第39話 トラウマこじらせる前に
広場に戻ると、祭りはいよいよ本番を迎えていた。ステージの上では楽隊が陽気な旋律を奏でて、周りを人々が行き交っている。
「この街、こんなに人がいたんですね……」
「そうですね、他の街から人が来ているのもありますけど、採掘者さんも職人たちも、今日ばかりは仕事場から出てきていますから」
そう話すコレットさんの顔は、ようやく緊張が和らいできたようだ。
「それじゃあ、腹ごしらえに行きません? さっき屋台の前を通ったとき、すごく良い匂いがしていたんですよね」
「あ、わたしも気になってました!」
さっそく屋台に向かおうと歩き出したところで、背後から声がかけられた。
「あ、あの、コレットさん……!」
振り返ると、若い男性が一人、礼をとるように帽子を片腕で胸に抱えて立っていた。二十歳前後だろうか。帽子には水色の羽飾りがついているから、この街の人だ。そういえば、確かこの人は――。
「コレットさん……ですよね。研磨盤の作成に関わらせてもらった、ライムント工房のカールです」
「はい。あのときはお世話になりました」
コレットさんが丁寧に頭を下げると、カールさんと名乗った青年はさらに赤くなった。元気な人が多いライムント工房の中では言葉数の少ない方だったけど、研磨盤のネジを黙々と確かめていた実直な仕事ぶりを、よく覚えている。
「あの日の、コレットさんの研磨は……本当にすごかった。あんなに真剣に石と向き合う姿は、初めて見ました」
カールさんは一度言葉を切ると、たどたどしく絞り出す。
「その羽飾りをつけているということは……リュクスさんとは……」
どうやら、コレットさんとリュクスが恋仲なんじゃないかと誤解されていたらしい。私は慌てて一歩前に出ると、事情を説明した。
「私リュクスの姉なんですけど、私たちとコレットとは従姉弟なんです。だから、恋人とかじゃないですよ!」
「そうか、いや、そうなんですね」
カールさんの強張っていた顔が、ぱあっと明るくなる。嬉しいのがダダもれだ。だがすぐに、彼はまた顔を緊張させて言った。
「それなら、もしよかったら、今日のペアになってもらえませんか」
「あ……えっと……」
コレットさんが、ちらりと私を見る。その目には明らかな戸惑いがあった。嫌がっているというよりは、怖がっている感じだろうか。ブルーノに裏切られた傷が、まだ癒えていないのだろう。新しい誰かに心を開くことそのものが不安なのだ。
カールさんは返事を急かすでもなく、ただ真っ赤な顔で直立不動で待っている。二人ともこれでは、硬直したままお祭りが終わってしまいそうだ。
「ちょっとすみません! ……コレットさん」
私はコレットさんと後ろを向くと、喧騒に紛れるように小声で言った。
「別に一回踊ったぐらいで、お付き合いするわけじゃないですから。どうしても嫌じゃないなら、気楽に受けてみたらどうでしょう? 防壁の護石もあるし、何かあったら私が絶対に成敗しますから」
時間をかけて癒されるものも確かにあるけど、今回のケースだと嫌な思い出ばかり育ててしまう前に、色々な人と関わってみた方がいい。ブルーノのことがあったから、もう全員が信用できない――そうなってしまったら、もったいない気がする。
コレットさんは少しのあいだ唇を結んでいたけれど、やがて小さく息を吐く。
「……ルーシーがそういうなら、がんばってみます」
そう小声で返して、彼女はカールさんの方へ向き直った。
「よろしく、お願いします」
「は、はい! よろしくお願いします!」
カールさんの顔が、今度は喜びで輝いた。帽子を被り直す手がぶるぶる震えている。緊張しすぎだけど、いい人そうだ。
私はにっこり笑って、コレットさんの背中を軽く押す。
「では帰りは、責任もって工房まで送ってきてくださいね」
「応」
即答してから、カールさんはハッとした顔をした。
「あ、いや……分かった。必ず」
言い直した声が、さっきよりもほんの少しだけ落ち着いている。コレットさんは緊張したままだけど、「ルーシーも気をつけて」と小さく手を振ってくれた。
ちょっとぎこちない二人が、屋台の方へと並んで歩き出す。カールさんが何か話しかけて、コレットさんが控えめに笑う。その距離感は特に無理をしていないように見えて、私はほっとした。きっと競技会に出て自信がついたことも、トラウマを乗り越える助けになったのだろう。だといいな。
というわけで一人になったけど、せっかくのお祭りだし屋台を回ってから帰ろうか。親方がルミナを連れて昼飯を食べに行くと言っていたから、会えるかもしれない。
そう考えて屋台の並ぶ方へ向かうと、群衆の中に頭ひとつぶん高い人が見えた。あの金髪は……やっぱり、ブラッドさんだ。
屋台の前のハイテーブルでジョッキ片手にえらく憂いを帯びた姿を見せていて、人混みの中でも無駄に目立っている。羽飾りを付けているせいか周囲の女子がチラチラと視線を送っているのに、本人は全く気にする素振りがない。
いつものように挨拶しようとして、私はハッと足を止めた。
そういや、今は女の格好をしてるんだった。声をかけたら「お前誰だよ」ってなるし、リュクスだとバレたらバレたで厄介だ。
そう考えた瞬間、天青石の穏やかな瞳がこちらを向いた。さりげなく視界から逃げようとしていると、声がかけられる。
「リュクス?」
驚いたように名を呼ばれ、両肩がぎくりと跳ねた。




