表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/22

第8話 届くところまで引く

救助隊は四人で組んだ。


前に立つのは、ラストール支部の警備員二人。


一人はバルド。

短い槍を持つ、肩幅の広い男だった。

右目の上に古い傷がある。

踏み出し方は鈍くない。


もう一人はエダ。

片刃の剣を腰に差した女だ。

無駄口は少ない。

入口の暗がりを見ても、足を引かなかった。


戦える者の足だ。


俺は三人目だった。

手に持つのは槍でも剣でもない。

赤い塗料壺と、割れた刷毛だ。


四人目はマノン。

台帳と古い初級区画図を抱えている。


「マノンも来るのか」


「場所を記録したのは私です。案内くらいはできます」


「戦えないだろ」


「はい」


即答だった。


「だから、後ろにいます。邪魔になったら置いてください」


置ける顔ではなかった。

それでも、言ったことは正しい。


俺はマノンの靴を見た。

支部の中で履く靴ではない。

底の厚い、古い迷宮靴だ。

準備はしている。


リセは入口の脇に立っていた。

その隣には、支部員の少年が一人ついている。

年は若いが、包帯箱と水筒を持っていた。


「リセから目を離すな」


俺は少年に言った。


「倒れたら、動かすな。呼べ」


少年は硬い顔で頷いた。


リセは少し不服そうにこちらを見た。


「入口までだと言った」


「入口にいます」


「そこから動くな」


「動きません」


返事は素直だった。

だが、目は奥を見ている。


死の濃い方角を探している目だ。


胸元の《死亡■■》には、細いひびが残っている。


《塗膜残存:五日未満》


俺はその表示を見てから、足元の赤線を見た。


入口基準印は、まだ濡れている。

半分乾いたところへ、さらに赤を足した。


乾く前に触れば崩れる。

だが、このままでは救助隊が奥へ入れない。


仮補修には、こういう無理がある。


「ノルさん」


リセが小さく言った。


「奥の死が、一箇所に固まっています。たぶん、コレットさんの場所です」


「どの方角だ」


リセは迷宮の口を見た。


「右に曲がった先。二つ目の丸印。そこで、死が滞っています」


「分かった」


「ただ、そこだけではありません」


リセは眉を寄せた。


「その手前に、薄い死が動いています。魔物かもしれません」


バルドが槍を握り直した。


「小型なら抑える」


エダは頷いただけだった。


俺は入口の赤を見た。


「俺は前に出ない。魔物が出たら、二人が止める。俺は線を見る」


バルドが笑った。


「分かりやすくていい」


「戦えるふりはしない」


「その方が助かる。後ろで急に倒れられるのが一番困る」


いい判断だ。


俺は赤塗料に黒止め粉を少しだけ足した。

入口基準印から伸ばすためではない。

奥に残った古い印を、帰る向きへ押さえるためだ。


《派生技能:上塗り》


あの封鎖区域で初めて見えた表示が、また視界の端に浮いた。


普通の補修ではない。

残った塗膜に、別の向きを一時的に重ねる感覚がある。


直したわけではない。

剥がれるまで、上から押さえるだけだ。


死を押さえる白。

帰還を押さえる赤。


塗るものが違えば、下地も違う。


俺は赤を置いた。


入口基準印から、細い感触が奥へ走る。


古い帰還矢印。

半分剥がれた丸印。

避難部屋の二重丸。

封鎖線の欠け。


残っている塗膜が、順に小さく震えた。


「今、奥が少し変わりました」


リセが言った。


「死の流れが、一本ではなくなりました」


「道が増えたんだろう」


「たぶん」


たぶんでいい。


俺は刷毛を道具袋に収めず、手に持ったまま立ち上がった。


「行くぞ」


第七迷宮に入った。


入口から三十歩は、さっき塗った赤が残っている。

まだ濡れているところを避け、横を歩く。


バルドが前。

エダがその横。

俺は二歩後ろ。

マノンはさらに後ろ。


灯りは二つ。


壁の赤印が、ところどころ息を吹き返していた。

新しくなったわけではない。

薄かった印が、入口側へ向くように見える。


上塗りが効いている。


だが、弱い。


迷宮の湿気が、赤の縁をすぐにぼかす。

奥へ行くほど、入口基準印からの感触は細くなる。


「長くは持たない」


俺は言った。


「どれくらいですか」


マノンが聞く。


「分からない。だが、夜明けまでは持たない」


「急ぎます」


「急ぎすぎるな。線を見落とす」


曲がり角に着いた。


壁の丸印は、下半分が剥がれている。

これでは避難部屋の印と見分けにくい。


俺は膝をつき、古い膜を削った。


バルドが前方を見張る。

エダが後方を見る。

マノンは灯りを低く持つ。


手順は整っている。


「ここか」


俺は聞いた。


マノンが地図を見る。


「はい。一つ目の丸印です。二つ目は、この先を右です」


「ここの向きが狂ってる」


俺は赤を足した。


《帰還丸印:剥離》

《帰還方向:不安定》


刷毛の先で、丸の欠けた下を押さえる。


《丸印:仮補修》

《帰還方向:微弱回復》


奥から、何かが鳴いた。


高い声。

狼ではない。

羽虫でもない。


バルドが槍を構える。


「来る」


壁の割れ目から、灰色の小型魔物が二匹出てきた。

四足。

背中に石のような突起。

目はほとんど見えていない。


迷宮鼠。


噛まれると熱を出す。

単体なら弱い。

群れれば厄介だ。


俺は下がった。


エダが前へ出る。


一匹目の首を、短く斬る。

バルドが二匹目を槍で壁へ押しつけた。


俺は何もしていない。


だが、足元に線が見えた。


《封鎖線:欠損》

《魔物流入:微弱》


この割れ目から漏れている。


「バルド、そのまま押さえろ」


「長くは無理だぞ」


「一息でいい」


俺は赤ではなく、黒止め粉を混ぜた灰色の塗料を指に取った。


割れ目の縁に塗る。


《封鎖線:欠損》


灰色が沈む。


《封鎖線:仮閉鎖》


壁の中で、かさかさという音が遠ざかった。


バルドが槍を引く。

押さえていた迷宮鼠は、エダが仕留めた。


「助かる」


バルドが短く言った。


「塞いだだけだ」


「それが助かる」


そう言われると、返す言葉が少ない。


俺は刷毛を拭いた。


奥へ進む。


二つ目の丸印は、見た目より深かった。


下半分どころではない。

丸の右側が、迷宮の湿気で浮いている。

そこに誰かの手形がついていた。


泥の手形。


サシャか、トマか、コレットか。


「ここです」


マノンが言った。


「二人が言っていた場所」


俺はしゃがんだ。


《避難丸印:剥離》

《誘導印:逆流》

《帰還方向:混濁》


このまま塗れば、線が負ける。


丸印が避難部屋を示す二重丸と重なっている。

帰還方向の矢印は、逆の壁に薄く残っている。

初級者が疲れていたら、間違える。


いや、疲れていなくても間違える。


「ノルさん」


マノンの声が固い。


「コレットは、この先ですか」


「たぶん」


俺は壁の赤を見た。


「人は見えない。だが、ここで帰り道が剥がれている」


リセがいれば、死の濃さも読めただろう。

だが、ここにはいない。

連れてこなかった判断は間違っていない。


判断は、足りない情報でやるしかない。


奥から、弱い声がした。


「……誰か」


マノンが息を吸った。


「コレット!」


「叫ぶな」


俺が言うより早く、エダがマノンの肩を押さえた。


いい。


奥から、別の音もした。

石がこすれる。

何かが歩く。


バルドが槍を構える。


「人だけじゃない」


「分かってる」


俺は丸印に赤を置いた。


強くは置かない。

奥へ引くためではない。

帰る向きだけを戻す。


《上塗り》


赤が浮いた塗膜を押さえる。


丸印の右側が震え、入口側へ向く。


迷宮の奥から、かすかな声がもう一度聞こえた。


「赤……見えます」


生きている。


俺は立ち上がった。


「届いた」


だが、声の位置はまだ遠い。


届いたのは線だけだ。

人までは、まだ届いていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ