第29話 先輩が紳士すぎるんですが
浅層を抜け、中層の手前にあたる区域に差しかかると……空気が変わった。
前回のツアーで感じたあの湿度と、かすかな瘴気の気配。でも今回は、ブラッドさんが先導してくれている。危険な兆候があればすぐに見分け方と共に教えてくれるとのことで、ものすごく頼もしい。
途中、壁面の穴から這い出てきた魔物に遭遇した。とがった鼻先に長く鋭い爪、小さめの子熊ぐらいの大きさがある、毛むくじゃらの魔獣――イワホリモグラだろうか。
「来るぞ、対処できるか?」
「はい!」
私は落ち着いて、雷の護石をセットした指輪をかざす。魔力を流すと護石に小さな薄紫色の雷光が、パリッとはじけた。
「落ちよ雷撃!」
雷には、坑道内では比較的導電性の高い生物に対して、自然の追尾性能があるはずだ。私はまだ実戦での命中精度が足りないから、これで――!
巨大なモグラへと、吸い込まれるように雷撃が落ちる。こちらへ突進していた塊がビクンっと硬直したかと思えば、音を立てて倒れた。
「……いい判断だ」
ブラッドさんが感心したように、青灰色の目を細めた。
「前より随分と踏み込みのタイミングが良くなったな。雷属性を選んだのも、自分の弱点をよくカバーしている」
「ブラッドさんに色々と教えてもらったおかげです」
「俺が見せたのは、前衛の基本の立ち回りだけだろう。それを本来後衛である術師の立ち回りに応用したのは、君の力だ」
ブラッドさんにまっすぐ褒められると、素直に嬉しい。
つい照れ照れしながら歩いているうちに、ブラッドさんオススメの採掘ポイントに到着した。鉱脈を見つけて向き合うと、石の声がいつもよりはっきりと聞こえてくる。この岩壁の奥に、原石が眠っているのだろう。
まずピッケルを振るい、最後はタガネで丁寧に掘ってゆく。コロンと転がり出てきたのは明るい紫に輝く魔石で、浅層で採れるものより明らかにクラリティが高そうだ。
ブラッドさんが、私の手元を覗き込む。
「これは良いものだな。研磨次第で、かなり良い護石になるんじゃないか」
「やった!」
思わず、小さく拳を握る。するとブラッドさんは笑って、同じく拳を作ってコツンと当てた。
「よし、次だ」
「はい!」
◇ ◇ ◇
ブラッドさんが受注していた依頼の納品を終えて、私たちはギルドを出た。まだ高い所にある太陽を見て、私はハッと思い出す。そうだ、お昼ごはんを食べてない。
私は意を決して、口を開いた。
「あの、ブラッドさん」
「ん?」
「今日のお礼に、お昼ご飯をごちそうさせてください」
言ってしまってから、なぜか心臓がばくばくとした。次こそは絶対ランチに誘うぞ~と、前々から気合を入れ過ぎていたからかもしれない。
ブラッドさんは少し目を丸くして、それからいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「いいのか? 駆け出しは何かと物入りだろう」
「大丈夫です。おかげで、最近少しずつ稼ぎも安定してきたんですよ。お世話になりっぱなしですし、せめて何かお礼がしたくて」
「そういうことなら遠慮なく」
そう言って破顔したブラッドさんが「いい店を知っている」と案内してくれたのは、ギルドの裏通りにある小さな食堂だった。飾り気のない木の看板に、湯気の立つ鍋の絵が描いてある。
そこは安くてうまいことで採掘者に人気があるらしく、昼下がりの店内はまだ多くの人で賑わっていた。間もなく空いた席につき、この街の名物、かつブラッドさんのおすすめでもあるチーズフォンデュのセットを、二人前注文する。
お値段を確認し、私はお手頃価格に胸を撫で下ろした。私がおごると言ったから、リーズナブルなお店を選んでくれたんだろうか。こういうさりげない気遣いが、やっぱり紳士だ。
「そういえば最近妙に熱心に採掘しているのは、何か理由があるのか?」
セットが来るのを待ちながら、ブラッドさんが問う。少し迷ったけれど、私は皆が広く知っている範囲のうちで、工房の事情をかいつまんで話すことにした。
とある工房からダヴィド工房が受けている嫌がらせ、そして親方の利き手が、ならず者に潰されてしまったこと。
「……そんなことになっていたのか」
ブラッドさんの顔が、苦みをおびた。
「君の下宿先の工房によくない噂が流れているのは、俺も耳にしていた。だが根も葉もない話のようだったから、あえて聞き流して忘れるようにしていたんだが……」
「ブラッドさんは、いつも別の工房とお取引されているんですよね?」
「ああ。俺はずっとギュンター親方の工房にだけ石を卸しているからな。だから他の工房のいざこざには疎くてな……すまない」
「いえ、ブラッドさんに謝っていただくことじゃないですよ。むしろ迷惑をかけたくなかったから、話すべきか迷ったぐらいなので」
「そこだ」
ブラッドさんが、やや強めの声で言った。
「君は、迷惑をかけたくないと言って一人で抱え込みすぎる傾向があるだろう。前にも言ったが、困ったときは迷わず声をかけろ」
「……すみません」
「謝らなくていい。俺が聞きたかっただけだ」
そこへフォンデュ鍋が運ばれてきて、会話が途切れた。濃厚なチーズの奥にキリッとした白ワインが香る鍋の向こうで、ブラッドさんは何かを考えるような顔をしている。
「競技会、俺も観に行くよ」
細長いフォークに刺したパンにとろとろのチーズを絡めつつ、彼はごく自然に言った。
「え……いいんですか?」
「そういや研磨の大会はゆっくり見たことがなかったからな。楽しみだ」
目を細めて微笑む、その顔は――もしかして会場でトラブルが起きたときのために、見守りに来てくれるということだろうか。
さすがにそこまでは、率直には聞けなかった。でもブラッドさんは私が気にするタイプだと察して、こうして『自分が行きたいから行く』という形にしてくれているのだろう。
なんという、ジェントルマン……!
それからも二人で鍋をつつきつつ、中層で出やすい魔石の特性や、赤銅等級への昇格試験のポイント、それからファセッタで評判のいい各種工房や食堂をいくつか教えてもらった。さらには「焼菓子ならあそこだな」と、なぜか地元のスイーツ情報まで教えてくれたのだった。
鍋底で香ばしいおこげになったチーズまで「これが美味いんだよな」と楽しく平らげてから、私たちは店を出た。
「ごちそうさま。たまにはこうして人と飯を食うのも、いいものだな」
さっき聞いた話だと、ブラッドさんは採掘も普段はソロが多いようだ。クレールさんからは面倒見がいい人だと聞いたけど、意外に独りを好むタイプなんだろうか。でも今日は楽しんでもらえたなら、何よりだ。
「すごく美味しかったです。またいいお店があったら教えてください」
そんな話をしつつ店を出たところで、ブラッドさんが手を上げた。
「じゃあ、競技会の日にな」
「はい、また!」
私は自立したいと思っていたけれど、それは誰の力も借りないって意味じゃないのかもしれない。借りた分をいつか返せるように、今は恩を忘れないでいよう。
私は去ってゆく背中に小さく会釈すると、工房へと足を向けた。




