第38話 領主様の事情2
「そのわりに、女性であることを否定はしないのですね」
「しらを切ったところで、解放してその話を吹聴されては意味がないからな。コレット嬢の身内を奪ってしまうのはしのびないが……無礼を働かれてしまっては、仕方ない」
伯爵は椅子の背にもたれて足を組み、悠然とこちらを見据えて言った。
「ヘクトル、この者を――」
「お待ちください! ただで帰せないからこそ、私を使ってみてはいかがでしょう? 幸いなことに私はコレットさん以外に身寄りがありませんから、後から面倒なことを言ってくる者もいなくて安全ですよ」
「だから、その手には乗らんと言っただろう」
鼻で笑う伯爵に、私は話を続けた。
「いくら領主様が全ての非を被るとおっしゃっても人々の噂は勝手なものですから、コレットさんに不当な噂が立つのは避けられません。私はコレットさんの名誉を守りたいのです」
伯爵は笑みを消したが、無言のままである。
「それに……もし離縁のあとにコレットさんと想い合う相手が現れたとしましょう。そのときコレットさんに男性経験がないのが露見しては、まずいのではございませんか?」
それを聞いた伯爵の、瞳が揺れた。
「でも白い結婚だったと公表することはできないから、どうしてもコレットさんを不本意に傷つけることになる。なぜならば――」
私はそこで一呼吸おき、低く言う。
「貴女、妊娠していらっしゃるのでしょう」
あえて断定する口調で言うと、部屋が完全に静まり返った。護衛の人が、びくりと肩を震わせる。伯爵は表情を変えなかったけど、指先が肩掛けの端をぎゅっと握った。
伯爵の不調には、見覚えがあった。前世の同僚が、出勤するたびに辛そうにしていたことがある。それを気遣うと、本当は安定期に入るまで言いたくなかったけど迷惑をかけて申し訳ないから……と、こっそり教えてくれたのだ。
あのときの同僚と、伯爵の顔色が重なる。そして、貴族ではない相手、それも生死すら自由に扱える自らの領民との契約婚を急いでいる理由――。
「先ほどは言及を避けていましたが、白い結婚で二年という期間は、貴女のお子を産んだことにするための身代わりの女性が欲しかったからではございませんか?」
伯爵はこちらを睨みつけたまま、沈黙を貫いている。これ幸いと、私は言葉を続けた。
「いくら工房に多額の援助をいただけるとしても、コレットさんの将来を考えるなら反対です。彼女、まだ十七歳なんですよ」
「そういう君も、見たところコレット嬢と同じぐらいの歳頃だろう。えらく年寄りじみたことを言うのだな」
「それは……ちょっと、色々ありまして」
「ふぅん……まあいい」
伯爵は目を伏せて、長い息を吐いた。
「競技会で彼女のスピーチを聞いて、経緯を調べさせた。女性だからと意に沿わぬ結婚を強要されるぐらいなら、彼女が資金を気にせず、のびのびと研鑽に打ち込める環境を提供できれば……と考えたのだが」
自嘲するように、口の端が歪む。
「確かに、余計なお世話だったという気もする。これから本当に愛する相手に出会ったとき、障壁となるのはよくないな……」
貴族なのに、予想よりすごく理解のある人だ。自分自身、爵位を守るためだと言われ、生まれてからずっと本当の性別を偽って生きてきたからだろうか。
――仕掛けるなら、ここだ。
「というわけで、契約婚のお相手は私にしていただけませんか? 実は私……今、男装して採掘者をやっているんです」
「わざわざ、男装して……?」
「はい。ただ、いくら男装しようと女の身のままでは危ないことも多くて、陰陽石を探していたんです。だから、領主様の状況にもすぐに気づけました」
「そうか……」
伯爵が、まじまじとこちらを見ている。
「こちら、採掘者としての識別票です」
私は首もとから青銅のタグを引っぱり出すと、首から外して手渡した。
「普段は男装して採掘者を続け、領主夫人として顔を出す必要があるときだけお伺いします。陰陽石の効果には時間制限があると思うので、使用人の皆さまは事情をご存じなのでしょう?」
「ああ」
「ならば、私でいかがでしょう?」
伯爵はしばらくの間、じっとこちらを見つめていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「……君は、油断しすぎている。知りすぎだと言っただろう」
暗灰色の瞳が、冷たく光る。
「今すぐ口封じで切り捨てられるとは、思わなかったのか?」
私はたっぷりとしたパフ袖を引き上げて、左手首のブレスレットを見せた。
「残念ながら、私は一撃では殺せません」
防壁の護石が、淡く光を弾く。数珠つなぎになったその数に、伯爵はわずかに目を見開いた。
「一撃で仕留められなければ絶対に全力で反撃しますから、面倒なことになりますよ」
さらに胸元からペンダントのチェーンをひとつ引っ張り出す。チェーンに通された指輪の石座には、先日浄化したばかりの氷属性の護石がはまっていた。
「小娘が、領主を脅すのか」
伯爵が、低く笑う。しかしその笑みには、不思議と敵意がないようだ。
「いや……それほどの数、粒ぞろいの防壁を用意できるのは只者ではない、か」
鋭い瞳が、射抜くようにこちらを見据える。
「まさか……いや、今は指摘するまい」
喉を振るわせて、伯爵は小さく笑った。
――やばい。鋭い人だというから、うっすら正体に見当をつけられたかもしれない。
「あ、でも私が契約のお相手になったとしても、工房はごひいきにお願いしますね」
「ははは、分かった分かった」
伯爵が、本当に可笑しそうに笑った。護衛の人が驚いたように主を見ているから、伯爵がこんなふうに笑うのは珍しいのかもしれない。
「前向きに検討しよう。今日はこれから婚約者選定の証拠作りで祭りに少し顔を出すから、いったん帰ってくれていい。また明日、改めて人をやるから予定をあけておいてくれ」
「ありがとうございます」
「……帰してもいいのですか?」
護衛の人が不安げに言うと、伯爵はすっと手を伸ばして私の手首を指さした。
「ああ。人に言えない秘密を握っているのは、お互い様のようだからな」
やっぱり、バレていそうだ。でも、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だろう。共犯になれたなら、持ってこいじゃないか。
「では、せっかくだから祭りを楽しんでいってくれ」
伯爵がそう言って手を小さく上げると、護衛の人が扉を開けた。別室で待っていたコレットさんと合流し、館の外へ出る。
「……どうでしたか?」
ようやく祭りの喧騒が響く大通りに戻ると、コレットさんが小声で聞いてきた。
「コレットさんの代わりに、私が夫人を演じることになりました。勝手に決めてごめんなさい」
「勝手になんて……まさか、わたしのために、そこまでしてくれたんですか!?」
「コレットさんのためというか、私のためなので気にしないでください! 伯爵夫人になれる機会なんて滅多にないですからね〜、むしろ勝手に機会をいただいちゃってすみません」
あえてへらっと笑って言うと、コレットさんは私の手をぎゅっと握った。
「この恩は、絶対にお返しします。何があっても、わたしはあなたの味方ですから」
彼女は、やはり私に事情があるのを察しているのだろう。
「ほら、広場に戻りましょう!」
どう答えようか迷っているうちに、コレットさんは私の手を引き、祭りの雑踏へと踏み出した。




