第01話 宝石姫は黙らない
――やった。とうとう、やってしまった。
まさか、反撃されるとは思わなかったんだろう。美しい双子の姉テネブラは、鼻を押さえたまま目を真ん丸にして固まっていた。
華奢な指の下から赤いしずくがつつっと垂れて、真新しいドレスの襟にぽたりと落ちる。やや間があって……ようやく我に返った姉は、まるで殺人鬼に遭遇したみたいな悲鳴を上げた。
「っきゃあああああっ!!」
王宮の白亜の壁に反響し、甲高い声が耳に突き刺さる。それでも私は怯まずに、声を低く、強く張った。
「人を殴るときは、殴られる覚悟をなさい」
ブチぎれた私の本音が詰まった言葉だったけど、姉にはまったく聞こえていないようだった。鼻血を盛大に垂らしたままで、長いスカートの裾を踏みそうな勢いで部屋から飛び出してゆく。
「誰かっ、誰か来てえええええへぶっ!!」
――あ、やっぱりコケた。
そのあと侍女たちの「姫さま!?」という悲鳴が重なって、外はちょっとした騒ぎになっているようだ。
嵐のように騒がしかった部屋に、ようやく静けさが戻る。私はじんじんと痛む拳を眺めて、ふうっとため息をついた。
しょせんはお姫様の腕力だし、さすがに骨は折れていないはず。……いないよね?
ちょっとだけ申し訳ない気分になったけど、まあ、これまで叩かれた分を全て合算すれば、この程度では等価交換にも満たないだろう。
それにしても……拳で人を殴った経験なんて、二つの人生を合わせても初めてのことだった。
――どうせ転生するのなら、もっと平穏なスタート地点にして欲しかった!
私はこれから起こる面倒を考えて、二度目の深いため息をついた。
◇ ◇ ◇
私リュクサーナ・ジェマ・スフェールは、スフェール王国の第二王女だ。
スフェール王国――宝玉を意味する名前はなんだか美しいけれど、大陸の中央部に広がる山地のあたりに、ぽつんとある小国だ。
山がちの痩せた土地に短い夏が特徴で、お世辞にも豊かとは言えないこの国は、大昔は血の輸出とも呼ばれる傭兵の出稼ぎを主要な収入源としていた。
しかも三方を強国のドレッセン、フランクール、イッポリタの三国にガッツリ囲まれているという、とっても嫌なオマケつき――そんなこの国の、ほぼ唯一の宝。それが『魔石』の大鉱脈だった。
大地の奥深くから採掘される、魔力を宿した美しい鉱石。それを磨いて穢れを浄化することで魔法効果が発現した『護石』には、とっても高い価値がある。
中でもずば抜けて高値がつくのは、最上級の透明度を誇る魔石から穢れを完全に取り除いて作る『守護宝石』と呼ばれる存在だった。
――守護宝石は、それはもう美しい。
完全浄化を終えた守護宝石は今にも空気に溶けこむかのように透き通っていて、光を受けるとオーロラのように不思議な輝きが現れる。それをずっと眺めていると大いなる力に守られているような、不思議な安心感に包まれた。
その所有者を襲うあらゆる災厄を無力化し、いざというとき一度だけ持ち主の身代わりとなって壊れてくれる、命の形代。
だから各国の王族がこぞって買い求めに来るし、大枚をはたいてでも手に入れたがる。他に目立つ特産品のないこの国にとって、今最も大切な外貨の獲得手段だった。
その完全なる守護宝石を生み出す力を持つ者を、人は『宝石姫』と呼ぶ。現在その名で呼ばれているのは、私の双子の姉テネブラだ。
金色の巻き毛にこぼれんばかりの紫水晶の瞳、そして白百合のように透き通った肌――各国から守護宝石を買い求めに訪れる使節たちが「おお、これほどの美姫があの宝石姫……!」と感嘆するような、まさに物語に出てくる理想の美貌のお姫様。
――ただし、実際に浄化をしているのは私のほうなんだけど。
魔石にこもる『穢れ』と呼ばれる瘴気を自分の体内に吸い取って浄化、というか、消化する。ちょっと聞くだけでも体に悪そうな能力だし、実際とっても体に悪くて、浄化の後は瘴気中りで寝込むこともしばしばだ。
この力を持っているのは華やかな姉ではなく、地味で目立たない双子の妹である私のほうなのは、間違いない。なのになぜ、姉が宝石姫ということになっているのか。その理由は、とってもシンプルだった。
美人の姉テネブラが浄化したことにした方が守護宝石の価値がつり上がるし、王太女、つまり時期女王である姉の格も上がる。ひいては我が国の国際競争力の向上につながるのだ。
父王にそう説得されたとき、無駄に聞き分けの良かった私は、つい頷いてしまった。確かに、言う通りだと思ったのだ。
国土の貧しいこの小国にとって、守護宝石の輸出は国庫を支える貴重な収入源となっていた。全国民の越冬準備が少しだけ楽になるほどの、莫大な外貨を稼ぐ輸出品――。
その価値を少しでも高めるためには、『伝説の宝石姫』という看板に華のある姉の顔が描かれていたほうがいい。それは、理屈として理解できる。
よく、分かっているのだ。解ってはいるのだけれど……。
婚約者であるアングラード公爵令息マティアスは、私の隣にいても、いつも姉の方にばかり目を向けていた。社交の場で姉が微笑むたびに頬を染め、素晴らしい宝石姫だと周囲と一緒になって賛美する。
そして私を見ては、ため息をついた。
『……君は姉上と比べると、何もないな。君は、もっと向上心というものを持った方がいい』
その態度は自分の容姿を諦めきった私にも、さすがに悲しいものだった。
別に、名声が惜しいわけじゃない。称賛がほしいわけでもない。ただ、どれほど頑張っても、婚約者にすら気づいてもらえない。国家機密だからと口止めされて、誰にも知ってもらえない――そんな状況は、何より辛いものだった。
こうしてずっと我慢していた私が、とうとう姉を殴り飛ばした。きっかけは連続した浄化のしすぎで強い穢れに中り、昏睡状態に陥ったことだった。
このところ、ずっと作業が立て込んでいた。お隣の強国のひとつドレッセンの王太子の戴冠式が近いとかで、一度に二つもの守護宝石の注文があったのだ。
姉はいつも通り「王太子さまの今後のご多幸を祈って、心をこめて浄化いたしますわ」とかなんとか優雅に微笑んで、そのまま全部こっちに作業を丸投げした。
来る日も来る日も部屋にこもって、守護宝石になりそうな魔石の穢れを吸っては浄化、吸っては浄化する。休む暇もなく続けていたら、あるときひどい悪寒がして視界が真っ白になり、気がついたら寝台に寝かされていた。
その寝込んでいた最中に――前世の記憶が蘇ったのだ。
窓の外にそびえ立つビル群に、システムに溜まった未処理伝票の山。そのときの名前は、なぜか今でも思い出せない。でも、あの日々のことだけは、今も鮮やかに思い出せる。
三十歳をすぎたばかりの、ごく普通の会社員だった。趣味はこれといってなくて、休日は疲れてスマホを見ながらごろごろして過ごす、よくいる感じの社会人。
そんな私の人生を変えたのは、サクランボ食べ放題だった。
……いきなり何を言い出すんだと思われそうだけど、本当にそうなのだ。
あるとき無性に一人旅がしたくなり、遠くへ向かう列車に飛び乗った――なんて度胸もない私は、駅前から出ている日帰りバスツアーに申し込んだ。
そのツアーは山梨のサクランボ食べ放題がメインで、あとは現地の施設を見学してお土産屋さんに寄って帰る、よくある感じのやつだった。目的はもちろんサクランボ。佐藤錦を木から直接もいでは食べ、もいでは食べして、お腹いっぱいになって帰る。ただ、それだけの予定だった。
ところがツアーの行程に、宝石の街・甲府の研磨工房見学が入っていたのだ。
正直、ぜんぜん期待していなかった。水晶かぁ、パワーストーンっていいよね、くらいの軽い気持ちで工房に入った。
そこで、足が止まった。ショーケースの中に並んでいた水晶が、私の知っている水晶と全然違っていたのだ。
――これが、ただの水晶なの?
思わず、息を呑む。見る角度を変えるたびに石のきらめきは表情を変えて、透明な水面に虹が揺れていた。ダイヤモンドみたいにギラギラとしたファイアではなくて、どこまでも清浄に、キラキラと澄んだきらめきを放っている。
これまでのイメージからは想像もつかないくらい繊細で、でも凛とした存在感があって……見つめていると、時間を忘れるようだった。
そして職人さんが一面一面を丁寧に磨き上げ、石の奥に眠っていた光を引き出しているところを目の当たりにしたら――これまでの人生びくともしなかったやる気スイッチが、どうやら入ってしまったらしい。
気づいたら案内の人を質問攻めにしていて、ツアーの集合時間にあやうく遅刻するところだった。帰りのバスでは当初の目的をすっかり忘れて、ずっと工房でもらったパンフレットを読んでいた。
そこからは、一直線だった。三十代を迎えた今、これが未経験業界へ転職する最後のチャンスだと思ったのだ。
――とはいえ、私はとっても現実的な社会人だった。
小さな宝石研磨&宝飾品加工の会社に、新卒でもない未経験者が「職人になりたいんです!」と突然押しかけて雇ってもらえるほど、世の中は甘くない。社長のもとに日参して三顧の礼を尽くす――なんて情熱的な展開も、残念ながらなかった。
私がしたのは、その会社のウェブサイトで募集されていた事務職に応募したこと。ただ、それだけだ。そして、即採用された。面接で『経験者の方は助かります〜』と言ってもらったぐらいだ。
そして入社してすぐバリバリ仕事をがんばって、上司からお褒めの言葉をもらったタイミングを見計らい、正直に言った。
『実は宝石の研磨がやりたくてこの会社を選びました。でも本業はきっちりやります。だから空いた時間に、見習いをさせてもらえませんか?』
直属の上司である専務は目を丸くして、それから盛大に笑った。
『変わってるのねぇ! まあ、本業をちゃんとやってりゃいいさよぉ』
――やった。これは事実上の、専務=社長夫人のお墨付きだ!
そこからの私は必死だった。前職の経験を総動員して業務を効率化し、面倒な転記を自動化するマクロを組み、定時より前に仕事を終わらせた。そうして空いた時間を文字通り『見て習う』時間に充てて、定時後は自主練習。私のやる気を面白がった先輩方に教わりながら、来る日も来る日も石を磨いた。
これほどのモチベーションが自分の中に眠っていたなんて、思ってもみなかった。めきめきと上達して、最近はとうとう商品の研磨に挑戦させてもらえるようになったところだったのだ。
原石の中に眠る光を見つけて、一面ずつ丁寧に磨き出してゆく。あの瞬間の多幸感といったら、ちょっと言葉にできないほどだろう。
そんな毎日が楽しくて、充実していて、ようやく夢が形になり始めた――そんなときだった。
ある日の帰り道。夕暮れの路地で、男が小さな女の子の腕をつかんで車に乗せようとしていた。女の子が怯えた顔でもがいているのが見えた瞬間、考えるより先に駆け寄っていた。
『なにやってるんですか!?』
それでも無言でやめようとしない男の腕を取り、引き留めようとした。その瞬間――。
……お腹に、衝撃があった。初めは殴られたのかと思ったけれど、どうやら違っていたらしい。
すぐに焼けるような痛みが広がって、ぐらりと視界が揺れる。でも、男の腕だけは離さなかった。女の子が逃れたことを確認し、ありったけの声を振り絞る。
『だれかっ、助けて!!』
すぐに、人が駆けつけてくれた。
……でも、私の記憶は、そこで終わっている。
ようやく、夢を叶えたところだった。研磨職人として、これからだったのに。
もっと石を磨きたかった。もっとたくさんの光を見つけ出したかった。悲しくて、悔しくて、目を覚ましても、しばらく涙が止まらなかった。
最期に功徳を積んだから、こんな宝石姫に転生させてもらえたのかな……なんて、笑えない冗談だろう。宝石姫なんて名ばかりで、実体は穢れを吸わされるばかりの存在じゃないか。
――いや、待った。宝石姫は穢れを吸い取ることが、役目じゃない。その結果、石本来の輝きを引き出すことこそが真のお役目だ。つまり前世で焦がれた宝石を磨く仕事に、今世でも就いている。
やっぱり、最期に強く願ったことが、来世で叶えられたのかもしれない。なのに私は努力して得たその力を全て、搾取されることに甘んじているのだ。
……何やってるのよ、私。
私も前世と同じ、宝石が大好きだった。いくら手柄を横取りされても、宝石に触れられるだけで充分楽しかった。
そう、思っていた。いや、思わされていたのだ。
これまで抑え込んでいた悲しさと悔しさ、それからどうしようもない苛立ちが、頭の中でぐるぐると渦を巻く。
そんな、よりにもよって最悪のタイミングで……ノックもなしに扉が開いた。
「あら、起きてるじゃない」
やはり、入って来たのはテネブラだった。




