第04話 まさかヤンデレだったとは
両手が、逃げられないように首を掴んだ。そのまま喉笛の下方から、ぐっと親指を押し当てられる。
この締め方、本気で、息の根を止めるつもりだ……!
男の、それも鍛錬を続けた騎士の握力は、姉の平手打ちとはまるで次元が違った。
息が、できない。
視界の端が、チカチカと明滅し始めた。
目尻に、涙がにじむ。まさかエリクが、と思えば悲しいけれど、やっぱりそうなんだ、と、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
結局、彼にとって本当に大切だったのは私ではなくて、自分の中で偶像化した理想のお姫様だったのだろう。あんなに甘い言葉で『お護りします』と言っていたのに、理想から外れた途端、こんな――。
『思い通りにならなかったら、殺すのね』
私は、声の出ないまま唇だけを動かし、皮肉に笑う。
とうとう、意識が闇に沈んだ――その瞬間。
ばちんっ、と弾けるような衝撃が走り、エリクの体が吹き飛んだ。白い壁に背中から叩きつけられて、剣帯がけたたましい音を立てる。銀髪が乱れて、端正な顔が苦痛に歪んだ。
「いかがなさいましたか!?」
さすがに音に驚いたのだろう衛兵が、許可も得ず部屋の扉を開けた。
瞬時に、意識が覚醒する。喉の痛みも、すでにない。いつも身につけている守護宝石が、全回復させたのだろう。
――つまり、私は一度、死んだのだ。
私はあふれそうになる涙をぐっとこらえて、それでも声を張り上げる。
「護衛が乱心したわ!!」
床に崩れたエリク、そして私が胸もとから取り出した壊れた守護宝石を見て、衛兵たちは瞬時に状況を察したらしい。
「エリク卿、何をされた!」
「その姫様は中身が悪霊と入れ替わっている! みな騙されるな!」
エリクは取り押さえられながらも、そう喚き続けた。衛兵二人がかりで押さえつけられて、なおも暴れようとする。碧い目が血走って、銀髪が乱れて――それすら絵になる光景は、どこか残酷にすら思えた。
「穢れの権化たる悪霊め、姫様を返せ! リュクサーナ様は、俺の姫様は、こんな阿婆擦れなんかじゃない……!」
……ああ。最後まで、そうなのね。
衛兵たちに引きずられるように、エリクは部屋から連れ出されていった。廊下を遠ざかっていく声が、だんだん小さくなってゆく。
――やがて、『姫様』を必死に呼ぶ声は、聞こえなくなった。
静かになった部屋で、私は寝台の端にへたり込む。何もなかったかのように痛みの消えた喉を撫で、私は目を伏せた。
結局、彼には本当の私を見てもらえていなかった。『俺の姫様』から外れてしまった私は、彼にとってこの世に存在すらしてはいけないものだったらしい。
ずっと味方をしてくれていた人を、傷つけたいとは全く思っていなかった。でも……首を絞められるとは、さすがに思っていなかった。
慰めてもらったことも、護ると言ってくれたことも、全部が嘘だったとは思わない。あの優しさは、確かに本物だったはず。ただ、その優しさの根源にあるものが……高貴でか弱い存在に対する、支配欲だったというだけで。
――私だから、では、なかった。
そう考えた瞬間、涙があふれた。
もしも気づかなければ、あのとき変化を誤魔化していれば、変わらぬ関係のままでいられたのだろうか。
家族からの、護衛騎士からの支配に気づかないふりをして、『かわいそうなお姫様』のままでいた方がよかったのか――初めて、今の自分に迷いが生まれた。
でも――もし仮にエリクの理想のお姫様を演じ続けていたとしても、いつか歪みは限界を迎えていただろう。従順であればあるほど彼の要求はエスカレートして、どこかで決定的に壊れてしまっていたはずだ。
だったら、今ここで終わりにできたのは、むしろ良かったのかもしれない。
……そう思いでもしなければ、心が折れてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
――翌朝。
国王の名の下に、二つの通達があった。
一つ、第二王女付き護衛騎士の解任。王女に対する反逆未遂の罪により、近衛騎士団からも除籍されるとのこと。
もう一つ――アングラード公爵令息マティアス・ブロンダンとの、婚約破棄。
理由は『姉君に暴力を振るうような女性とは、とても婚姻を結べない』というものだった。
「マティアスには迷惑をかけてしまったから代わりに未来の王配の地位をあげたのだけど、ひざまずいて感激していたわ。あなた、あれほどマティアスに執心していたのに、ちっとも想われていなかったのねぇ!」
また反撃されるのを恐れているのか、テネブラは私を軟禁している扉の向こう側から言った。
安全圏から煽るために必死で「残念ね!」とぶ厚い扉の向こうで声を張り上げている姿を想像し、私は内心で苦笑する。
マティアスは、ずっと姉に夢中だった。私の有責で婚約を解消する口実を探していた彼には、今回の件は渡りに船だったろうことは言われなくても知っている。
家族よりも一緒の時間を過ごした護衛騎士と、親の決めた婚約者。それは家族以外の、たった二つのしがらみだった。だが共に、たったの一晩で消えてしまった。
以前の私にとって、この二人は心のよりどころだった。エリクの護るという言葉にすがり、マティアスとの婚約に未来を託していた。それがどんなに頼りないものだったとしても、それしかないと思っていた。
でも今は……どちらも手放して、正解だったのだと思う。
過去の私がマティアスとの婚約に執心していたのは、彼に恋をしていたからじゃない。結婚が、いつかこの王宮から出られる唯一の希望だったからだ。
鳥籠のようなこの場所から颯爽と救い出してくれる、物語の王子様。それさえいれば、相手は正直誰でもよかったのだろう。
――でも、もうやめよう。誰かに連れ出してもらうことを期待するのではなくて、自分の力で自由をつかむのだ。




