つや二つできてもおかしくない。

 足元にやってくるや否や、小学生の花子さんが上に手を伸ばして、ぴょんぴょんとジャンプする。

 またもや雲雀は怪訝な表情を浮かべることになった。


「何のつもり?」


 と今度は訊いてみたところ、笑顔で返事がある。


「ほら、首絞めるのに、背丈が合わないでしょ」


 また光があって、花子さんは元の女子高生姿に戻る。

 それで背丈が良い塩梅になったようで、雲雀の首筋に青白い手を添える。


「ね? これならぴったり」


 回りくどい手法だが得心がいった。


「なるほどね。呼び出した相手に合わせて変身するわけ」

「ちなみに中学生モードもあるよ。ブレザーだよ!」

「どうでもいいわ」


 雲雀は首元の手を払いのけると、背を向けて歩き出す。


(今は協力者。でもやっぱり、危ない奴ね。所詮は妖怪か)


 いずれは倒すべき敵であるとの認識を胸に、人間は次の戦場を目指す。

 その後ろを妖怪が、ニコニコ顔で着いていく。

 このことが吉と出るか、凶と出るか。

 雲雀にはまだわからない。

 トイレから廊下に出る。

 そこには霧が出ており、いつかのように前も後ろも見通すことができない。

 室内で面妖なことだが、これもここが異界であるが故と思えば受け入れられる。

 しばらく行くと、先導を行く役を花子さんに取られてしまった。

 というのも彼女が「わたしなら異界の主のところまで連れて行けるよ」などと嘯いた為である。

 雲雀はその言をまるっきり信じたわけではないが、思えば、妖怪に背を向けるような「馬鹿な真似」はしないのだった。

 にもかかわらず、自ら先を歩いていた。

 気付いた時の雲雀は、まさに顔から火が出そうであった。

 その様を見て花子さんが「ちゅーちゅーたこかいな」と笑っていた。

 歩きながら、雲雀はふと思い立って口を開く。


「さっきの話に戻るけど」

「なに雲雀チャン?」


 花子さんは雲雀のことを、ちゃん付けで呼ぶことに決めた。

 最初に雲雀がそう呼ばれた時に、心底嫌そうな表情を浮かべたら気に入ってしまったようだ。

 変えてもらおうとは、最早思わない。

 言っても無駄だと先のやり取りで気付かされていた。


「どうして花子さんは、この異界を破壊したいの?」

「あれ、言わなかったっけ」

「……多分、聞いてない」


 しばし記憶を辿ってからそう答えると、花子さんが振り返って一言。


「復讐」


 雲雀の心臓が、どきん、と跳ねた。

 あまりにも馴染み深い言葉が返ってきたものだ。

 またくるりと彼女は前を向いて歩き出す。

 それでも話は続いている。


「さっき言ったよ。みーんなやられちゃったんだ、仲間も知り合いも、友達も」

「てっきり骸骨にやられたものだと」

「間違ってないけど、正しくない。この異界に殺されたんだ。後から来た連中のくせに。マジでムカツク五秒前だよ」

「後からって?」

「わたしたちが先。こいつらが後」


 忌々しげに花子さんが床を蹴った。

 それから疑問に答えるように、学校の過去を振り返っていく。

 花子さん曰く、この学校には元より、かつて生徒が通っていた頃から妖怪がいたとのこと。


「山の中だから集まりやすいの」


 と彼女はもっともらしく言う。


 そんな花子さんを含む強い妖怪七体は、七不思議と呼ばれて強権を振るっていた。

 彼女もまた、後からやって来た新参者だそうなのだが、友好的関係を築けていたようだ。


「一番強いからね。わたしは弱いものイジメはしないの」


 それから、どこか遠い目をしながら「楽しかったなぁ」と呟いたのが、雲雀には印象的だった。

 妖怪にも感傷はあるのかと。

 復讐心をも秘めているのだから、当然なのだろうが、そのことからして雲雀は意外に思うのだった。

 その通りに述べたら、


「妖怪だって、わたしくらいに人並みなら、色々思うよ」


 と言って呆れた風だった。

 話は学校が移転する頃へと移る。


「ほとんどが別のとこ行っちゃった。まぁ、子供がいないと面白くないからね」

「じゃあ、花子さんはどうして残ったの?」

「七不思議だから」


 意味が分からず、雲雀は首を傾げた。

 その気配が伝わったのか、彼女が付け加える。


「どうしてもここから出られない子もいたから、わたしだけ残ることにしたの」

「へぇ! 仲間思いなのね」

「……それでまぁ、残った組で色々遊んでたの。たまに山の妖怪とかも混ぜて。あと肝試しって言うの? そういうのしに来た人間と遊んだり」

(あら、妖怪のくせに照れてる……?)


 そして、花子さんの話は異界のことに及ぶ。

 彼女が言うには、この異界は突如として発生し、瞬く間に学校全体を飲み込んでしまったのだ。

 本当に急な出来事で、当時のことはあまり覚えていないそうで。

 襲いかかってくる見たこともない妖怪らを相手に戦い、一人また一人と仲間を失っていき、最後に残った花子さんはトイレに長い間閉じ込められるはめになったと悔しそうに語った。

 その上で、でも消されずに済んだのは、己が強いからだと豪語する彼女を見て、負けず嫌いな性格だと悟る。


「だから復讐なのね」


 雲雀は納得すると同時に、僅かながらこの妖怪にシンパシーを覚えてもいた。


「うん。雲雀チャンには本当に感謝してるよ。お陰で自由に動けるようになった。でも全盛期よりだいぶ力が弱まってるから、ちょっと長いこと引きこもりすぎたな、期待もしてるよ」


 だからだろうか、妖怪嫌いの退魔師が珍しくそれに答えた。


「……まぁ、頑張るわ」と。

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