第02話 反撃の狼煙を上げよ
金の巻き毛を完璧にセットして、また新調したらしい華やかなドレスを身にまとった姉が、つかつかと部屋に入ってくる。もちろん、病人を見舞う顔ではない。
「守護宝石の注文が溜まってるのは分かっているでしょう? 怠けてないで、早く起きて浄化の続きをなさい」
体調を気遣う言葉はゼロ。穢れにあたって倒れた妹への第一声が「怠けてないで仕事しろ」だ。どんなにブラックな上司でも、今どきもう少し言葉をオブラートに包んでくれるだろう。
いつもの私なら、まだ身体がつらくても反論を飲み込んでうなずいていた。これは王族に生まれた者の責務なのだから仕方がない、と自分に言い聞かせ、重い体を起こして祭壇へと向かった。
――でも。
一瞬だけ目を閉じて、開く。私はにっこりと良いスマイルを顔にはりつけて、言った。
「私が、なぜ?」
「そんなの、当然でしょう?」
「当然って、なぜ?」
テネブラの眉が、ぴくりと動いた。いつもなら黙って従う妹が、いちいち言い返してくる違和感に気づいたらしい。でも姉はあくまでいつものように、高飛車に言い放った。
「そんなの、宝石姫だからよ」
「宝石姫って、だれ?」
「そんなの、あなたに決まっているでしょう! なによ、気でも違ったの!?」
怒り出すのが、想像以上に早かった。もうちょっと「え? どういうこと?」みたいな段階を挟むかと思っていたのに、沸点が低すぎるにもほどがある。
私は笑顔を消すと、困ったように軽く肩をすくめて言った。
「宝石姫と呼ばれているのは、貴女でしょう。だから、貴女がやればいいじゃない」
「そんなことしたら穢れを受けてしまうじゃない! わたくしは嫌よ!」
「そう。私も嫌よ」
瞬間、姉の顔がこわばった。私が最後に「嫌」と言ったのは、もうずいぶんと昔のことだ。
「あなたなんかに、拒否する権利はないのよ!」
「なんだ、できないのなら素直にそう言って、お願いすればいいのに」
私は再び、にっこりと笑った。
「どうぞ浄化してください、ってね」
「な……っ、あなたに出来てこのわたくしに出来ないことが、あるわけないでしょう!?」
「そう。じゃあご自分でどうぞ」
「は? 偉そうに……黙りなさい!」
ぱんっ、と、強く頬を打たれた。
平手打ちは、姉の必殺技だ。こうすれば私が言うことを聞くと学習してしまっているから、困ったらすぐに繰り出してくる。
お互いに、条件反射みたいになっていたのだろう。今までの私は、叩かれるたびに涙をこらえて俯いていた。
――でも、もう思い通りにはなりやしない。
私が寝台から立ち上がろうとすると、テネブラが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。数歩下がって、私が立ちやすいよう場所を空ける。
今回も、平手で言うことを聞かせられたと思ったのだろう。でも――。
「先に手を出したのは、そっちだからね?」
しっかり床を踏みしめて、右の拳を振りかぶる。狙いは、そのお高い鼻っ柱へ――!
ごぎっ、と、鈍い感触が拳に伝わった。テネブラがよろめいて、さらに二、三歩後ずさる。鼻を押さえた白い指の隙間から、赤い筋がつつっと流れ落ちた。
――まさかの鼻血。
姉はしばらく、ぽかんとしていた。理解が追いついていないのだろう。美しい紫色の目が、ぐるぐると渦を描いている。
やがて理解が追いついて――あの悲鳴に至ったのだった。
◇ ◇ ◇
姉が大騒ぎしながら去っていったあと――私は寝台の端に腰かけて、ぶん殴った右手をさすっていた。手指の甲が、じんじんと痛む。
――人を殴るって、けっこう痛いんだ……。
それは前世では、全く知らずに終わったことだった。
私は寝台から立ち上がると、室内にある小さな祭壇へと向かった。白く柔らかなビロードに覆われた台座の上には、未浄化の魔石がいくつか置かれている。
手に取ると、ひんやりとした重みが手のひらに馴染んだ。薄暗い紫色の表面に穢れが黒いもやのようにまとわりついて、本来の輝きを曇らせている。でも、この穢れの奥に、あの美しく透き通った光が眠っているのだ。
ぐっと魔石を握りしめて、目を閉じた。
――姉を殴ったことは、まあ、ちょっと、やりすぎだったかもしれない。今頃部屋の外は大変な騒ぎになっているだろうし、父王に呼び出されるのも時間の問題だ。
でも、不思議と後悔はなかった。
もう二度と、黙らせられはしない。前世は、夢半ばで終わってしまった。だからこそ、この世では――。
私は石を柔らかなビロード生地の上に戻し、ひとつ大きな伸びをした。
さて、騒ぎが大きくなって誰かと対決する前に、やるべきことがある。まずは顔を洗って、身だしなみを整えよう。もう侍女がいなければお着替えひとつできない深窓のお姫様では、ないのだ。
――あ、でも、コルセットの締め方はさすがに分からないわ……。
私は苦笑すると、ひとまずできそうなことから動き始めたのだった。




