第32話 決着
「どこの工房だ」「ひでえ話だなぁ」と、小さく囁き合う声がする。
「相手がどこかは、申しません。でも皆さんの中に、お心当たりのある方がいらっしゃるのではないでしょうか」
コレットさんの視線が一瞬だけ、ある区画の方にまっすぐ向けられて――すぐに逸らされた。
「わたしたちの工房には、親方が時間をかけて磨き上げた技術があります。それを卑怯なやり方で奪おうとする人に、屈服するわけにはいきません」
声が、わずかに震えだす。
でも、あふれ出す言葉は止まらない。
「今日、わたしがここに立てたのは、工房を信じて力を貸してくれた人たちのおかげです。新しい道具を一緒に作ってくれた木工工房と鍛冶工房の皆さん。原石を採掘したり、準備を手伝ってくれたりした仲間たち。そして、どんなときでも背中を支えてくれた親方」
コレットさんの目から、涙がこぼれた。
「わたしたちは、屈服しません。これからも誠実に、石と向き合っていきます。だから――もし、うちの工房の噂を聞いたことがある方がいたら、どうかもう一度、わたしたちの仕事ぶりを見てください。預かった原石をすり替えるなんて、絶対にしません!」
一瞬の沈黙の後――会場から、割れんばかりの拍手が起きた。
「よく言った、嬢ちゃん!」
真っ先に声を上げたのは、ギュンター親方だった。
「弟子の引き抜きに悪評流し、あげく暴力だと? 職人の風上にも置けねぇやつだ!」
その声に呼応するように、他の工房の代表たちも口々に声を上げ始めた。
「うちにも変な圧力がかかったことがあるぜ!」
「あそこは前からやり口が汚ぇと思ってたんだ!」
「領主様、しっかり調査してくだせぇよ!」
会場が怒号に近い声で満たされる中、いつの間にか心当たりのある皆の視線を集めていたアントンは、顔を真っ赤に染め上げた。
「この……雑魚工房どもがッ……!」
捨て台詞を吐いて、取り巻きを引き連れて会場から逃げるように撤収していく。
審査員席の伯爵は、鋭い目でその一部始終を見届けていた。表情を変えないまま、何かを側近に囁いている。
――あの様子なら、動いてくれている。おそらく今日のことは、このまま終わらないだろう。各工房の正常な競争を妨げることは、領主としても看過できない問題だろうから。
壇上から降りてきたコレットさんは、涙と汗でぐしゃぐしゃの顔をしていた。でも、笑っていた。
「やりました……リュクスさん、やりましたよ……!」
「コレットさん、本当に、おめでとうー!」
私は駆け寄ってハグしようとして……寸前で、急停止した。そういや、男装してるんだった。
「どうしたんですか?」
「いや、喜びのぎゅーをしようと思ったんだけど、男の格好で変な噂になったらコレットさんの迷惑になるかなって……」
「ふふふ、リュクスさんとなら、噂になってもいいですよ!」
「えっ!? ああ、虫よけ的なやつか!」
「どうでしょう?」
そう言って、コレットさんは楽しげに笑う。
親方が何も言わず、ただ娘の肩をぽんと叩いた。そっちはそれだけで、全てが伝わったようだった。
ふと視線を感じて、客席の方を見る。興奮した様子で今日の感想を言い合う観客たちの中で、ただ一人だけ立ちすくみ、悄然とこちらを見つめている男がいた。
コレットさんが振り向いてくれるのを、待っていたのだろうか。でも彼女がその視線に気付くことはなく――やがてブルーノの姿は、人混みに呑まれて消えた。
◇ ◇ ◇
荷車に二台の研磨台を積み、その横にルミナをちょこんと乗せて、四人で工房への帰路についた。
最後にもう一度ブラッドさんにお礼を言おうと思って捜したけれど、もう彼の姿はなかった。でもきっと、また近いうちに会えるだろう。
夕暮れの街並みを、ガラガラと荷車を引きながら歩く。競技会の疲労と高揚感で、皆どこかふわふわしているようだった。
「コレットさん、改めて入賞おめでとうございます!」
「ありがとう、リュクスさん。……本当に、あなたのおかげです」
「だから僕じゃなくて、研磨台はライムントさん達がいなきゃ製作どころか本番の運用も大変でしたし、妨害されそうになっていたのを事前に防いでくれたのはブラッドさんですし……」
「そこをつないだのはリュクス、お前だろう」
親方が、珍しく口元をかなり緩めて言った。
ルミナは荷車の上で研磨台にもたれかかり、うとうとし始めている。でも小さな手は研磨台が倒れないように、しっかりと木のフレームを握っていた。
そのまま平和に帰れるものだと、思っていた。
工房まであと一つ角を曲がるだけ、というところで――横路から複数の人影が現れる。
「待てよ、お前ら」
アントンが、怒りの形相で立っていた。後ろには四、五人の屈強そうな男たちを従えている。さっきの会場での取り巻きたちと、顔ぶれが違う。こいつらは職人ですらなくて、そういう仕事を請け負う手合いなのだろう。
「何の用だ」
親方が問うと、アントンは鼻の頭にぐっと皺を寄せて言った。
「その研磨台を置いていけ。そんなもの使ってオレに恥をかかせやがって……それはうちの技術になるはずだったんだ」
大会前に聞いた、妙に気取った猫なで口調じゃない。こうなってしまったら、話し合いは通じないだろう。ただひたすらに、力任せに追い込もうとする。
「んな理屈が通ると……!」
進み出ようとする親方の服をちょいちょいと引いて、私は代わりに前に出た。
「ちょっと、代わってもらっていいですか?」
「なんだお前、ヒョロくせぇガキが、舐めてんのか!?」
アントンは派手なレース袖に覆われた手を、振り上げる。
「お前ら、やっちまえ!」
声と共に、手下たちが一斉に動いた。
坑道内では、範囲魔法の使用が禁止されている。しかしここは往来で、人通りも少ない状況だ。建物を壊さない程度の火力であれば、制限する法はない。
……よし!
利き手の指輪にセットしたままの雷の護石に、魔力を流す。
「コレットさん、親方、下がってください。ルミナを頼みます!」
言い終わるより先に、護石にパリッと小さな雷光が走った。
「降らせ連雷撃!」
幾条もの蒼白い雷撃が走り、ならず者たちを絡め取る。彼らはスタンガンを撃ち込まれたかのように、ビクンっと盛大に跳ねて倒れ伏した。
……まあ、あまり酷いケガをさせると、過剰防衛でこっちが捕まっちゃうからね。
坑道に出る魔物たちより大きくて動きも遅いから、ずいぶんと当てやすい的だった。
「なっ……こんなガキが、術師……!?」
アントンはそう辛うじて言うと、青い顔を上げた。それでもまだ諦めきれないのか、フラフラと立ち上がろうとする。
そこへ、ゴツンッと重い音がした。
「……ッ!?」
ダヴィド親方が、無言で脳天に拳骨を落とした音だった。
アントンは白目で泡を吹き、崩れ落ちる。
「右手の礼だ」
親方はそれだけ言うと、こちらへと踵を返した。
手下たちは痺れから回復した順に、蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。アントンもなんとか再び起き上がり、「おい、まてっ、お前ら、金返せっ……!」と、ヨロヨロと手下の後を追って行った。
路地に、ようやく静寂が戻る。あとはいい感じに、伯爵が煮たり焼いたりしてくれるだろう。ゴットホルト工房は領主からの研磨の下請けもかなりの量を受注していただろうから、それが停止になるだけでも責任問題で大変なことになりそうだ。
「もう大丈夫ですよ」
私は夕日を背負いつつ、微笑みながら皆を振り返った。
「リュクスさん……」
コレットさんが、ルミナを抱えたまま私を見た。夕日のせいか、見開かれた目がキラキラと輝いている。
「リュクスさんが、本当に男の人だったらよかったのに……!」
「え?」
私が目を丸くすると、ダヴィド親方が珍しく慌てた顔をした。
「おい、コレット。お前今なんつった」
「だってどんな男より、リュクスさんの方が素敵なんだもの……」
「いやそれはブルーノとアントンがひどすぎただけで、世の中には優しくて誠実な男性もたくさんいますよ?」
「その謙虚なところも素敵です……!」
「謙虚もなにも、ただの本当のことですよ。例えばブラッドさんとか、今日まさに紳士から神に昇格されたところですし!」
少しだけ慌てて言った私を見て、コレットさんはさも面白そうに破顔した。
「ふふ、そんなこと言ったら神殿におこられちゃいますよ!」
「あ、ヤバい」
そういやこの国って、一神教なんだった。神は余裕で八百万いる日本に比べて、そこのところはけっこう厳しいらしい。
夕焼けの路地に四人ぶんの笑い声と、車輪の音が響いた。
この街に来て、まだ三ヶ月ほどしか経ってない。なのに日々新しい出会いがあって、毎日が新鮮な出来事に彩られている。
もちろん、まだ不安は多い。王宮からの追っ手は、とっくに王都の外まで拡がっている頃だろう。
――でも今は、とっても清々しい気分だ。
私は荷車を押しながら、これからの未来に想いをはせた。
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