第08話 指輪に呪いをかけましょう☆
「国王陛下に謝罪を申し上げたいのです」
私は父王が午後の謁見を終えて少し余裕のある時間帯を狙い、扉前の衛兵たちに殊勝な顔で告げた。
衛兵たちは一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、謹慎中の娘が父親に謝りたがるのは当然だと思い至ったのだろう。すぐに上役を通して取り次いでくれたかと思えば、折り返し執務室まで来るよう通達があった。
意外とあっさり会えるんだなと思ったけれど、考えてみれば私は別に両親に疎まれているというわけではない。ただ、とっても軽く見られている。私のことを『ぞんざいに扱っても構わない自分の所属物』程度に思ってるのだろう。
それが突然反抗してきたものだから、ちょっとばかり驚いて対応に困っていた。でもわりとすぐに謝ってきたから、ホッとしているといったところだろうか。
国王の執務室に通されるなり、私はさっと目を走らせた。想定していた通りの位置に目印のレリーフを見つけてから、さりげなく前を見る。
父は、大きな執務机の向こうに座っていた。机の上で両の指を組み、その向こうで眉間に深い皺を寄せ、不機嫌そうにこちらを見ている。
まあ、そうだろう。これまで聞き分けの良かった娘が立て続けに問題を起こせば、ゲンドウみたいになっても仕方ない。
だがまだ、突然の反抗期に驚いている程度の顔だ。この娘は、これ以上大それたことはできないと思い込んでいる。
予想通り謝りに来たな〜とニッコリしたいところだが、舐められないよう精いっぱい父の威厳を見せているのだろうか。
ご期待の通り、ここは全力で反省している姿を見せることにした。
「お父様、このたびは取り返しのつかないことをしてしまいました。お姉様に手を上げてしまうなど、王家に連なる者として恥ずべき行いであったと、深く反省いたしております……」
できるだけ深々と、でもわざとらしくならない程度にお辞儀する。前世では、自分のせいじゃない問題で取引先に頭を下げたことが何度もあった。心の中では『現場のミスで遅れたのに、なんで私が!?』と思いつつ、弊社の問題で取引先にご迷惑をおかけしたことには違いないので、誠心誠意頭を下げた。
だが今回は取引先に悪いとも思えなかったので、反省するポイントを変えてみた。殴ったことに、反省しているんじゃない。王女として恥ずべき行いをしたことに、反省しているのだ。
まあ我ながら屁理屈だとは思うけど、嘘の謝罪はしたくない。
「このたびの件は、心より反省しております。おそれ多くも慈悲深き国王陛下、どうぞご寛恕を賜りますように。どうか至らぬ我が身をお赦しくださいませ……」
父はしばらく黙考するそぶりを見せてから、重々しく口を開いた。
「……真に、反省しておるのか」
「はい。自らの愚かさに恥じいるばかりで、これまで陛下にお目通り願うことすら憚られておりましたが……やはり直接お詫び申し上げたく、御前に参じました次第にございます。どうぞ、陛下へ謝罪の誓いを立てさせてくださいませ」
「うむ」
父王は立ち上がり、執務机の前まで歩み出る。
「近う」
私は「はい」と神妙な顔で応えると、数歩進んで御前に拝跪した。そして差し出された右手を、恭しく取る。
「どうぞ、お赦しくださいませ……」
その手を誓いの手順通りに両手で捧げ持つようにして、甲に額を寄せる。――そのとき。左手の小指の爪に仕込んでおいた練り硫黄を、指輪のレリーフにそっと擦りつけた。
硫黄は、もともと王宮の礼拝堂で使う儀式用の香の原料の一つだ。魔石の浄化を補助するためだと言って調達するのは、さほど難しくはない。
父王は、特に何も気づかなかったらしい。そりゃそうだ。『反省した娘が涙ながらに俺の手を取って許しを乞う』というシーンの裏で、まさか指輪に硫黄を塗られているとは思うまい。
「そなたの愚かなる行いにも、余は赦しを与えよう。だが、二度めはないと心得よ」
「はい。これからは心を入れ替え、浄化に励むことを誓いまっす!」
そうちょっと大きな声で元気に応えると、父は少しだけ慌てたように小声で言った。
「こら、その話を大声でするでない!」
「はい、畏まりました!」
我ながら完璧な謝罪を終えて、私は執務室を出た。扉が完全に閉まったことを確認し、ニンマリしてしまう口もとを手で隠す。
――細工は流々、あとは仕上げを御覧じろ、だ。
私はスキップしたくなるのを抑えつつ、自室へと戻った。
自室へ戻って、間もなく。私が謝罪したのを聞きつけたのだろう母が、部屋まで訪ねてきた。姉を殴ったと聞いてしばらく腫物に触らないようにしていたけれど、ようやく落ち着いたと思って安心したのだろう。
四十を過ぎたとは思えない華やかな美貌を哀しげに歪めつつ、王女としての品位がどうのとか、姉の外面の良さを見習えだのとか、くどくどくどくど説教をしたのちに「貴女には期待しているから、こうして心を鬼にして叱っているのですよ」と優しげに微笑んで、依頼品の浄化を急げと促し帰って行った。
その笑顔が、どこか遠くに感じられて――もう母の笑顔に無邪気に喜んでいた頃には戻れないと思うと、少しだけ寂しさを覚えた。
今思えば母は愚痴が溜まるたび、お茶をする名目で私の部屋へ来ていた。その内容はテネブラがワガママすぎるとか、テネブラがまた贅沢してるとか、テネブラに無神経にも小ジワを指摘されたとか……話題は、テネブラに対する愚痴ばかりだった。
文句があるなら私じゃなくて直接本人に言えば? と思いつつ(実際、四度ぐらいは言った。全無視されて諦めたけど)、母の本音が聞けるようで、信用されているようで、嬉しいとすら思っていた。
――でも、違っていた。単に、軽く見られていた。溜まったフラストレーションを、言いやすい方に向けて発散していた。ただ、それだけだった。
◇ ◇ ◇
――翌朝。王宮内が、ちょっとした騒ぎになっていた。
「国王陛下の御印が黒ずんでいる!」
「永遠の輝きを持つはずの白金が変色するなど、ありえない!」
「呪いだ! これは穢れの呪いに違いない!」
……よし!
私は、内心で拳を握った。あまりにも計画通りに行って怖いぐらいだけど、日頃の行いが良いからかもしれない。
白金は本来、非常に変色しにくい金属だ。プラチナは化学的に極めて安定していて、日常的な環境ではほとんど変質しない。だけど、『ほとんど』であって『絶対に』ではないのだ。
この世界の精錬技術では、白金の純度を百パーセントにすることはできない。わずかに混じった他の金属成分が、高濃度の硫黄と反応して黒ずんでしまう。
永遠の輝きを持つはずの高貴な白金がどす黒くなった。知識がなければ、そりゃあ呪いだとも思うだろう。
そして予想通り。穢れといえばということで、疑いの矛先は私に向いた。
「リュクサーナ、そなたの仕業か!?」
数刻後。父王から、昨日と同じ執務室へ呼び出された。ただし昨日と違っているのは、父の眉間の皺が三倍ぐらい深いという点だ。
「そんな、何かの間違いで……ああ、そんな、まさか穢れが移ってしまったなんて!!」
「やはり、そうなのか!?」
ぎょっとして指輪から顔を離すようにのけ反る父に、私は神妙に言った。
「お父様にお会いする前に、少しでもお役に立とうと魔石の浄化を行っていたのです。だから、わたくしの身体に穢れが溜まっていたのかもしれません。本当に、申し訳ございません……」
「穢れが、身体に溜まるだと!?」
前々から何度も言っていたはずなのに、父は驚いた顔をした。どうせ、娘の話なんてろくに聞いていなかったんだろう。
私は「はい……」と言って膝から崩れ落ちると、涙ながらに訴えた。
「お父様どうか、どうかわたくしに、御印の穢れを浄化させてくださいませ!」
「浄化だと? そなたは、魔石以外も浄化できるのか?」
父が、訝しげに眉を上げて問う。
「はい。金属も大地の恵みである鉱石の一種ですから。ただし、その代わりに供物が必要です。御神酒と果実をご用意いただけますか」
「供物ぐらい、いくらでも用意させて構わぬが……」
「そして清浄な月の光をあてながら祈りますので、御印をお借りして一晩お時間をいただきたいのです」
父はしばらく苦い顔をしていたが、結局しぶしぶ折れた。基本は知性派なんだけど、知性派だからこそ他に確実に穢れを祓う手立てがないことに気づいたのだろう。今は『浄化できる』と主張する娘を、とりあえず信じてみるしかない。
こうして私は、一晩だけ国王の指輪を預かることに成功した。
◇ ◇ ◇
――その夜。
月明かりが差し込む自室で、私はせっせと作業に励んでいた。
いつもの祭壇にビロード張りの台を置き、その上に指輪を乗せる。供物として申請した蒸留酒と果実は、それらしく脇に並べておいた。
そこまで準備を終えると私は「作業に集中したい」と言って、部屋の中にいた侍女を追い出した。といっても彼女は嬉しそうな顔をしていたから、通常運転だろう。
私は祭壇を離れて、部屋の隅にある作業台に向かった。そこには守護宝石になれなかった護石たちを活かすために始めた、護石細工用の彫金道具一式が揃えられている。
まず目の細かな硅砂に少しの粘土と水を加えて、生砂を作る。これは生型鋳造に使うもので、鋳型を時間をかけて乾燥させずとも、すぐに鋳造ができる優れものだ。
ケースに詰めた生砂に、指輪のレリーフ部分を押し付ける。型取りは繊細な作業で、力加減を間違えると細部が潰れてしまう。しばらくリトライを続けて、ようやく綺麗な型が取れた。
次に低融点で加工がしやすい錫を小さな卓上炉で溶かし、慎重に型へ流し込む。小さな坩堝の加熱も火の護石を使えばお手軽にできて、とっても便利だ。本職の職人さんの仕事に比べたら拙い工作だけど、凹凸鍵として機能する程度の精度が出ればいい。
錫が冷えて固まるのを待つ間に、宿題である指輪の手入れに取りかかった。供物で頼んだレモンを半分に切って、黒ずんだ白金の表面をこする。
酸で硫化物を溶かす、それだけのことだ。前世なら専用のクリーナーを使うところだけど、この世界ではレモン汁が最も手軽な酸性溶液である。もちろん『清浄な月の光』も『祈り』も必要ない。
くるくる、くるくると、レモンの断面で指輪を磨く。月明かりの下で、黒ずみが少しずつ落ちてゆく。白金本来の、冷たく澄んだ銀色の輝きが戻ってくる。
――翌朝。
ばっちり完成した錫の複製鍵を、私は収納魔法の中へしまった。そしてピカピカになった白金の指輪を、父王のもとへ持ってゆく。
「お父様、浄化が完了いたしました」
差し出した指輪を見て、父はわずかに目をみはった。確かに、元通りになっている。いや、ついでに少しずつ長年かけて溜まっていた黒ずみも消えたから、元通り以上かもしれない。白金の表面がつるりと滑らかになって、冷たい光沢を放っている。
「おお……本当に、元に戻っておる!」
「一晩かかりましたが、なんとか供物の力をお借りして、浄化に成功いたしました」
供物=レモンの力を借りたのは、本当だ。
「さすがは我が娘。これからは心を入れ替えて、なお勤めに励むがよいぞ」
「承知いたしました」
私はにっこりと笑い、一礼して退室した。心を入れ替えて励みましょうとも――新天地でね。
準備は、ほぼ整った。あとは決行の日を選ぶだけだ。
私は鼻歌が出そうになるのを抑えつつ、軽い足取りで部屋に戻ったのだった。




