5.
「――はっ!」
「……おっ、と!」
私の剣先が、マクスの喉元に。マクスの剣先は、私の首の横で止まっていた。
「相打ち、だね。参ったよ、お嬢様」
「相打ちで参ったもないでしょう」
やっと、マクスから一本取れるかと思ったのに。悔しいわ。
お互いに剣を引くと、マクスは声を上げて笑った。
「いやいや。たった三年と半年で、ここまでできる剣士はいないよ。これでも一応、軍ではそれなりに腕が立つほうだったんだ。
公爵令嬢と相打ちだなんて、当時の上官に知られたらどんな顔をされるやら」
「褒めてくださるのは嬉しいです。でも、師匠に勝つのが目標ですから」
「その日も遠くなさそうだ」
楽しそうにしているのは、師匠として嬉しいのかしら。訓練中でも笑顔をよく見せるマクスのことだから、よくわからない。
私は十六歳になった。誕生日まであと二ヶ月ほど。
背は伸びて、体つきも女らしくなってきたけれど、戦闘服では胸を強く抑えて邪魔にならないようにしている。
魔力を使った剣術では、もはや軍の強者にも後れを取らないとマクスには言われる。お世辞じゃありませんよね、と詰め寄ったけれど、「教えている以上、剣に関しては忖度抜きで評価するよ」と諭された。
確かに、今日までの付き合いで、マクスが無駄におべっかを言う人でないことは理解している。
本音をすべて言っているかはわからないけど、私が女であることも若すぎることも承知の上で、手を抜かずに教えてきてくれたと思う。
この三年半、私は勇者となるべく魔力と剣技を磨いてきた。
お父様の商会経営にもそれとなく助言して、魔石の流通量を増やし、自分の魔力の強化と安定にも使えるようにしていたのが功を奏している。前世で経済学部にいたのが、役に立った。
それでも、青いオーラを纏う「剣聖」に負けない勇者になるのなら、まだまだ足らない。
今は、小説が始まる前の時期。やれることはやってきたけれど、猶予はあと一年と少ししかないわ。
「次は明後日……いや、一回飛ばして四日後かな」
「え? 明後日は」
「お嬢様、モンフォール侯爵のパーティーに出席するんだろう? 鍛錬後にドレスを着てダンスするのは、きついと思うよ」
……そうだった。
あまり社交はしていないけど、公爵令嬢として最低限の顔見せはしないといけない。モンフォール侯爵は宰相でもあるから、毎年春に盛大な宴を催すのが恒例になっている。お父様とお母様も出席なさるし。
しかも、私は当然シグルドにエスコートされるのよね。
シグルドとは相変わらず、たまに会うだけ。小説と違って手紙のやり取りは最低限で、私が彼とのお茶会をすることもないから、婚約者と思えないほど交流がない。
あちらもそのほうが気楽でしょう。もう軍に入っているし、貴重な休暇は領地に帰ってセシリアに会いたいでしょうしね。
思わずため息をつくと、マクスが首を傾げる。
「パーティーより、剣術修行のほうがいいという顔だね。お嬢様は変わり者だな」
「不仲な婚約者と、付き合わなければいけませんので」
――あ。しまった、つい余計なことを。
マクスとは家族より話すぐらい一緒にいるせいで、緊張感が足りなくなってるわね。
「……不仲ね。ブラウハイト伯爵令息は、軍では頭角を現しているそうだが……女性の扱いには、問題がありそうだ」
「彼だけの問題ではありませんわ。親に決められた婚約など、そんなものでしょう」
シグルドの愚痴を、マクスに言うつもりはない。ほかの誰にも、言葉にはしない。
シグルドとエレオノーレの運命を知っているのは、私だけでいい。それも、変えてみせるから。
「――そうか。では、また」
「はい。ありがとうございました」
こちらの意図を汲み取って、詮索してこないのが助かる。マクスは、私の事情を探るような真似をしない。いつだって、剣術の師であるのみ。……いい師匠だわ。
私はマクスに一礼して、訓練を終えた。
* * *
二日後、私は久しぶりに公爵令嬢らしいドレスで着飾られた。この年になると、通常は婚約者と色を合わせたりドレスを贈られたりするものだけど、シグルドからドレスをもらったことなんて一度もない。今夜の彼の服装も知らない。
だから、自分の瞳の色に合わせてダークブルーのドレスを仕立てた。あまり暗い色では年に合わないとデザイナーに言われて、グラデーションをつけた布にしたけれど。
なんだか、ドレスの濃い青はマクスの目の色に似てるわ。金銀の刺繍も、私と彼の髪色みたい。
アクセサリーは、お父様がイエローダイヤモンドでイヤリングとペンダントを作ってくれた。……まあ、シグルドは黒髪だし、目はブラウンだし。宝石にもドレスにも、合いにくい色ではあるのよね。
剣聖になったら戦闘時だけ澄んだブルーアイになるものの、今は無関係。
「お嬢様、本当にお綺麗でございます。きっと、シグルド様も見惚れられますわ」
それは絶対にないと言える。鏡の中のエレオノーレは美しいけれど、シグルドには着飾れば着飾るほど、「目障りな公爵令嬢」に見えるでしょう。
「ありがとう」
メイドには笑顔で応えておく。
……いずれ、私が勇者になれたら。その時には、シグルドと婚約解消できるかしら。
ここで生きていたはずのエレオノーレは、シグルドに恋していた。でも、私は彼との結婚など考えられない。生きのびても、彼だけは選ばない。
愛されないとわかっている相手なのに、縋る意味なんてないもの。
階段を降りて玄関ロビーを抜け、外に出る。用意されている馬車の前に、シグルドが立っていた。
中に入ってまで、エスコートはしたくないわけね。
服装は……この黒い礼服は、軍の正装だわ。いえ、おかしくはないわよ、軍に所属している人だし。
とは言ってもプライベートの場では、伯爵令息ともなれば違う服を着るのが普通。つまりは、私と彼は普通の婚約者同士ではないとひと目でわかる。
「ごきげんよう、シグルド」
「ああ」
無表情で、なんの感情もない声。二ヶ月……三ヶ月ぶり?
しばらく見ない間に、背が伸びたかしら。体も、逞しくなったようね。
中身はまるで変わらないけど。
白い手袋をした手を差し出されたので、その上に手を置く。扉を開けられた馬車に乗り込むと、すぐ手が離れて向かいにシグルドが座った。
無言のまま、馬車が動き出す。シグルドは窓の外へ目を遣った。
私も、外を見る。
小説では、褒めてもくれないシグルドにエレオノーレが嫌味を言う場面があった。私も多少は言ってやりたいものの、やめておく。
本来のエレオノーレだったら、褒めてもらいたいでしょう。
だから言ってやりたいけれど、何も言わないわ。……エレオノーレ、許してね。
シグルドを相手に、気を抜くつもりはないの。
距離を置いたまま、こうして過ごしていくわ。生き延びたと、確信できるまで。
* * *
侯爵家に着き、会場に入る。面識のある令嬢方に、挨拶をしていく。
きっと、エレオノーレだったら、嬉しかったはず。シグルドがエスコートしてくれているのだから。
私が前世を思い出した時点では、デビュタント前だった。シグルドではなく、講師とダンスの練習をしていて。
本当はシグルドと踊りたいと、日記に書かれていた。デビュタントではそうしたいと。
十五歳のデビュタントの時、シグルドはいなかった。伯爵領に魔物が出現して、退治しなければならないと手紙が来た。
嘘か本当かはわからない。今でも魔物は時々出るのだし、まして北部では南部の公爵領より魔物は多い。
代わりにエスコートしてくれたのは、次期公爵の兄ステファンだった。ステファンは気遣ってくれたけれど、父の補佐をしている兄とは普段交流が少ない。そんな兄妹で踊るのは、とても味気なかった。
そして今現在、ダンスの音楽が始まっている。……シグルドは、誘ってこない。
あまりにも失礼ではない? 婚約者なのに、セシリア以外の女とは踊りたくないとでも?
心の中で、エレオノーレが泣いている気がする。
周囲にも笑われているような。
「少し、風に当たってきますわ」
シグルドの返事を待たずに、私は会場を出た。この侯爵邸にはリュシブール家ほどではないけれど、立派な庭とガゼボがある。
ガゼボは無人だった。椅子に腰を下ろして、長い息を吐く。
本当に、マクスの言う通りだわ。パーティーなんかより、剣術修行のほうがずっと楽しい。
「――美しい姫君、お一人ですか」
聞き覚えのある声に、私は驚いて顔を上げた。
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※第6話は明日18:50頃更新予定です。
次回一行予告:一人ではなかった夜。




