それぞれの言い分1 ―国王オーギュスタン―
リュクサーナが王宮を去った、その翌朝。最初に異変に気づいたのは、あくびをしながら交代にやってきた侍女だった。
部屋に入るなり宿直の侍女が、テーブルに突っ伏して爆睡していた。ため息をつきつつ揺り起こそうとしたところで、窓から入る風に気がついた。
不審に思ってバルコニーを見ると、長いロープが手擦りから垂れ下がっている。慌てて主の寝台を見に行くと、もぬけの殻になっていた。
◇ ◇ ◇
「またか」
報告を受けた国王の第一声は、ため息と共に放たれた。あの娘の突飛な行動には、このところ驚かされてばかりだ。どうやら侍従長から聞いた遅い反抗期とやらが、まだ続いているらしい。
「宿直の侍女の証言によれば、リュクサーナ様はバルコニーに掛けた長い縄を伝い、庭へ降りられた可能性があるのではないかとのことです」
「ただの縄であの高さを下りるなど、あのおとなしい娘には無理に決まっておるだろう。大方、拗ねてどこかに隠れているのではないか」
王宮の中は広いから、隠れる場所なんていくらでもあるだろう。それにしても、縄なんかで脱走のブラフをかけるなど、いかにも子どもらしい発想だ。
「親を困らせて遊ぶなど、全く十八にもなって……」
とはいえテネブラと違い、リュクサーナはこれまで我が儘の一つも言ったことがなかったのだ。ならば少しの子供返りぐらい、気の済むまで好きにさせてやろう。
「放っておけ。たまには王女としての重責を放り出し、一人になりたいこともあろう」
そう言って、国王は近侍を下がらせた。まあ、お腹が空いたら出てくるだろう……その程度に考えて、執務に戻る。
国王は、とにかく多忙なのだ。いちいち娘の反抗期などという個人的な事情に、構ってはいられないのだから――。
◇ ◇ ◇
そんなことがあったとすっかり忘れたまま、はや数日が過ぎたころ。ひじ掛けにもたれたまま山のような書状に目を通していた国王は、ある一通で慌てて背筋を伸ばした。
その書状には、隣国ドレッセンの国王の署名が入っている。内容は、戴冠式のために注文していた守護宝石二個の受け取りに王太子本人を向かわせた、という訪問の先触れだった。
完成したら知らせると伝えたまま音沙汰なく期日が迫っていたので、痺れを切らしたのだろう。それにしても、まさか使者ではなく王太子本人が来ようとは、よほど火急に守護宝石を必要としているのだろうか。
(ドレッセンの次代の継承に、特に問題はなかったはずだが……とはいえ、用意を急がねばならんな)
今のところ完成している守護宝石は、ひとつ。後の一つは、まだ浄化の途中だったはずだ。
「リュクサーナを呼べ」
あの子が、あらかじめ伝えた納期に遅れるとは珍しい。
(これも、反抗期というやつなのか……?)
ため息を吐きつつ次女の訪れを待っていると、顔を青ざめさせた侍従長が現れた。
「リュクサーナ殿下のお姿がございません」
「どういうことだ? 侍女たちは何をしている」
「それが……陛下が放っておけとおっしゃいましたので、そのままにしていたとこのとで」
「放っておけなどと言った覚えは……まさか、四日前のあれのことなのか? 四日もの間、何人もいる侍女どもの、ただの一人も経過を報告しようとしなかったのか? ただ言われたまま、異状を放っておいたとでもいうのか!? 愚か者どもが、少しは自らの頭で考えろ!」
あまりの答えに思わず怒りをあらわにすると、侍従長が頭を下げた。
「はっ、大変申し訳ございません!」
「今すぐ、リュクサーナ付きの侍女どもを呼べ!」
わらわらと現れたまだ年若い侍女たちは、ようやく事の重大さに気づいたようだった。執務机の向こうから無言で睨みつける国王の手前で、侍従長より一人一人に聞き取りが行われてゆく。
すっかり青ざめた侍女たちから聞き出された事実は、頭を抱えたくなるものだった。もう随分と前から、まともに仕えていなかったというのだ。
「陛下、この者たちの処遇を、いかがなさいましょう」
そこで初めて口を開いた国王の声は、ごく冷ややかなものだった。
「王女付き侍女の身分を解き、各家に送り返せ。今すぐにだ」
その途端、どんなお咎めを受けるのかと震え上がっていた娘たちの間に、安堵の色が広がった。
国王の執務室を辞して廊下を歩きつつ、うちの一人が得意げに言い放つ。
「ほら、わたくしたちは下位とはいえ貴族なのだから、国王陛下といえどもそう簡単に処刑なんてできないから大丈夫だって言ったじゃない!」
その言葉で、一気に緊張が解けた。侍女たちはどこか勝ち誇るような笑みを浮かべつつ、安心して帰路につく。
だが彼女たちは、まだ気付いていないのだ。王家へ行儀見習いに出された令嬢たちが、不躾な振る舞いをして実家へ送り返されてしまった。体面を何より重んじる貴族たちにとって、それが一体、どんな意味を持つのかを――。
元侍女たちが去った執務室で、国王は深いため息をついた。
これほど長く消息不明が続くなら、これは計画的な失踪だった可能性も高くなる。ならばあのバルコニーに残された縄は、ブラフではなかったのかもしれない。
縄を伝って地上に降り立てば、そこは王宮の広い庭園だ。そのまま半日も庭園内に潜伏すれば、大勢の人々が出入りする隙に、敷地の外へ出られたとしても不思議ではない。
王宮の中へ入ろうとする者に対しては、もちろん厳重な確認を行っている。だが外へ出ようとする者に対しては、警衛の人員をそれほど割いてはいなかった。
初動の遅れに気づいた国王は、いやオーギュスタンは、再び深いため息をつく。
次女は母親の類まれな美貌こそ引き継がなかったが、代わり自分によく似た、賢い娘だと思っていた。大人しいが政治的に優れた嗅覚を持っていて、私情を抑え、合理的に立ち回れる側の人間だと考えていたのだ。
だからこの国にとって何が一番利益をもたらすのかをよく計算し、状況を把握した上で、自らの役割を分担することに納得していた。そう、思っていたというのに。
「不満があるなら、なぜもっと早くに言わなかった。黙って『察してくれ』という態度を取られても、知らんとしか言いようがないだろう。こちらは多忙なのだから、言いたいことがあるならそう、はっきりと口にするべきだったのだ……!」
(勝手に我慢しておいて、突然幼い感情を爆発させて責務を放り出すなどと……全く、とんだ手間を掛けさせてくれたものだ!)
――なお当の娘は何度も冷静に声を上げていたのだが、それを毎度多忙にかまけて生返事で終わらせていたことなど、国王はとうに忘れてしまっている。
(まさかあのリュクサーナまで、多くの頭の悪い女たちと同じ甘えた性根を隠し持っておったとは……こんなにも期待してやっていたのに、裏切りおって!)
次女には、期待していた。あの不穏分子となり得る男をこのまま上手くこちら側に取り込めたなら、それを事由に次期王位は次女にくれてやってもいいとすら考えていたのだ。
こんなにも、期待してやっていた。それなのに、ただ『自分が目立てなかったのが不満』などという幼稚な理由で、賢王とすら呼ばれる父の期待を裏切ったというのか。
(王族に生まれておきながら、大局を観られない。なんと、なんと頭の悪い娘だ……!)
だが娘の反抗に憤る余裕があったのは、そこまでだった。
◇ ◇ ◇
――第二王女の捜索は、難航を極めた。
たとえ失踪から六日がすぎても、まだ広い王宮の敷地内に潜伏している可能性は高い。宮殿内で大勢の使用人に囲まれた暮らししか知らない王女が、市井の暮らしに紛れることができるとは考えられないからだ。
いくら世間知らずの王女でも、一人で市井に下りるなど自殺行為であることぐらいは分かるはず。もし仮に迷いなく外へ出たのなら、きっと協力者がいるだろう。
「まだ見つからんか……仕方ない、リュクサーナを匿っている可能性のある貴族を洗い出し、邸内へ捜索に入ることも視野に入れよ」
「かしこまりました。ところで……ドレッセンのオズヴァルト王太子殿下の御一行が、国境の砦までご到着なさったとの伝令が参っております」
国王の表情が、さっと凍りついた。そこまで来てしまったのならば、悠長にリュクサーナを捜している暇はない。
「宝石姫を……テネブラを呼べ。至急、浄化をさせる」
「は、しかしテネブラ殿下では……」
数少ない宝石姫のカラクリを知る侍従長は、不遜を知りつつ眉を曇らせた。
「御託はいいから、テネブラをすぐに呼べと言っておる。あれらは、双子なのだ。リュクサーナにできて、テネブラにできぬことなどない。そうだろう?」
苛立ちを隠しきれない国王の声に、侍従長は深々と頭を下げて執務室から出て行った。




