第30話 からの、あなたが神か
――競技会当日。いつもの串刺しにして暖炉であぶったチーズとパンの朝食を取りながらも、工房にはいつもと違う空気が流れていた。
この地方の伝統的な作業着姿のコレットさんは、半袖の白いパフスリーブブラウスのウエストを編み上げの黒い胴衣できゅっと締め、下は赤いスカートに刺繍入りのエプロンでバッチリ決めている。だが昨夜から気合が入りすぎていたのか、目の下にはクマができていた。
そして親方はといえば、ただでさえ少ない口数が、普段の半分以下になっている。なぜかいつもより早起きしたルミナは食事を早々に終えると、台所と工房をちょこちょこと何度も往復し始めた。
何をしているのかと聞いたら、「みまわりをしてるの」だという。なお、何の見回りかは謎だ。
私はコレットさんからタスクを引き取った食卓の片付けを終えてから、ファセッティーナ伯爵からの身バレ防止対策について鏡の前で頭を悩ませていた。
競技者でもないからそんな近くで挨拶することはないと思うけど、万が一のことはある。
ひとまず、工房にあった作業用の防塵ゴーグルをかけてみた。ずっしり重いし視界は狭められるけど、ちょっとスチームパンクっぽくて格好いい。
でもなんか足りない気がする。伯爵クラスともなれば、王都にいなくても王女の失踪を知るぐらいの情報源は用意しているだろう。ならば国王にそっくりなこの髪色は、連想されて危ないかもしれない。
大きなベレーに似たフェルト帽を取り出して、頭にかぶる。
これで、髪色が目立たなくなった……?
でもまだ不安で、私は昨日作っておいた小さな毛束を手に取った。鼻の下に、糊でペタリと貼り付ける。
さすがにここまでやれば、王女には見えないはず……!
意気揚々と部屋を出ると、廊下でコレットさんと鉢合わせた。
「リュクスさん、そろそろ……ど、どうしたんですか!? その、鼻の下……」
「ちょっとした変装です」
「へ、変装?」
やりとりを聞きつけたのか、親方とルミナが工房の方から顔を出す。
「……何やってんだ、お前」
「ちょっと、顔を見られたくない人が会場にいるかもしれなくて」
「いくら見られたくねぇっても、なぁ……」
三人の怪訝そうな視線に耐えかねて、私はつけヒゲをぺりっとはぎ取った。
「……やっぱり不自然ですかね」
「不自然というか、不審者だろ」
「ちょびげ、ヘンだよ」
親方とルミナの、容赦ない言葉が突き刺さる。ゴーグルも、普通は作業中でもないのに装着したまま出歩く人はいないらしい。
――過ぎたるは、なお及ばざるが如し。
結局私は帽子だけ被ってゴーグルを首にかけ、会場へと向かった。
◇ ◇ ◇
街の中央広場に到着すると、すでに多くの人で賑わっていた。
研磨工房たちの競技会は、年に一度の夏の大イベントとあって、工房の関係者だけでなく一般の市民も多く見物に集まっている。屋台もたくさん出ていて、ちょっとしたお祭りみたいな雰囲気だ。
会場の入り口に差しかかったところで、待ち構えていたように声をかけられた。
「おう、コレット」
おぼつかない足取りで現れたのは、元弟子のブルーノだった。朝っぱらから飲んでいたのか、それとも昨日からずっと飲み続けていたのか、顔中がドス赤い。
「今日は、お前が出るらしいな。お前なんかが親方の代わりだって? 笑わせるぜ」
コレットさんが、きゅっと唇をかむ。
「やっぱり、オレに代わりに出て欲しいんじゃねぇのかぁ?」
「いらない」
コレットさんは、短く言い切った。それは半月前に震えていた少女とは別人のような、凛とした声で――。
「……ハッ、いい気になってろよ。客席から、お前の無様な姿をよぉくみててやる」
ブルーノは負け惜しみを吐いて、観客席のほうへ消えていった。それを待っていたかのように、別の一団が現れる。
「やぁ、ダヴィド工房さん。今日は愛しのコレットが、けなげにもケガをした親方の代役を務めるそうではないですか」
これがゴットホルト工房の跡取り息子、アントンだろうか。ウェーブがかった長髪に貴族のコスプレみたいな服を着て、取り巻きを何人も従えている。
「今日はねぇ、がんばりやさんのコレットに、贈り物があるんだよ。ボクが入賞したら、壇上からキミへ熱烈に求婚してあげる。キミの工房の窮状も、ボクが救ってあげるからね?」
どうやら敵方も、同じようなことを考えていたようだ。壇上から堂々と公開プロポーズしてみせることで観客たちの熱気を味方につけ、外堀を埋めるつもりだろう。
それにしても、自分が窮状に追い込んでおいて、恩着せがましく救ってあげようだなんて……。
入賞者の宣伝は、上位から順に行われるという。なんとしてもアントンより上位入賞して先にスピーチしなければ、会場の空気を持って行かれてしまいそうだ。
「君はきっとまた恥ずかしがるだろうけど、可愛いコレットの頬が真っ赤に染まるのが楽しみだなぁ」
ニヤニヤと笑いながら、アントンは「ではお先に」と、会場の中へ入って行った。
コレットさんの拳が、小さく震える。でも、顔はしっかりと前を向いていた。
「大丈夫。ちゃんとやれます」
私にではなく、自分自身に言い聞かせているのだろう。私が「やっちゃいましょう」と笑うと、コレットさんもようやく少し笑みを返してくれたのだった。
会場となっている広場の中に到着すると、各工房の作業スペースが地面に縄を張って区画分けされていた。スペースはそこそこの広さがあって、すでにいくつかの工房が研磨台の搬入作業を始めている。
ダヴィド工房に割り当てられた区画に到着すると、先に着いていた木工工房のライムント親方とその弟子たちが「遅ぇぞ!」と機材の荷下ろしを手伝ってくれた。
「輸送すりゃあ、どうしても微妙にネジが緩んじまうからな。大丈夫そうでも必ずぜんぶ確認して、締め直すのを忘れんなよ!」
親方の声に「応!」と言って、木工職人たちが手際よく二台の回転研磨盤を区画内に設置した。そのまま一つ一つ丁寧にネジを確かめて、ほどよく締め直してゆく。
最後に一番目に使う石盤をセットして、踏み板の動作確認を始めた。シュルルルル……と軽やかな音が鳴り、盤面が滑らかに回る。
一台目の調整を終えたら、同様に二台目に取り掛かる。
「リュクス」
そのとき。聞き慣れた声に顔を向けると、ブラッドさんが立っていた。採掘用の装備を外した私服は初めて見るけど、無造作に袖をまくったシンプルな白シャツ姿が、夏らしくて爽やかだ。
「ブラッドさん、来てくれたんですね!」
「約束したからな。せっかくだから挨拶に来た」
ブラッドさんはそう小さく片手を上げて言いながら――もう片方の後ろ手に、ぐったりとした男を一人引きずっている。
「……あの、ブラッドさん。その人は?」
「ん? ああ、こいつか」
ブラッドさんは、何てことないように微笑んだ。
「酔っぱらっているんじゃないか? こんなところに寝てたら邪魔だから、会場の外に捨ててくるよ」
にっこりとした笑みは穏やかそのものなのに、引きずられている男は白目をむいて、完全に意識を失っている。どう見ても、朝っぱらから酔い潰れた人間の顔色ではない。
「……ありがとうございます」
「何のことだ?」
たぶん、アントンが何か小細工をしようとしたのだろう。それをブラッドさんが気付いて未然に防いでくれた、ということだろうか。
あなたが神か……!
飄々と去ってゆくブラッドさんの後ろ姿を見送りながら、私は内心で手を合わせて拝んだのだった。




