2.
気づくと、私は黒髪の少年と向かい合ってお茶を飲んでいた。
「お嬢様、お代わりはいかがでしょうか」
「え……は、はい?」
すぐ側に立つメイド姿の若い子が、訝しげに私を見る。
ダイジェスト動画のような記憶が、脳内を次々に流れていく。
ここは――
私はすぐに理解した。
これは、『ブルー・ブラッド』の世界だと。
花が咲き乱れる見事な庭園の中にある、東屋の中。
豪華なティーセットが置かれたテーブルを挟んで向かい合っている少年は、小説の挿絵にいた剣士の面影がある。ストレートの黒髪と、ブラウンの目。
シグルドだ。
そして私は……エレオノーレ。銀髪とダークブルーの瞳を持つ美少女。
いずれ婚約者のシグルドに魔物として倒される、中ボスクラスの悪役。
シグルドとの出会いも、うっすらと記憶に残っている。
「そんなに私と過ごすのが気に入らないのなら、もう帰らせてもらう」
シグルドが冷たく言った。まともに会話をしていなかったから?
……単に前世を思い出して、混乱してただけだけど。
「どうぞ、お好きになさって」
自分を殺す相手とのお茶会なんて、まさに茶番だわ。
私の答えにむっとして、シグルドは席を立つ。
「あ、シグルド様。お嬢様、お見送りは」
「不要でしょう」
戸惑うメイドをよそに、私はカップに残っていた紅茶を飲んだ。
……そう。
私、小説世界に転生していたのね。よりによって、主人公の踏み台にされる不幸な悪役令嬢に。
* * *
今は、私……エレオノーレは、十三歳。
シグルドは十四歳。
ある程度、エレオノーレの記憶はある。
対外的には、評判がよろしくないらしい。まだ子供なのに、悪役令嬢そのものの扱いだわ。格下の伯爵令息と婚約しておきながら、彼とは不仲であると広まっているせいもあるのね。
でも、エレオノーレの感情や思考がよくわからない。何があったのか、事実だけをぼんやり覚えている。
お茶を飲み終え、自室に戻った。手紙か何かでわかることはないかと、立派な机の引き出しを探す。
鍵がかかっている引き出しに触れた時、宝石箱の一番下に鍵を隠していることを思い出した。
小さな鍵で開けた中には、分厚い日記が入っている。
これは、エレオノーレを知るために貴重な記録だわ。
開いてみる。文字は日本語でも英語でもないけれど、きちんと読める。エレオノーレの記憶のおかげね。
『彼は、わたくしの初恋だった。』
始まりは、三ヶ月前。
シグルドの領地に彼を追いかけていって、女の子と笑い合っているのを見て逃げ帰った直後から。
セシリア・ローゼンね。
小説で、シグルドと結ばれるヒロイン。
『顔を見てわかった。
シグルドはあの子が好きなのだ。』
文字を追うと、なんとなく感情が蘇る。
そうだった。好きな人の、自分には見せてくれない表情で察してしまったのだ。
小説ではこの頃のシグルドとセシリアは兄妹のようなものと書かれていたけど、この世界では違うんだわ。
もしくは、シグルドが無自覚なのね。
『もし、結婚してもシグルドがわたくしを見てくれなかったら。
彼の心が遠いまま、名ばかりの妻になるぐらいなら、わたくしは死にたい。』
たった十三歳の少女の、あまりにも悲しい本音。
名ばかりの妻どころか、結婚前に魔物に取り込まれ、想い人に倒されてしまう。
「……最悪」
こんな酷い目に遭わなきゃいけないことを、エレオノーレがしたっていうの?
違う。小説の都合上、彼女は「悪役」に設定されてしまっただけ。
――魔物が増えるのは、まだ五年も先。十八歳のエレオノーレが結婚するはずだった年に、悲劇は起こった。
私は魔物に利用されるのも、ヒーローの踏み台にされるのもまっぴらだわ。
「剣聖」はブラウハイト家の血筋でしかなれない?
だったら。
「今王国で主流になっている魔力を使った剣術を極めて、『勇者』になれないかしら……?」
そうよ。猶予は五年もある。
幸い、『ブルー・ブラッド』は女騎士が珍しくない世界。
エレオノーレは公爵令嬢なので、剣に興味がなかっただけ。軍や近衛兵にも、女騎士はいる。
これから修行をしていけばいい。
シグルドを剣聖にして、勇者に――救国の英雄になんて、させない。私は犠牲になる気なんてない。
何より、シグルドに恋をしていたエレオノーレが可哀想すぎる。
私が転生したことで、エレオノーレの魂を乗っ取ってしまったのかはわからないけど。
彼女がもう、いないのだとしても。
生きのびるだけでは足らない。少年のシグルドがエレオノーレの気持ちを理解できなかったのは仕方なくても、せめて誠実に向き合ってくれていれば、エレオノーレは八年も苦しまずに済んだ。
「やってみせるわ。エレオノーレ、あなたの運命は私が変える」
シグルドのために「決められた犠牲」になんかならない!
私はエレオノーレの日記を、ぎゅっと胸に抱きしめた。
* * *
「本気で剣術を習いたい?」
リュシブール公爵は、怪訝な顔で私の言葉を繰り返した。
無理もないわ。公爵令嬢らしい教育やダンスやマナーは素直に学んできて、女騎士に憧れる素振りなど今までまったく見せてなかった娘なのだから。
でも、引き下がるわけにはいかない。前世と違って、公爵は娘の私を大切にしてくれている。エレオノーレの希望を、無碍にすることはないでしょう。
「武門貴族に嫁ぐ者として、剣術に理解がないよりはあるほうがいいと思いますの」
「それは、わからんでもないが……座学で、剣術理論を学ぶだけでもよかろうに」
「知識と実践では理解に隔たりがございます。シグルドはすでに、ひとかどの剣士以上だと聞きました。
夫になる方のお力を、正しく理解したいのです」
理解した上で、上回りたいのだけどね。
「シグルドに習うのでは、足らないか?」
「彼は、わたくしを令嬢として丁重に扱ってくれますから。お願いいたします、お父様」
公爵が頼んだところで、シグルドが真面目に教えてくれるわけがない。
エレオノーレの気まぐれだと、適当にあしらわれるに決まっている。
「――うむ……わかった。お前の師に相応しい人材を探そう」
「ありがとうございます!」
まずは最初の関門突破ね。
公爵の人脈なら、しっかりした人物を見つけてくれるはずだわ。
――と、思っていたのだけど。
一週間後、私は公爵家の庭先で、剣の師匠と出会った。
「マクス・グリムと申します。よろしく、お嬢様」
目の前にいるのは、癖毛だけど見事な金髪と、深い青の瞳が目を惹く――かなりの、美青年。
いわゆる金髪碧眼ね。爽やか・凛々しいタイプのシグルドと違って、見るからに貴族らしい華やかさ。服装は白いシャツと厚手のズボンに、革のベストとブーツ。よくある簡素な訓練用の戦闘服だけど、あまりのイケメン具合で顔にばかり目が行く。
「よろしくお願いいたします、グリム卿」
「あー、卿はいいよ。騎士爵を持っているわけでもないし、子爵家次男だ。王立軍にいたけれど、一身上の都合で退役してね。
ま、要するに暇人なんだ」
にっこり笑った顔も、見惚れそう、ではある。
……でも待ってよ、公爵。グリム子爵家の次男坊?
噂を聞いたことがあるわ。エレオノーレの知ってる話だと、女遊びが過ぎる素行不良で軍を辞めさせられたとか。
そんな相手を、どうして愛娘の師匠に選んだわけ!?
エレオノーレはまだ十三歳だから、年齢的に相手にはならないでしょうけど! でもこの軽い口調、教える側とはいえ公爵令嬢に対する態度じゃないでしょ!?
「あの……では、師匠。失礼ですが、おいくつでしょうか」
「十九歳。お嬢様の六歳上だね」
ちょっとちょっと。中年の退役軍人辺りを予想してたのに、十代で軍を抜けた問題児って!
「――エレオノーレ様は、私に習うのはご不満かな?」
顔に出てたんでしょうね。ええ、不満というより不安よ。
「少々、面食らっておりますわ。わたくしに、そのような言葉遣いをなさる方はおりませんので。
僭越ながら、わたくし公爵令嬢ですのよ。失礼とは思われませんか?」
「パーティーでお会いしたなら、礼を尽くすけれどね。師匠は敬うものだよ?」
うわー、気さくさで距離を詰めて口説くタイプか。この手の男は、前世から苦手なのに。
この師匠で、強くなれるのかしら。しょっぱなから、つまずいた気がするわ……
お読みくださり、ありがとうございます。
初日は5話まで更新されています。
次回一行予告:師匠と修行の始まり。




