第31話 盤上の白鳥
開会を示す角笛の音が鳴り響き、いよいよ競技が始まった。各工房の作業スペースにて、代表者が位置に付く。コレットさんが足踏み回転研磨盤の横に立つ姿を見て、会場がざわめいた。
「なんだあれ、見たことねぇ道具だが、研磨台なんか?」
「ダヴィドんとこ、変わった物を持ち込んだなぁ」
審査員席の中央には、見覚えのある灰色の長髪に目つきの鋭い男性が座っていた。やはりあれが、ファセッティーナ伯爵だろう。
伯爵は今日もどこか顔色が悪い感じだけれど、眼光に隙はない。あの目は、見るべきものを見逃してはくれない目つきだ。
私はさりげなくコレットさんの後ろに控えつつ、首にかけていたゴーグルを装着した。この距離なら作業区画にいる手元職人の顔はよく見えないはずだけど、念には念を入れておこう。
まず競技の初めに行われるのが、原石の選定だ。
審査員席の前に置かれた木製のテーブルに、大量の魔石の原石が並べられた。三十を超える大小の工房の代表たちが、くじで引いた数字の順に一つずつ原石を選んでゆく。
コレットさんの番が来た。短い制限時間の中、外観だけで石の品質を見極めねばならない。ずらりと並ぶ原石の前に立ち、さっと視線を巡らせる。会場は屋外だから、めぼしい原石を手に取っては陽光にかざしてゆく。
コレットさんの手が、ある一つの原石で止まった。制限時間に少しの余裕を持って、作業区画へと戻る。
区画に戻ったコレットさんは、工房特製の灯明入りの穴あき箱に原石を乗せて、ルーペを取って内部の状態を精査し始めた。割れ目の位置に、内包物の分布、そして結晶の方向性――それらを素早く見極めて、まず荒割りの位置を決める。
私は邪魔にならないように、灯明の光を通す魔石をそっと横から覗き込んだ。仕上がりのクラリティは、おそらく中の上か。インクルージョンが少なめで、クラックも端のほうに集中しているから、中心部分は透明度が高そうだ。
この石ならば、コレットさんの腕前を存分に発揮できるだろう。コレットさんが原石から顔を上げ、ひとつうなずいた。
そのとき――作業開始の角笛が、鳴った。
コレットさんは手早くタガネでの荒割りを終えると、回転研磨盤へ向かった。ミモレ丈の赤いスカートからのぞく足が、リズミカルにトレドルを踏み始める。
軽快な音を立て、石盤が滑らかに回転を始めた。その上に研磨剤を水とともに広げ、原石を当てる。
シャリシャリと規則正しいリズムで、石の表面が削られてゆく。まるで湖をゆく白鳥のように、水中では常に足を搔いて推進しつつ、水上の姿は優雅でブレがない。
やがて驚きから感嘆へと、会場のざわめきが変わっていった。
「すげぇ、あの速さで角が取れてくぞ」
「足で盤面の方を回してんのか……なるほど、刃研ぎに使ってんの見たことあるなぁ」
「あの速度じゃ相当の力がかかってるだろうに、石を支える指先にブレがねぇ。あの娘、なかなかの腕前じゃねぇか」
周囲の工房の代表たちも自分の作業をしながら、チラチラとコレットさんの手許に目を奪われていた。
職人たちの目は、正直だ。良い仕事には、きちんと敬意が向けられる。
初めの荒削りが終わり、コレットさんが顔を上げた。彼女が二台目の研磨盤に向かう間に、私はすかさず木工職人さんの手を借りて一台目の石盤を少し目の細かいものに交換する。
やがて制限時間が半分を過ぎた頃……磨き上げの工程に入りつつ、コレットさんの集中力はますます研ぎ澄まされていた。
無駄な動きなんて、一つもない。十五年かけて体に刻み込まれた技術が、新しい道具と完全に融け合っている。
やがて、仕上げの革磨きを行っているところで――終了の角笛が鳴った。
「時間です。各工房、研磨を終了してください!」
コレットさんが、ふう、と長い息を吐いた。額には、玉の汗が浮いている。
各工房から提出された魔石が、審査員の元に運ばれてゆく。コレットさんが仕上げた石を見て、私は息を呑んだ。
――美しい。浄化前の魔石が持つ淡い紫の輝きが、精密に計算された面から放たれる光となっている。内包物を巧みに避けた面取りで、石の最も透明な部分が最大限に活かされていた。
こんな短時間で、ここまで仕上げるとは。
「……すごい」
思わず感嘆の声を漏らすと、コレットさんが照れたように笑う。
「リュクスさんが作ってくれた研磨盤のおかげです」
「それは木工工房と鍛冶工房の皆のおかげですし……何より、この石を磨き上げたのは、コレットさん自身の腕ですよ」
「全員だろう」
白布で腕を吊り、後ろでルミナと並んで見守っていた親方が、ぼそりと言った。
審査が進む中、予想通りの事態が起きた。
「異議あり!」
ゴットホルト工房の陣営から、声が上がったのだ。
「あのような機械を使うのは卑怯じゃねぇか! 研磨は職人の腕の力だけで行うべきだ!」
アントンの取り巻きが、審査員席に向かって声を張り上げている。アントン本人は苛立ちを隠せない形相だけど、腕を組んで口を引き結んでいた。
貴族を相手に文句を言うという、リスクを負いたくないのだろう。自分では動かず手下に言わせるあたり、想像以上に姑息な男だ。
会場がざわめく中、審査員長である伯爵が、自ら口を開く。
「競技会の規定では研磨に使用する道具の工夫は自由とされており、事前に全工房へ等しく告知済みである」
その細身からは驚くほどよく通る、有無を言わせない声だ。
「むしろ道具の工夫も、職人の技量の一部として審査の対象とする。以上」
ゴットホルト工房の異議は、一蹴された。会場からパラパラと拍手が起きると、アントンの顔が目に見えて歪む。
伯爵様、超グッジョブ……!
思わず尊敬の眼差しを向けると、若き伯爵が暗灰色の前髪をかき上げていた。陽光が、左の中指に嵌めた指輪をキラリと光らせる。
なんとなくその石の気配が気になって、私は拍手をしながら審査員席へとさりげなく近付いた。ギリギリまでにじり寄り、じっと指輪の石を観察する。
それは黒曜石のような、艶のある真っ黒な半球体だった。護石は無色透明なほど効果が高いことが多いから、貴族がわざわざカラーストーンを身につけるならば普通の宝石だと思うところなんだけど……やっぱり、あの石からは魔力の流れを感じる。まさかあれ、陰陽石では!?
陰陽石が発現すると、それまで完全無欠点だった石がほんのり乳白がかったシャボン玉のような、不思議な色合いに変化する。さらに魔力を流して効果発動すると、漆黒に変色するのだ。
――つまり黒い護石があるならば、その持ち主には性別転換が発動している可能性が高い。
私は宝石姫としての研鑽の中で護石を流れる魔力も掴めるようになったけど、普通の人にはただの黒曜石のファッションリングにしか見えないだろう。
陰陽石の一番の需要は、直系に娘しかいない貴族が親族に爵位を取られないように、娘を息子だと偽るパターンにあるという。
もしかして、あの伯爵は……。
……もし仮にそうだったとしても、持ち主自身が陰陽石を絶対に必要としていることになるから、どんな大金を積んでも譲ってくれそうにない。
私はひとまず諦めて、ダヴィド工房の持ち場に戻ったのだった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、審査結果が発表された。
一位の黄金級は、老舗の中堅ギュンター工房。大ベテランのギュンター親方が圧巻の技術を見せた。
そういえばギュンター工房って、ブラッドさんがいつも石を卸してるって言ってた工房だったかも。さすが、ブラッドさんが常連になるだけのことはある。
そのまま二位、三位、四位と名前が呼ばれても、ダヴィド工房の名は呼ばれない。それはゴットホルト工房も同じだけれど――。
「――五位、青銅級。ダヴィド工房、コレット!」
会場から、大きな拍手が湧いた。
コレットさんが、目を真っ赤にしている。泣きそうなのを、必死にこらえているようだ。
――方やゴットホルト工房は、入賞を逃すことが決定した。
アントンの研磨自体はそこそこの出来だったらしいけど、原石の荒割りで歩留まりに欲を出しすぎてクラックを見落とし、研磨中に石が欠けてしまったのだ。
自業自得としか言いようがないけれど、誰より大きく仕上げたいという見栄が判断を鈍らせたのだろう。あるいはブラッドさんに小細工要員を潰されたことが気になり、集中力を欠いていたのかもしれない。
「ではまず黄金級から、宣伝の時間が与えられます。ギュンター工房代表、壇上へ」
司会の声でまず初めに壇上へ上がったのは、一位を獲ったギュンター親方だった。白髪に日焼けした顔の、いかにも叩き上げの職人という風貌の初老の男性だ。
そして二位、三位、四位……と順番に、それぞれの代表が工房の技術と理念を、熱を込めてアピールしてゆく。
「――最後は青銅級。ダヴィド工房代表コレット、壇上へ」
司会者に名を呼ばれ、コレットさんが壇上へ向かう。手を少し震わせつつ、それでも足取りはしっかりとしていた。
「ダヴィド工房の、コレットです」
コレットさんが口を開くと、会場がしんと静まった。
「宣伝の前に、まずこの場をお借りして、皆さんにお伝えしたいことがあります」
コレットさんは、一度深く息を吸った。
「わたしたちの工房は――この半年ほど、ある工房から嫌がらせを受けてきました」
会場に、軽いどよめきが起こる。
「まず弟子を引き抜かれました。次に研磨に預けた石をすり替えているという、ありもしない悪評を流されました。さらには取引先を圧力で締め出されて、研磨する原石すら手に入らなくなりました」
コレットさんの声が、広場に響く。
「助けて欲しければ結婚しろと迫られ、断ったら嫌がらせが激しくなりました。そしてこの競技会の直前には、父の――親方の、利き手を潰されました」
ざわ、と、会場が強く波打った。




