第25話 裏切り者の帰還
ルミナが工房に加わってから数日が経った頃、日常は少しずつ変化していた。
初めのころのルミナは無表情でいることが多くて、周囲を警戒しているようだった。けれどコレットさんが根気強くお世話を手伝ってくれて、さらにダヴィド親方のぶっきらぼうだけど否定は全くしない態度に、少しずつ心を開き始めていた。
……実は親方は否定しないだけじゃなくて、朝起きたら手作りの子供用イスが台所に増えていたりしたけれど。口では「他所のガキの扱いはわからん」とか言いつつ行動が完全に矛盾していて、けっこうかわいい。
ちなみにルミナの行き先についてファセッタの行政府に相談すると、ひとまず住民登録をすることになった。引き取り先としては孤児院と神殿を紹介されたけど、コレットさんの話によると、あまり環境はよくないらしい。
話し合いを察したルミナが不安そうな顔をしたので、良い行き先が見つかるまでは、ひとまず保留することになった。
――その一方で、工房が生き延びるための戦いも、依然として続いていた。
研磨する原石を確保するために、私は浅い坑道に通い続けて地道に採掘を重ねている。浅層はすでに掘り尽くされた場所が多いけれど、石の声を聞けば、見落とされた小さな鉱脈を見つけることはできた。効率は良くないけれど、ゼロよりはずっとましだろう。
そんな中で、大きなイベントが迫ってきていた。この街の宝石研磨工房が一堂に会する競技会――ファセッタの街とその近隣を治める領主のファセッティーナ伯爵が毎年主催するもので、多くの研磨工房が技を競い合う一大行事だ。
当代のファセッティーナ伯爵であるエルネスト・モントブール卿は、確か前領主だった祖父を亡くし、つい最近代替わりしたばかりの人物だ。細身で長髪、かつ中性的な顔立ちだけれど、目つきが鋭く存在感のある三十歳手前の男性だったはず。
ファセッティーナ伯爵領は、ファセッタの街を中心に山間の村をいくつか抱えるだけの、小さな領地だ。しかし魔石鉱山からの収益が莫大で、社交界での発言力は侯爵にも勝るほどだと聞いている。
それだけに、領主が自ら各工房の実力を直接評価するこの競技会は、単なるお祭りではない。国内における自らの地位を高めるための、戦力の確保にも等しいのだ。
だけど、そこに問題がある。そういえば王女時代に、夜会でファセッティーナ伯爵には何度か挨拶を受けたことがあったのだ。
両親とセットだったし、さらにテネブラの影に隠れた地味な第二王女のことなんて、ほとんど覚えていないだろうけど……かなりのやり手の人物だという噂だから、万が一のことはある。競技会の当日は会場内でコレットさんのアシスタントをしたいけど、気づかれないよう何か対策をしなければ。
コレットさんの話によると、競技会で五位以内に入賞すれば、観客や領主の前で工房の技術を宣伝をする時間がもらえるらしい。ならばその場で工房の技術を見せつけ、ゴットホルト工房から流された悪評が嘘であることを証明できれば、信用を取り戻す大きな一歩になる。
つまりこの競技会は、ダヴィド工房にとって起死回生のチャンスだったのだ。なのに――。
「親方!?」
その日、採掘から帰ってきた私が見たのは、利き手を血まみれの布で押さえている親方の姿だった。コレットさんが泣きそうな顔で、傷の具合を確かめている。ルミナが不安げに、二人の周りをうろうろと歩いていた。
「何があったんですか!?」
「……大したことじゃねぇ」
親方は顔をしかめつつ、短く答えた。
「酔っぱらいに絡まれた。たまたま手を踏まれた。それだけだ」
――そんなわけ、ない。
ダヴィド親方の手は繊細な仕事もこなすが、頑丈に使い込まれた職人の手だ。研磨台を何十年も擦ってきた、鍛え抜かれた職人の手。酔っぱらいにたまたま踏まれた程度で、こんなに血が出るはずがない。
「……まさか、例の工房の仕業ですか?」
コレットさんが、唇を噛んでから言った。
「街で突然、知らない男の人たちに因縁をつけられたって……」
ならず者を雇って、競技会の直前に職人の利き手を潰す。最低最悪の、しかし効果的な妨害だろう。
「競技会まで、あと半月ほどしかないのに……」
コレットさんの、声が震えた。ダヴィド親方の右手は、明らかに骨折している。指が不自然な方向に曲がっていて、すでにひどく腫れ上がっていた。半月で完治する怪我には、とても見えない。
――卑怯者め!
怒り心頭になりかけたけど、今は冷静にならなければならない。いくら怒ったところで、状況は変わらないのだ。
「とりあえず、親方をお医者さんのところへ。正確な診断を受けて、きっちり記録を残して下さい。コレットさん、僕が留守番していますので、付き添いをお願いします」
「わかりました」
「ルミナは、僕と一緒にお留守番していよう」
ルミナがこくりとうなずいて、親方はコレットさんと一緒に工房を出ていった。私は裏庭で遊んでくるというルミナの頭を撫でてから、工房のカウンターに座り込む。
――冷静に、考えろ。最も効果的にダメージを与える手立てを、考えるんだ。
攻撃魔法を使ってあちらの工房に殴り込みをかけることは、簡単だ。でもそれでは、ダヴィド工房の評判が地に落ちてしまう。ならば最も効果的に、ゴットホルト工房に社会的ダメージを与える方法は――。
そう自問自答していた、そのとき……突然、工房の扉が開いた。親方でも、コレットさんでもない。見知らぬ青年が何の断りもなく、のっそりと中へ入ってくる。
歳は、二十代半ばくらいか。それなりに整った顔立ちだけど、どこか雰囲気に落ち着きがない。視線がキョロキョロと泳いでいて、だらしなく着崩したシャツは薄汚れている。
腰に下げたツールベルトの形を見れば、研磨職人なのだろう。しかし革帯がひどく擦り切れているのに、手入れされている気配がない。道具を大事にしない職人はろくな仕事をしないと、前世の先輩が言っていた。
「ここは研磨工房ですが、何かご用でしょうか?」
「コレットいるか?」
要件を問う私に、青年はえらく馴れ馴れしく返す。
「コレットさんは今、外出中ですけど」
「はぁ? つか誰だよ、お前」
「ここに下宿している者です。あなたは?」
青年は私の問いには答えず、じろじろと工房の中を見回した。
「なんだよ、コレットもいねぇのか。噂を聞いて心配して来てやったのに」
噂を聞いたということは、親方の怪我をもう知っているということか。よほど街中で騒ぎが目立っていたのか、それとも、この人が犯人と繋がりがあったのだろうか。
しかもコレットさんもということは、親方だけがいないだろうタイミングを見計らってやってきたということだろう。
――こいつは。
「もしかして、以前ここで修業されていた方ですか」
青年の瞳が、一瞬だけ揺れた。
「……ああ、まあな。親方が怪我したって聞いて、助けてやろうかと思ってよ」
やっぱり、こいつが元一番弟子……つまり、コレットさんの元婚約者だった奴か。ゴットホルト工房に金と女で釣られて移籍した、あの男。
そのとき、工房の裏口のほうで足音がした。コレットさんが帰ってきたのだろう。
「リュクスさん、父さんはお医者様に預けてきま――」
コレットさんは、元弟子の姿を見た瞬間、凍りついた。
「よう、コレット。久しぶりだな」
元弟子が、薄笑いを浮かべる。
「聞いたぜ、親方がやられたって。大変だったなぁ、心配したんだぞ」
「ブルーノさん……何か、当工房にご用でしょうか」
コレットさんの声は、底冷えするようなものだった。凍りつきそうな雰囲気にもめげず、男は下卑た笑みを浮かべてみせる。
「そう冷てぇこと言うなよ。オレはさ、親方とお前を助けてやりてぇんだ。競技会に出たいんだろ? オレが手伝ってやるから、一緒にやり直そう」
――やり直そう。
その言葉に、コレットさんの眉がぴくりと動いた。
「今さら何を言ってるの」
「だから、助けに――」
「また、裏切るの?」
コレットさんの声が、低くなった。
「あの綺麗なひとのところに、帰ってあげて。もう二度と、顔を見せないで!」
瞬間、男の表情が歪んだ。薄笑いの下に隠れていた本性が、顔を出す。
「……昔っから、お高くとまりやがって」
声の調子が、がらりと変わった。猫なで声が消えて、苛立ちがむき出しになる。
「大して美人でもねぇクセによ。婚約だなんだとオレを束縛しておいて、ちっともヤラせてくれねぇお前が悪いんだろうが!」
コレットさんが、びくりと肩を震わせた。
「今からでも遅くねぇ。オレが、戻ってやるって言ってんだ。このオレの腕前がありゃあ、ゴットホルトの奴らに一泡ふかせてやれるぜ……?」
ゴットホルトに引き抜かれたはずなのに、こちらに戻りたがっているということは……あちらではもう、用済みにされてしまったのだろう。
この工房の技術を盗むという目的を果たしたからか、あるいは果たせなかったのか。どちらにせよ、役に立たなくなったのだ。
男の手が、コレットさんの肩へと伸ばされる。
「いやっ!」
彼女の怯えた声を聞き、私は一歩踏み込んだ。




