第10話 イケメン爆誕(たぶん)
長い階段の終わりから続く地下通路の中は、完全なる闇に沈んでいた。私は収納魔法に手を入れて、このために用意しておいた指輪と靴をひっぱり出す。左手の中指に指輪を嵌めて、足を柔らかな靴に入れた。
指輪に留付しておいた灯明の護石に魔力を流して、小さな明かりを灯す。温かみのある白光が石壁を照らし出すと、通路は思っていたよりも広さがあった。
大人が二人並んで余裕で歩けるぐらいの幅があり、天井も高い。有事の際に王族やその護衛たちが、走って逃げることを想定して作られたのだろう。
石の床には長い年月を経た埃がうっすら落ちているけれど、足跡がつくほどの堆積量ではない。これなら通った痕跡はほとんど残らないはずだ。
慎重に、歩き出す。通路は思っていたよりも音の反響が大きかった。自分の足音が壁に跳ね返り、前からも後ろからも聞こえてくるようだ。
私は不安になって立ち止まり、背後に耳を澄ませた。辺りは、しんと静まり返っている。追手の気配はない。
侍女はぐっすり眠っているし、窓からはロープが垂れている。私がこの通路を使ったことは、誰も知らない。
――だから、大丈夫。大丈夫だ。
それでも通路を半分ほど進むまでは、自分でも少し可笑しいくらいに何度も後ろを振り返ってしまった。やがて通路はゆるやかに下りながらカーブして、小さな部屋に出る。
王家の紋章が壁に刻まれた、小さな石室だ。棚には非常用の物資が並んでいる。保存食に衣類、毛布、武器、そして護石の数々――いざというとき、王族が逃げながら生き延びるための備蓄だ。
――欲しいけど、手をつけてはダメだ。
ここまで痕跡を残さないよう気をつけてきたのに、欲にかられて失敗するわけにはいかない。備蓄に手をつければ、万に一つ父王がこの通路を思い出して調べたときに、ここを通ったことが確定してしまう。つまり、追手に確実な手がかりを与えるということだ。
棚から目をそらして、収納魔法から男装一式と旅の荷物を入れる背負い袋を取り出した。
麻でできたシャツにズボン、そして同じ素材の地味な外套。使用人に着替えを支給する倉庫から拝借して、わざとくしゃくしゃにしておいたものだ。
薄い寝間着を脱ぐと、素肌の上に守護宝石を嵌めた装具だけを身に着けている。その上からぐるぐると晒しのように布を巻いて胸をつぶし、シャツを羽織ってズボンをはいた。
最後にフード付きの外套を羽織ってから収納魔法に手を入れて、小さな鏡を取り出した。そこに映っていたのは、さっぱりとした顔立ちの少年だった。
すっきりとした輪郭に、涼やかな目鼻立ち。地味と言われた塩顔が、男装すると途端に爽やかに見える。長い髪は、今は一つにまとめてフードから背中に押し込んでいるけど、ぱっと見ではまず女性とは分からないだろう。
髪色も相まって見事なアースカラーコーデだけど、我ながらなかなか様になっている。
――むしろ、けっこうイケメンかも?
私は上機嫌で鏡をしまって、奥のくぼみに取りつけられた梯子に手をかけた。
梯子を上りきると、頭上に石の蓋があった。力を込めてなんとか押し上げれば、ずっしりとした重みのあとに、ひんやりとした夜気が流れ込んで来る。
這い出た先は、古い井戸の中だった。周りは、たっぷりと苔むした石組みの内壁で囲まれている。見上げると、丸く切り取られた夜空が見えた。
さてどうやって上ろうかと内壁をよく見ると、鉄の取っ手が壁に点々と打ち込まれていた。慎重に上っていき、とうとう届いた井戸の縁に手をかけて、体を引き上げる。
地上に出た瞬間、世界が一変した。
広がる木々の隙間から、月が静かに顔を覗かせている。銀色の光が葉の間を縫うようにして降り注ぎ、夜露に濡れた草花がきらきらと瞬いていた。
――地面が、まるでたくさんの小さな水晶を撒いたみたいに輝いている。
空気が、甘い。春の終わりを迎えた森の、緑と、夜に咲く花の香り。汗と香水の臭いが入り交じって息苦しい宮殿の中とは違う、新鮮な大地のにおい。胸いっぱいに吸い込むと、身体の中から浄化されてゆくようだ。
風が吹くと梢が揺れて、さやさやと葉擦れの音が広がってゆく。その音に混じって、遠くでフクロウが鳴いた。
夜の森が、こんなに音に満ちていたなんて――宮殿の窓から外を眺めることしかできなかった私には、初めて知ることだった。
思わず、大きく伸びをする。両腕を高く天に突き上げて、ぐっと全身を伸ばす。十八年分のストレスが、一気にほどけていくようだ。
もう誰も、私を閉じ込めたりしない。
見回せば、どこまでも続く満天の星――。
思わず涙が出そうになって、慌てて目もとを拭った。今は、泣いてる場合じゃない。夜が明ける前に、森を抜けなければ。
火竜骨石のペンダントが、胸元でかすかな温もりを放っている。
私は決意をもって顔を上げると、収納魔法からナイフを取り出した。いったん外套を脱いで、長い髪をつかむ。
姫君らしく、ここまで大切に伸ばしてきた髪。テネブラの金色の巻き毛ほど華やかではないけれど、癖が少なくきめの細かい、銅色の髪。
未練がない、と言えば嘘になる。でもここまで髪が豊かに長ければ、やっぱり女に見えやすい。
ナイフの刃を首の後ろに当てて、ざりざりと一太刀で断ち切った。もっと大変かと思ったら、びっくりするほど呆気ない。
ふっと、肩が軽くなった。
切り落とした髪を改めて見れば、月明かりの下で艷やかに輝いている。さすがに王女として暮らしていただけあって、改めて見ても手入れがよく行き届いていた。
残ったほうの髪を手鏡で見ると……素人カットは、やっぱりすごく不格好なおかっぱだった。右と左で長さが違うし、後ろなんか自分では見えないから推して知るべしだろう。美容師さんのありがたみを、これほど痛感したことはない。
――まあいっか。なんとかなるでしょ。
切った髪は丁寧に束ねて縛り、布で包んだ。良質な人毛は、カツラの材料として高値がつくらしい。これを床屋に持ち込んで売れば、そのお金で髪を整えてもらえるかもしれない。
私は切った髪を背負い袋に入れて、森を歩き始めた。足元の落ち葉が、かさかさと鳴る。細い道を辿ってゆくと、やがて街道に出た。
月明かりに照らされて、遠くに宮殿を囲む城壁が見えた。
――あそこに、もう私の居場所はない。
振り返ったのは、一瞬だけだった。
すぐに前を向いて、歩き出す。
朝がくれば、きっと大騒ぎになるだろう。納品の期限が迫っている守護宝石もろとも宝石姫の中の人が消えたとなれば、ただの家出では済まされない。窓から垂らしたロープを見て、大慌てで庭園を、そして城壁の中を捜索してくれれば上々だ。
見張りの侍女は、きっとすっごく怒られることだろう。あのタイプは仲間を庇ったりしないだろうから、「自分だけが悪いんじゃない!」とかなんとか言い訳し、全員のサボりの実態が調べ上げられるのも時間の問題じゃないかな。知らんけど。
私は晴れやかな気分で、次の街へ向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
夜明け前に、王都から少し離れた街にたどり着いた。
王都ほどの規模はないけれど、街道沿いの宿場町には早朝から旅人や商人が行き交っている。この人混みに紛れてしまえば、簡素な身なりの少年が目立つことはない。
街の目抜き通りを歩くうち、床屋を示すカミソリの意匠を掲げた看板が見つかった。早朝から店を開けていて、店先で髭を整えてもらっているおじいさんが一人見える。
店に入ると、恰幅のいいおかみさんが「いらっしゃい、坊や」と声をかけてきた。どうやら、ちゃんと少年に見えているようだ。
「あの、髪を整えてほしいんですが」
フードを取ると、おかみさんが私の頭を見て目を丸くした。
「あらまあ、ずいぶん豪快に切ったねえ。自分でやったのかい?」
「はい。髪を売ろうと思ったのですが、上手に切れなくて」
「それ、見せてくれるかい?」
「はい」
背負い袋から布に包んだブロンズの毛束を取り出して、おかみさんに差し出した。
「これ、買い取ってもらえませんか」
おかみさんが布を開いて、中の髪を一房つまんだ。光にかざしつつ感触を確かめ、長さを測る。すると目つきが、ぱっと変わった。
「ちょっと。これ、すごく上物じゃないか」
「そうですか?」
「坊やの髪なのかい!?」
「はい。生まれつき髪質がいいらしくて伸ばしてたんですけど、旅に出るのでお金が必要になって」
「そっか。まあ髪を売る人間なんざ、たいていワケありだからねぇ」
おかみさんは同情めいた顔をして、それ以上は詮索しなかった。商売人の勘というやつだろうか。出所の怪しい品には、あまり深入りしないのが得策だ。
「じゃあ頭の方整えるから、こっちにお座り」
すすめられた椅子に座ると、おかみさんがてきぱきと髪を梳かし始めた。カットしながら「手触りがいいねぇ」と感心されて、ちょっと嬉しい。
結局、髪の買い取り額は私の予想をかなり上回った。
「はい、髪のお代から散髪代を引いて、残りがお釣りね。艶があって量も長さもあるし、こりゃいい値がつくよ」
いい感じに散髪してもらった上に、お釣りが返ってきた。よくある茶髪だったから、逆にカツラ需要も高いことが功を奏したらしい。
思わぬ額の臨時収入を懐にしまいながら、私はすっきりと整えられた短髪を撫でた。店先の鏡にちらりと映った自分は、こざっぱりとした旅の少年に見える。
――うん、いい感じ!
床屋を出ると、午前の光が街道を明るく照らしていた。街道の先には、まだ見ぬ土地が広がっている。ギルドがあって、鉱山があって、まだ見ぬ宝石がたくさん眠っている場所が。
ここから宝石採掘者リュクサーナの、出発だ!
……ってそうか、もうこの名前は使えないんだ。男っぽい名前を考えなきゃ。
考えるべきことはまだまだたくさんあるけれど、これからは何だって自由にできる。
再び大通りをゆく私の足取りは、不思議なほどに軽かったのだった。
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