第14話 白金と白銀の見分け方
識別票は銀色の小さな金属板で、ギルドの紋章と登録地の『タンブリア支部』の文字が刻まれていた。
タンブリアといえば、確か新しい鉱脈が見つかったとかなり前に話題になった街だ。でも思うように採掘が進まず寂れていると、王宮の蔵書室から拝借してきた文献で見た記憶がある。
名前欄には、やはりお姉さんが言った通りの『ブラッド』と刻印されていた。家名の記載はない。けれど庶民に家名がないのは普通のことだから、そもそも家名の欄がないのかもしれない。
私はその金属板をよく見て――ふと、違和感に気付いた。銀色の光沢。だけど、微妙に違う。
シルバーの明るい白さとは少し違う、もっと硬質で、深みのあるメタリック。前世の会社では原石の研磨から宝飾品の加工まで行っていたから、金属の違いを見分けることにもけっこう自信がある。そして今世でも、国王の指輪を一晩かけて磨いたばかりだ。
この色、この光沢は。
――まさか、白金?
いやいや。白金等級は、幻の等級だ。現在は一人もいないのだと、私でも知っているぐらい有名なことだ。
でも融点がとても高い白金は、この国でも精錬できる設備も職人もごく限られている。高位の貴族でもなければ、白金の現物にお目にかかる機会はほとんどない。だから多くの人がこれを銀と見間違えても、不思議じゃない。
とはいえ、ギルドの登録名簿の方はごまかせないか……。識別票が白金ならば名簿にもそう記録されているはずで、受付のお姉さんが『白銀等級』と言ったのだから、白銀等級なのだろう。
見間違いだ、きっと。少し前にプラチナの指輪を扱ったばかりだから、意識してしまっただけだ。
――白金等級の採掘者。
その言葉が頭をよぎると、思い出す人がいた。
最初の婚約者だった、レイ兄さま――私が八歳の時に政略で決まった、十歳も年上の婚約者。
三大公爵家の筆頭であるドゥラクロワ公の三男坊で、爵位の継承順位からは遠い自由な身の上だった。自由なればこそ、宝石採掘者という公爵家の子息にしては型破りな道を選んだのだと、後から聞いた。
彼は齢十八という若さで竜殺しの英雄と呼ばれ、当時唯一の白金等級に叙された、伝説的な採掘者だった。
公子という申し分のない地位にある若き英雄の存在を、王家が権威を高めるための広告塔に利用しないわけがない。初めは王太女であるテネブラと婚約させて、未来の王配に据えようとした。しかしテネブラが『十歳も上のおじさんなんてイヤ!』と拒否したので、私にお鉢が回ってきたのだった。
その二年後、彼は討伐隊と共に新鉱山の『地竜の巣』攻略に挑み――そして、二度と帰ってこなかった。
婚約者とはいえ、そのときたったの十歳だった私には、空の棺に花を置くことしかできなかった。危険な未開拓鉱山の最深部で全滅、それも遺体の損壊が激しくて、捜索隊も個人を判別できなかったのだという。
国葬だのなんだのと『英雄』を失って忙しそうにしている大人たちの目に、私は入っていなかった。
まだ十歳だから、ほとんど会ったこともなかったから、悲しくないとでも思ったのだろうか。カンテラオパールのペンダントを握りしめながら、ひとりで泣いたことを覚えている。
――そのとき、私は思ったのだ。
『もし昔話の守護宝石が本当にあったなら、兄さまを助けられたかもしれないのに……!』
そんな想いもあったから、私は穢れを吸い取る苦痛に耐え抜き『宝石姫』となれたのだろう。
……あの人も、こんなふうにギルドの前に立っていたのだろうか。
無意識に、青年の顔をじっと見つめてしまっていた。
――陽光に輝く黄金の髪に、天青石の瞳。
色味が、微妙に似ている気がする。最初の婚約者の記憶は曖昧で、背が高くて、笑顔が優しい人だった気がする、という程度のぼんやりとした輪郭しか残っていないけど……。
何しろ、最後に会ったのは十歳の記憶だ。あれから八年も経てば、夢と現実の区別さえつかなくなっているだろう。
――似ていると、思いたいだけなのかもしれない。
きっと、幻を見ているのだ。識別票のプラチナ色と同じで、そうであってほしいという気持ちが、ありもしない幻を見せているだけ。
ブラッドという名も、あのレイ兄様――確かブラドレイ・トゥーヴロンという名だった――に、少し似ているから、記憶が呼び覚まされたのだろうか。
……深入りはやめよう。
「見せていただき、ありがとうございました」
「丁寧なやつだな」
笑顔で礼を言うと、ブラッドさんは胸元に識別票をしまいつつ、ようやく少し笑った。
――やっぱり、笑うと目もとがとっても優しくなる人だ。
そういえば無精髭キャラなのに、何気なく立っていても姿勢がとてもきれいだ。先ほどからずっと気になっていたけれど、他の道行く採掘者たちのドヤドヤした歩きと比べてみれば、ますます違いが際立った。
背筋の伸ばし方や足の運び方がごく自然に整っていて、だからこそ長年かけて身に染みついた作法なのだとわかる。
それに言葉遣いも、気さくだけれど下町の訛りが全くない。もしかして、脱サラした元騎士とかだろうか。
この国の騎士は、前世で言えば公務員のようなものだ。安定した身分と俸給が保証される代わりに、自由度は低い。一攫千金を夢見て、あるいはまとまったお金が必要になって、騎士から採掘者に転身する者もいると聞いたことがある。
前世の感覚なら、まんま公務員を辞めてフリーランスになる感じかな。安定を手放す重さは、私自身がよく知っている。
……って、あまり憶測してばかりはよくないだろう。別に失礼な話でもないし、サクッと聞いてしまおうか。
「あの……ブラッドさんってとても姿勢がいいですよね。もしかして、元騎士の方だったりします?」
聞いた瞬間、ブラッドさんの表情がほんのわずかに揺れた。ほんの一瞬だけ、目の奥に何かがよぎる。
「……まあ、そうとも言えるかな」
笑みは消えていなかったけれど、さっきまでとは違う笑い方だった。唇は笑っているのに、目の奥がこちらを見ていない。
淋しそうな笑顔。「あまり聞かないでくれ」と、その微笑みが言っているようで……私は、口をつぐんだ。
誰にだって、話したくないことはある。前世の私だって『なんで前の会社辞めたの?』と聞かれるのが少し憂鬱だった。本当の理由を話すと多くの人は応援してくれたけど、『いい年してキャリアをリセットするとか、将来の見通しが甘くない?』と、説教されることもあったからだ。
心配してくれるのはいいけれど、不安を煽られるのはやっぱりツラい。
「すみません、立ち入ったことを聞きました」
「いや、いい」
ブラッドさんは肩の力を抜いて、ほっとわずかに息を吐いた。笑い皺が、ほんの少しだけ戻る。
「それで、どうする。俺を信頼するか?」
「はい」
即答すると、ブラッドさんがまた呆れた顔をする。
「あ、ギルドの受付で裏を取ったので、今度は根拠がありますよ。白銀等級の方の信用はギルドのお墨付きだと伺いました」
「ほう。ちゃんと学んでいるようだな」
「さっき教わったばかりですけれど……」
「ああ、学んだことをすぐに実行するのは悪くない」
今度は本物の笑顔だった。目尻にあの優しい笑い皺が刻まれる。
「改めて、俺はブラッド。先ほど見てもらった識別票の通り、白銀等級の採掘者をやっている」
「僕はリュクスと申します。あ、そういえば識別票……」
慌てて首紐を引っ張ると、青銅のプレートと一緒に、赤いオパールが飛び出した。それに目を止めたブラッドさんが、驚いたように言う。
「それ……もしかして火竜骨石か? 珍しいな」
「あ、はい。昔お世話になった方の形見の品で……」
「そうか……すまない」
形見と聞いたからか、ブラッドさんの眉尻がすまなさそうに下がる。
「いいえ、もう大丈夫なので、気にしないでください」
私は微笑みながらオパールの方だけ服の中に大切にしまうと、識別票を手に取った。
「これ、識別票です。改めまして、リュクスです。青銅等級の新人です。今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って名刺のように識別票を両手で差し出して見せると、ブラッドさんは笑いながら利き手を差しのべた。
「そう固くならなくていい。よろしくな」
一瞬だけ戸惑ったけど、私も笑顔で差し出された手を握る。
とても大きくて、硬い手だった。剣を握り続けた手か、ピッケルを振り続けた手か、あるいは、その両方だろうか……その温かさに、少しだけほっとした。
この街でできた、初めての知り合い。青銅等級の新人にとって、転職初日にしごでき先輩がメンターについてくれたようなものだ。ありがたすぎる。
ただ、さっき見た識別票の色味の違和感が、やはり少しだけ引っかかっていた。
――あれは、本当に銀だったのだろうか。
とはいえ、考えても仕方のないことだ。受付のお姉さんが白銀と言ったのだから、白銀なのに違いない。
最後の白金等級だった『英雄』は、八年前に死んだ。もう、この世にはいない人。たとえ棺の中が空っぽだったとしても、それは大人たちが認めた事実なのだから。
私は服の上から、胸もとに隠したオパールのペンダントに触れる。そしてブラッドさんと明日の朝またギルドで会う約束をして、解散したのだった。




