第21話 採掘者たちのローカルルール
坑道を出た瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
新しい空気が肺に流れ込んできて、むせるように咳き込んだ。穢れが身体の奥をズクズクと蝕む、懐かしい感覚――。
しばらくうずくまるようにして呼吸を整えて、ようやく顔を上げる。するとブラッドさんが女の子を抱えたまま、すぐそばで地面に膝をついていた。
女の子は、まだ意識がない。でも、胸はかすかに上下しているようだ。
――よかった、生きてる。
そう思った瞬間、全身からどっと力が抜けた。
「……無茶をしたな」
ブラッドさんが、低い声で言った。一瞬怒っているのかと思ったけれど、たぶん、それ以上に心配してくれている。
「すみません……」
「瘴気をたっぷり吸ったんだから、今は無理に動くな。神殿で水をもらってくるから、少し休んでいろ」
「はい」と素直にうなずいて、私はなんとか岩陰に移動して座り込んだ。ブラッドさんはカナリヤの女の子を私のそばにそっと横たえ、「すぐに戻る」とだけ言って街の方へと走ってゆく。
間もなく背中が見えなくなった――そのとき。ブラッドさんがいなくなるのを待っていたかのように、声が響いた。
「おい、お前」
荒っぽい口調に顔を上げると、体格のいい男が一人、こちらに向かって近づいていた。日焼けした坊主頭に、刺青が入った腕。いかにもゴロツキといった風体で目つきも悪いけど、刺青のデザインからして採掘ツアーのスタッフさんだろう。
「そのカナリヤを渡せ。カナリヤはうちの商会の物だ」
――物。人間の子どもを、モノと呼んだ。
怒りで、さっきまでの倦怠感が吹き飛んだ。
「瘴気漏れの現場で見捨てたんだから、一度死んだも同然でしょう」
岩に手をつき、立ち上がる。足はまだふらつくけれど、舐められないよう肚の底から声を出す。
「僕が拾ったんだから、もう僕のものです。坑道の中で拾ったモノは、拾い主のモノになるのが、坑道の原則なんでしょう?」
私は採掘者の登録時に読まされた規約を、思い出しながら言った。あのとき一瞬流し読みしたくなったけど、真面目に全文読んでおいて助かった。
「この、なめんなっ!」
男が、威嚇するように大きく腕を振り上げる。反射的に両腕をかざして、私は防御の姿勢を取った。殴られる覚悟をした――のだけれど。
男が拳を振った、その瞬間――ポンッという軽い音とともに、薄い光の膜が私の前に現れた。男の拳が弾かれて、盛大にひっくり返る。
防壁の効果を持つ護石を数珠繋ぎにした、あのお念珠ブレスレットの効果だ。手首の石の一つから、ピシッと音がする。透明だった水晶の内部に無数の亀裂が走って、きらめくクラック水晶になっていた。役目を、果たし終えたのだ。
「クソっ、防壁の護石だと!? 青銅等級のくせに生意気なもん持ちやがってッ!」
男が舌打ちして、再びつかみかかろうとした。そのとき。
「その辺にしておけ」
低い声が、二人の間に割り込んだ。男の背後から、もう一人の男が現れる。
さっきの男とは、格が違った。体格がよく顎髭を蓄えていて、目にはギラつくような光がある。ゴロツキの中でも、それなりの地位にいる人間だろう。例えるなら、親分とでも呼ばれていそうな類の人物だ。
「で、でも親分!」
本当に、呼ばれてた。
「その兄ちゃんの言う通りだ。坑道で拾ったもんは、拾ったヤツのモノになんのがルール。それがオレたち採掘者の正義だろ」
親分は、悠然と言い放つ。
「ちょうど大きくなりすぎて、カナリヤの役に立たなくなるところだったんだ。今日もギリギリだったしな」
――大きくなると、役に立たなくなる。
体が成長して体重が増えると、瘴気の影響が出るのが遅くなる。検知器としての感度が鈍くなるから、もう使えない。つまりこの子は、もっと幼いうちからこんな境遇に置かれていたのだ。
「でも、こんなのでも娼館に売りゃあちったぁ金に……!」
下っ端が、食い下がる。
「娼館に売るって、こんな小さな女の子を!?」
私が睨み付けた向こうで、親分も下っ端を鋭く睨んだ。
「これ以上騒ぐな。お上に目ぇつけられて公認を取り消されたら厄介だ」
とたんに下っ端が、口をつぐむ。親分はそれからゆっくりと、こちらへ顔を向けた。視線が私の腰のあたり――魔石が詰まったウエストバッグに向けられる。
「……なあ兄ちゃん、お前良い石たくさん見つけたらしいなァ」
ニチャアっと、粘りつくような笑みが浮かんだ。
「オレぁ、ベルケン。白銀等級の採掘者をやっている」
「……僕はリュクス、青銅等級です」
一瞬、素直に答えるか迷ったけれど、どうせツアーの申し込み時に識別票は見せてしまっているのだ。
それにしても、白銀等級にこんな人がいるなんて。白銀等級なら信用できるって言ったじゃないですか、クレールさーーん!!
確かに大規模採掘のリーダーをやっているし、手下の教育もしているのだろうし、もしかしたら一部からは人望もあるのかもしれない。
だからマネジメントスキルは高いのかも知れないけれど……ブラッドさんが、ものすごい紳士に見えてきた。
「なあリュクス、くれぐれも坑道での落とし物にゃあ気ぃつけろよォ?」
含みのある声でそう言い残して、ベルケン親分はきびすを返した。手下もそれに従って、二人の背中が通りの向こうへ消えてゆく。
――それが見えなくなった瞬間、背中がぞわっと総毛立った。
あれは、脅しだ。坑道で事故に遭ったり、採掘した石をうっかり落としたりする可能性を、暗に匂わせている。次に彼らと坑道で鉢合わせたとき、何が起こるかわからない。
しまった、採掘ツアー自体はすごく良かったのに、これじゃあ二度と申し込めそうにない……。
「どうした、何かあったのか?」
そのとき心配するような声がして、私は我に返った。




