第26話 ざまぁでは、すまさない
男の手首を、横からガッシリ鷲づかむ。
「やめろ、この○○○野郎」
これまでなんか恥ずかしくて言えなかった放送禁止用語が、男装しているせいかサラッと出た。服の力ってすごい。
「リュクスさん!」
コレットさんが、私の腕にすがるようにして背後へ回り込む。
「さっきから誰だよお前! コレットの新しい男か!?」
ブルーノとやらが、私の手を振り払う。やっぱり、腕力では敵わないか。
「ハッ、こんなひ弱で生っちろい男が趣味だったのかよ。えれぇ親しげだが、こいつとはもう寝たのか?」
背後で、コレットさんが息を呑む音が聞こえた。顔は見えない位置だけど、私の袖をつかむ指がかすかに震えている。――こいつのせいで。
「僕はただの、ここに下宿している店子だ。宝石採掘者をやっている」
私は、ブルーノに中指の指輪を見せつけるように右手をかざした。幅広の指輪にセットされた護石が、部屋の灯明を受けて鈍く輝いている。
「おとなしく出てけ。この工房を壊したくはない」
ブルーノの目が、私の指に釘付けになった。
「護石の指輪……チッ、術師かよ!」
舌打ちをして、だが少し怯えたように後ずさる。あれは、研磨職人の目だ。一瞬で護石の透明度――つまり効果の高さを見抜いたのだろう。
その眼力を、少しだけ惜しいと思った。あのダヴィド親方が工房の後継ぎにと見込んでいただけあって、石を見る目は確かだったのだ。それだけの腕があれば、もっと別の道があっただろうに……。
「おおかた、ゴットホルト工房に誘惑を依頼された女には、さっさと逃げられたんだろ。ざまぁねぇな」
「ちっげぇよ! あんなアバズレ、オレのほうから捨ててやったんだ!」
どうやら、図星だったらしい。顔を真っ赤にして叫ぶあたり、相当こたえたのだろう。だが今さら選択ミスを後悔しても、自業自得だ。
私は甲の方を向けていた手をスッとひるがえし、ブルーノへ指先を向けた。指輪の護石へ魔力を流すと、薄紫色の雷光がパリパリと小さく跳ねる。
「とっとと出てけ。これ以上、恥の上塗りをしたいのか」
「てめぇ……!」
ブルーノが、歯を剥いた。
「すぐにこんな工房ぶっ潰してやる。路頭に迷いたくなけりゃ、せいぜい早めに次の寄生先を探しとくんだな!」
捨て台詞を吐いて、身を返す。出口に向かって大股で歩き出し――扉を開けた先に、ダヴィド親方が立っていた。
右手を白布で吊っているとはいえ、大柄な体躯に、鋭い目。逆光で入口に仁王立ちする親方の存在感は、それだけで圧がすさまじい。
元一番弟子は、目に見えてヒュッと縮み上がった。
「お、親方っ……」
「……」
親方は何も言わなかった。ただ、黙って元弟子を見下ろしている。
「お、覚えてろよっ……!」
定番中の定番のセリフを震え声で吐いて、ブルーノは親方の脇をすり抜け、転がるように逃げて行った。
……あの捨て台詞、どこでも同じなんだなぁ。
足音が完全に消えてから、親方がゆっくりと工房の中に入ってきた。
「親方、お加減は……」
「折れている。半月じゃとても治らんと言われた」
短く、事実だけを告げる。その声に感情は乗っていなかったけれど、利き手を見つめる緑柱石の瞳の奥に、深い無念の色がにじんでいた。
「診断記録は、しっかり取っていただきましたか?」
「ああ。だが、なぜそんなことを気にする?」
「……すぐに分かります。ちょっと待っていてくださいね」
私は、急いで二階に駆けあがった。自室に入って一人になると、収納魔法に手を入れる。
引っ張り出したのは、いつもの防壁の護石ではない、もう一本のお念珠ブレスレットだった。
ブレスレットを交換して急ぎ下に駆け戻り、イスに座っていた親方の前に立つ。
「親方、手を出してください」
「……なんだ?」
「後遺症が残らないように、今すぐ治療します」
治癒のブレスレットを嵌めた左手を、患部にかざす。
「治癒」
古代語の呪言を唱えると、布で吊られた手を淡い光が包み込んだ。
ピシリ、と小さな音がして、念珠のひと粒に亀裂が走る。透明だった石の内部に無数のクラックが広がって、キラキラと輝いた。
「なっ……!」
コレットさんが、両手で口もとを覆う。元から大きな目が、信じられないほど見開かれていた。
「これで治ったはずなので、布と固定具を取って指を動かしてみてもらえますか?」
親方は言われた通りにして、ゆっくりと右手を開いたり閉じたりした。ついさっきまで赤く腫れていた指がスッキリとして、動きにも違和感がないようだ。
「治癒の護石だと……? そんな貴重なモン、貴族ぐれぇしか持てねぇはずだ」
親方が、低い声で言う。鋭い目が、こちらへ向いた。
「育ちが良さげだとは思ってたが……相当な良い家だったんだな」
治癒の護石は便利だけれど、守護系の護石は攻撃系の護石と違って、どれも使い捨てだ。それも作成にはかなりのクラリティが必要で、一般の市場にそうそう出回るものじゃない。
だから、よほど信用できる相手じゃなければ、見せないつもりだった。でも、この人たちならば――。
「……全てをお話しできなくて、申し訳ありません」
私は、わずかに目を伏せて言う。
「ご迷惑はおかけしないようにしますから、今は聞かないでいただけると助かります。それよりも……競技会を優先しましょう」
そして再び視線を上げて、私はコレットさんの目を見すえた。
「親方の怪我が治ったことは、誰にも言わないでください。親方が出場できないと油断させておけば、これ以上ひどい妨害をされることはないでしょう。そして親方には補助にまわってもらって……代表として競技会に出るのはコレットさん、貴女です」
「わ、わたし!?」
コレットさんが、素っ頓狂な声を上げた。
「はい。卑怯なお坊ちゃんの手に落ちてやる必要も、裏切った元婚約者なんかに助けてもらう必要もない。そう貴女自身の手で、奴らに見せつけてやりましょう!」
私はコレットさんに向かい、ぐっと拳を握ってみせた。
怯んだ顔を見せた瞬間、敵はどんどん付け入ってくる。
ならば――攻撃は、最大の防御だ。
コレットさんは少し戸惑った顔をしていたけれど、その目にはもう怯えの色はなかった。代わりに、小さな炎が灯り始めている。
「……いや、無理だ」
でもそこに水を差したのは、親方だった。
「コレットの腕は一流だ。それは俺が一番よく知ってる。だが……どうにも、腕力が足りねぇ」
親方は治ったばかりの右手をまだ握ったり開いたりしながら、苦い顔で続けた。
「普段の仕事なら時間をかけりゃいい。だが競技会は違う。開始と同時に原石が配られて、制限時間内に磨き上げまで終わらせねばならん」
コレットさんが研磨を始めたのは、二歳の頃だと聞いた。お父さんの後をちょこちょことついて回って、ごっこ遊びの延長で石を磨き始めた。文字通り石と共に育った、十五年選手のベテランだ。
でも、研磨という作業には純粋な腕力が要る。石の中でも特に高い硬度を持つ魔石を、研磨台の上で擦り続ける力。男性の職人でも、とても過酷な作業だ。いくら鍛えているとは言っても、女性の腕力では安定した研磨を長時間続けることは難しい。
「腕力……」
私は少し考えて、言った。
「それなら、道具で補えるかもしれません」
「持久力も必要だが、道具でなんとかなるようなもんか?」
「はい。もちろん当日までにどうしても無理なら親方に代わって出ていただければ大丈夫、なのを前提として。コレットさんも、ギリギリまで挑戦してみませんか?」
私の出した思いっきり保険付きの提案にも、コレットさんは、しばし無言だった。
それから、ぎゅっと拳を握る。ついさっき元婚約者の暴言に震えていたのと同じ手が、決意を宿したようだった。
「……分かった」
静かに、でもはっきりと口にする。
「ならず者を雇って骨を折らせるなんて卑怯なやつ、放っておいたら他の工房にもきっと被害が出る」
コレットさんのエメラルド色の大きな瞳が、強い光を持った。
「わたし、やってみせるわ……!」




