それぞれの言い分2
王太女テネブラ・ロシェ・スフェールは、自室の寝台で遅い朝を迎えていた。
妹がいなくなったという知らせは、聞いている。だがその事実が、彼女の優雅な朝を妨げることはなかった。
リュクサーナもようやく妥当な自分の価値に気がついて、自棄にでもなったのだろう。あの気に食わない、やたらと顔だけは良い護衛騎士の男……あれほどいつも側に置いていたのに、その者にすら見捨てられてしまったのだというから、いい気味だ。そんな状態で一人では何もできない王女が王宮の外に出てしまえば、すぐに野垂れ死ぬことだろう。
殴られた鼻は、治癒の護石ですっかり元通りになっていた。だが――この完璧な顔を血に染められた屈辱は、けして忘れない。
そんなことを考えつつ侍女にドレスを選ばせていると、父の近侍が血相を変えてやってきた。
「テネブラ殿下、国王陛下がお呼びです。至急、とのことにございます」
「至急? 朝のお支度がまだ終わっていないのだけれど」
「それが、浄化の件との仰せで……」
――浄化。その単語を聞いた瞬間、テネブラの眉がぴくりと動いた。
「浄化なら、リュクサーナを行かせたらいいじゃない」
「リュクサーナ殿下は現在、お姿が見られず……」
――そういえば、そうだった。
嫌な予感がしつつ、テネブラは促されるままに自室を出た。
「テネブラ。あと一つの守護宝石は、そなたが浄化せよ」
執務室で父と向かい合ったテネブラは、国王への礼も執らずに眉をひそめた。
「わたくしが?」
「お前は宝石姫だろう。だから、急ぎ残りの一つを浄化せよ」
「それは……もちろん、わたくしは宝石姫ですわ。ですが――」
テネブラの声が、わずかに揺れた。
「ドレッセンの王太子が、すぐそこまで来ている。戴冠式は、ひと月後だ。それまでに約束した数の守護宝石を揃えて帰国していただかなければ、戴冠式に参列する各国の使節たちを前にして、我が国の信用は地に堕ちる。その意味は、分かるな?」
「もちろんわかりますわ。わかりますけれど……」
「けれど、何だ。そなたらは双子で、共にこのスフェール王家の血を引く娘なのだ。リュクサーナにできて、そなたには出来ぬ道理はないだろう?」
「それは……あの子が、秘密だと言って肝心なことを教えてくれなかったから、浄化の手順には不明な点が……」
「それならば問題ない。技術は出し惜しみせず共有せよと言ったら、リュクサーナは全くもってその通りだと言って、古文書の解説を書き残しておる。それさえ読めば、同じように出来ぬはずがない。テネブラ、万が一のために浄化のやり方は早めにリュクサーナから学んでおけと、以前からあれほど言っておいたであろう」
テネブラは、小さく唇を噛んだ。実はその解説とやらには、いちおう目を通したことがある。でも文字ばかりで読むのが面倒だったから、序盤で投げてしまった。
そんなこと、自分の役目ではない。各々が持って生まれた才能をこそ、活かすべきだろう。
「テネブラ」
父王の声が、さらに一段低くなった。
「そなたはこの六年間、宝石姫としてこの国の顔役を務めてきた。各国の王族が、そなたを信じて守護宝石を買っておる。その信頼を、裏切りたくはなかろう。いや、我々は、裏切るわけにはいかんのだ」
「わかっております!」
「そなたらは双子なのだ。リュクサーナにできて、テネブラにできぬことはない」
「わかっていると、言っておりますでしょう!」
「控えよ!!」
突然、父王が声を荒らげる。初めてのことに目を見開くと、かつてない怒りの形相の父が、テネブラの大きな瞳に映り込んだ。
「前々から、そなたの余に対する不遜な態度は目に余ると思っておった。それ以上の口ごたえをするならば、王太女の位を剥奪する」
「そんな……!」
テネブラはとっさに紫水晶の大きな瞳に涙を浮かべ、両手を軽く握って口もとへ寄せた。自らの美貌をよく理解した、最大の防御行動にして最強の攻撃――の、はずだった。
だが、いつもなら困ったように眉間のしわを弛める父王も、今日はさらに顔をしかめただけである。
「すぐに、魔石を浄化せよ。それ以外の御託は聞かぬ」
執務室を追い出されたテネブラは侍従長にうながされ、無人となって久しいリュクサーナの部屋へ足を踏み入れた。
こうなれば、やるしかない。もし二つめの守護宝石がドレッセンの戴冠式までに間に合わなければ、これまで完璧だった宝石姫の評判に傷がつくのは父王の言う通りなのだ。
祭壇に置かれた魔石の中から、一番大きなものを選んで手に取った。それはひんやりとして、手のひらから急速に熱を奪い去る。背筋が泡立つような感覚に、テネブラはぞっとして石を手放した。
(これを、浄化する? どうやって……?)
思わず後ろを振り向くと、監視役だろう侍従長が黙って冊子を差し出した。
「こちらがリュクサーナ様が残された、古文書の解説の写しにございます」
習得に必要な条件はスフェール王家の血が流れる女性であること、ただそれだけなのだという。
(ならばこのわたくしに、できないはずがないわ……!)
なにせあのぱっとしない妹ですら、十二のときに出来たのだ。同等以上の能力を持つ自分に、できないはずがないだろう。
持ち前の負けん気の強さが、テネブラにかつてない集中力を与えた。解説をつぶさに読み込んで、ひと通りの手順を理解する。
(できる。これなら、出来るわ……!)
テネブラは意気揚々と立ち上がり、再び祭壇へと向かった。あのひんやりとした魔石を手に取って、両手のひらの中に握り込む。
深き祈りを捧げると、手の中の石が熱を持った、瞬間――。
「いやっ……!」
テネブラは声を上げると、とっさに石を投げだした。何か熱く恐ろしいものが、自らの体内へずるりと入り込もうとする感触。
「これが……『浄化』ですって!?」
穢れを自らの体内へ吸い取り、消化する。それが一体どういう意味を持つのか、テネブラは初めて理解した。
そのとき、侍従長の咳払いが聞こえた。テネブラはハッとして、そろそろと放り出した石を拾いにゆく。
――気味が悪い。でも、やらなければ後がない。
「リュクサーナなんかに、負けるものですか……!」
その石は床に落ちてなお淡い紫色に輝いて、その周りを禍々しい黒い靄が取り巻いている。意を決して再び手に取ると、テネブラは歯を食いしばり、再び『穢れ』の端に手をかけた。
「いっ、いやああああああああ!」
ほんの少し、穢れの侵入を許しただけだった。だが《《それ》》はズクズクとした深い痛みに代わり、身体の最奥を蝕んでゆく。
もはや双子の妹に対するライバル心も、宝石姫の顔役としてのプライドも、頭の中からすっかり吹き飛んでいた。
ただ、この苦痛から逃げ出したい――今は、それだけだった。




