それぞれの言い分3
テネブラが浄化に失敗し、寝込んだ頃――双子の母親である王妃ジョゼフィーヌは、自室で蒼白な顔をしていた。鏡台の前に座っているのに紫の瞳がその美貌を映すことはなく、珍しく思案に暮れている。
公爵家で生まれ育ったジョゼフィーヌにとって、肉親と数日顔を合わせないなど物心つく前から珍しくもないことだった。王妃となった今でも生後すぐから娘たちは乳母に預けっきりで、その後も単独で長い外遊をこなすなど、日常的なことだったからだ。
だから娘のうち一人の姿を数日見なかったところで、不思議にも思わなかった。特に守護宝石の注文が立て込んでいるときは、リュクサーナは寝台で休んでいる時間が長い。だから今回も浄化で伏せっているならば、むしろそっとしておいてあげた方がいいとすら、思っていたのだ。
だが姿を消したと聞いて、王妃は素直に娘の身を案じた。王女が宮殿を出て、一人で生きていけるはずがないだろう。
(慎重なあの子なら、一人で出てゆくなんて無謀な選択はしないはずよ。だからきっと悪い男にそそのかされて、さらわれてしまったに違いないわ。ああ、なんてこと……!)
だがジョゼフィーヌも、すぐに娘の心配どころではなくなった。夫であり、国王でもあるオーギュスタンの苛立ちが、日に日に増していったからだ。
――その苛立ちの矛先は、当然のように王妃にも向けられた。
「お前がもっと娘の気持ちを察していれば、こんな事態にはならなかったはずだ。子の気持ちを察するのは、母親であるそなたの役目であろう!」
夫にそう言われたとき、ジョゼフィーヌは「ちゃんと、察しようと努めておりましたわ!」と、心の底から反論した。
察しようとしていた。大事にしようとは、充分していたはずなのだ。
もっと新しいドレスを、アクセサリーを作ればどうかと言ったのに『もったいないから』と遠慮したのはあの子の方だった。もっと服装に華やかな色やデザインを取り入れたらどうかと言ったのに『似合わないから』と首を横に振ったのは、あの子の方だったのだ。
(よかれと思って気づかってあげたのに、ちゃんと姉妹を平等に扱おうとしていたのに、喜ばなかったのは、受け取らなかったのは、あの子の方なのよ。ならば扱いに差がついたとしても、仕方がないじゃない……!)
何度も断られ続けたら、提案しようという気すらなくなってしまう。そもそも、あの子とは価値観が違っていたのだろう。
もっともリュクサーナが華美な装いを遠慮していたのは、『似合わないから』だけではなく『エリクが悲しげな顔をするから』という部分も大きかったのだが……長らく娘が受けていた精神支配の構造に、母であるジョゼフィーヌが気づくことはなかった。
――なんとかしなければ、とは思う。でも何をすればいいのか、考えても全くわからない。
にっこりと一つ微笑むだけで、いつも周りが良きように計らってくれていた。そんな立場に生まれたジョゼフィーヌにとって、相手がたとえ血を分けた娘でも、価値観の異なる相手に寄り添うすべが分からなかった。
祖国から遠く離れたこの国で、すがれるのは夫だけ。しかしその夫が、心の余裕を失っている。
そんなときジョゼフィーヌにできるのは、見てみぬふりをすることだけ。それがこの異国の地で過ごした二十数年で学んだ、保身のための技だった。
しばらく自室で静観していたジョゼフィーヌのもとに、突然、夫が訪れた。
「なにか、進展があったのですか……?」
そう心配そうに問う妻に、夫オーギュスタンは苦い顔を向ける。
「ドレッセンへ引き渡す守護宝石が、あと一つ足りぬ。だから次の守護宝石が手に入るまで、そなたの守護宝石を譲ってくれ」
現時点で王宮内に残っている守護宝石の数は、国王、王妃、王太女が所持する三つだけ。あともう一つ、第二王女が所持していたものも残ってはいるが、それはすでに砕けてしまった残骸だ。
有力諸侯が所有しているものはいくつかあるが、彼らから借りようならば文字通り『大きな借り』を作ってしまう。ならば王妃が所持する守護宝石を譲るのが今は最善策である――そう、国王は考えたのだ。
しかしジョゼフィーヌは、愕然として青ざめる。
「そんな! わたくしに求婚した際に、必ず守ると言ったことを貴方はお忘れなのですか!?」
『遠く国外に嫁ぐのは心細いだろうが、貴女のことは私が必ず守ります。だからどうか、私と共に来てくださいませんか?』
かつて若きオーギュスタンは大国フランクールが誇る社交界の華の前でひざまずき、そう誓ったはずだった。だが、今は――。
「王妃が命を落としても、国が亡ぶことはない。だが余が命を落とせば、そなたを守ることもできぬだろう。そのぐらい、そなたにも理解できよう?」
「ならばなぜ、テネブラではなくわたくしから守護宝石を奪おうというのです!」
「そなたはっ、我が子より自らの保身を優先するというのか!?」
自分のことを棚に上げて色めき立つ夫に向かい、ジョゼフィーヌは美しい瞳に涙を浮かべて見せる。
「わたくしとて、陛下との間に成した子は我が身より大切なのは当然ですわ。でも貴方まで、わたくしよりテネブラを優先してしまうの……?」
だが夫は、冷たく言い放った。
「テネブラは王太女だ。リュクサーナがいない今、万一テネブラに何かがあれば、余が死んだ後の王位はドゥラクロワの長男に渡るだろう。あれが即位した後、そなたを今のままの扱いで王宮に留め置いてくれると思うか?」
「そ、それは……」
「理解したならば、守護宝石を渡せ」
ジョゼフィーヌは唇を噛みながら、胸元に手を入れて淡く光る守護宝石を取り出した。
震える手で差し出すと、夫は心底ホッとしたような顔をする。
「こんな宝石がなくとも、そなたのことは余がこの手で絶対に守ってみせる。だから、どうか安心してくれ。少なくとも六年前までは、こんなものは無かったのだから……」
そう言って、国王は震える妻を抱きしめた。
「ええあなた、信じておりますわ……」
口先ではそう答えつつ、王妃は恐怖を抑えられなかった。
突然の激しい胸の痛みに倒れたフランクールの王が、何事もなく起き上がった。
戦場で首を落とされたドレッセンの王子が、何事もなく起き上がった。
毒入りのお茶で貴婦人たちが全滅したサロンで自分ただ一人だけ、何事もなく起き上がった。
――それらは全て、守護宝石の力。
存在を知らなかったうちは、それでよかった。しかし一度手に入れた命の保証を失うことは……すでに恐怖以外の、何ものでも無くなっていた。




