Track.66
「早いな、お前」
『そりゃそうダロ。こっちは朝からずっと気になってたんだお! で!? 漏れの演劇アドバイスは効いたん!?』
効いた。
だからこそ、俺は今、落ちたのか通ったのか、余計に分からなくなっていた。
◇ ◇ ◇
今朝――。
家を出て、駅へ向かう道を歩いていた時だった。
ポケットの中で携帯が震える。
画面を見ると、ヤマジからだった。
「……もしもし」
『一ノ瀬氏!! オーディションは!?』
「これからだが、どうした?」
『間に合ったか。よし。今から言うことを落ち着いて聞け』
その声音が妙に深刻で、俺は思わず足を止めた。
「……何だよ」
通話の向こうで、ヤマジがひとつ息を吸う気配がした。
『漏れは間違っていたかもしれん――』
「は?」
『サブローは、目立たなくていい』
「……うん?」
『目立つ役じゃないんだお。サブローは』
『主人公の日常を支える役なんよ。喫茶店の空気とか、いつもの席とか、いつもの珈琲とか。そこで“大きく見せよう”としたら違うんじゃね? って思った』
「お、おう……急にどうした」
昨日まで「声は大きく、表情は三倍」とか言っていた男とは思えない方向転換だ。
『一ノ瀬氏、昨日ちゃんと寝れたん?』
「いや……寝れてない」
『だろうな』
「何で分かるんだよ」
『漏れも昨日、眠れんかった』
「お前もかよ」
『一ノ瀬氏が、オーディションで空回りしないか心配になって、ドキがムネムネしたんだお』
「おい、やめろ」
『いや、マジで気になってさ。演劇とか、オーディションとか、色々ググってたんだお』
「それで?」
『そしたら、『カラスの仮面』の二人の王子オーディションの話に行き着いた』
「カラスの仮面」
『往年の演劇漫画の名作だお。タイトルがギリギリとか言うなし』
「まだ何も言ってない」
『で、だ。気になって、つい一巻から読んでしまった』
「一巻から?」
『どこでDLしたとか、そういう細かいことは聞くな』
「まだ何も言ってない」
『インターネッツの海には、いろいろあるんだお』
「……たぶん聞いちゃいけないやつだな」
『テヘペロ☆』
「やめろ」
『細けぇことはいいんだお。問題はそこじゃない』
「…………」
『それでな。漏れは『カラスの仮面』を一巻から読んだわけだが』
『主人公のアヤが、脇役なのに圧倒的な演技力で観客の視線を全部かっさらうんよ』
「脇役なのに?」
『そう。もはや主役より目立つ。そういうのを舞台あらしって言うんだお』
「舞台あらし……」
『で、漏れは思ったわけだ。サブローがそれやったらダメじゃね? って』
「まあ……ただの脇役の喫茶店のウェイターだしな」
『だろ? そこでサブローが“俺を見ろ!”ってやったら、主人公の場面を食うんだお。そんなの舞台あらし乙、って話だろ常考』
「言い方」
『でもな、ただ目立たなければいいって話でもないんよ』
「目立つなって言ったばかりだろ」
『そこが大事なんだお。星影先生が言ってた。役者は、舞台という城を支える石垣の石のひとつ。そのうちひとつが欠けても、城は崩れるって』
「石垣の石……」
『つまり、端役でもちゃんと意味があるってことだお。サブローだって、ただ背景になればいいわけじゃない』
「……なるほど」
『主役を食うんじゃなくて、主役と呼吸を合わせる。喫茶店の空気とか、いつもの席とか、そういう変わらない時間を作る側なんじゃないかって、漏れは思ったんだお』
主役を食うな。
でも、背景になるな。
主人公にとっての“いつもの時間”として、そこにいる。
◇ ◇ ◇
――そして、現在。
携帯の向こうで、ヤマジが前のめりに叫んでいる。
『で!? 漏れの演劇アドバイスは効いたん!?』
「効いた。めちゃくちゃ効いた」
『おお!』
「でも、そのせいで余計に分からなくなった」
『どういうことだお』
「俺の前が、世界の洋平だった」
『世界の洋平?』
「……とにかく、とんでもない人だった。芝居でスタジオに喫茶店を建てるわ、歌えば空気を全部持っていくわ、審査員も完全に見入ってるわで、俺の前に黒船が来た」
『黒船』
「こっちは手漕ぎボートだぞ」
『絶望的すぐる』
「で、そのあと俺は、お前の言葉を思い出して、目立たないサブローをやった」
『おお……!』
「……つもりだったんだけどな」
『ん?』
「即興では、審査員の人が乗ってきてくれた。最後の台詞で声を落としたら、それに合わせるみたいに」
『おお! いい感じじゃね?』
「でも、歌は一番早く止められた」
『……』
「世界の洋平は最後まで歌った。審査員も完全に見入ってた。でも俺は、一コーラスにも届かなかった」
『……マジか』
「しかも、退出しようとしたら、プロデューサーの人に呼び止められた」
『呼び止められた?』
「最後の台詞で、どうして声を落としたのかって聞かれた」
『……それ、どういうことなん?』
「分からん。説明はした。主人公だけに聞こえればいいと思ったからって。でも、それが良かったのか悪かったのかは、全然分からなかった」
電話の向こうで、ヤマジが黙り込む。
いつもの軽い茶化しも、妙なネットスラングも返ってこない。
その沈黙が、逆に答えみたいだった。
『う~~~ん……』
「だよな」
『わからん。わからんな』
ヤマジの声が、さっきまでより少しだけ低くなる。
『歌は一番早く止められたかもしれんが、即興は乗ってきたんだよな』
「ああ。いちおう、な」
『いちおう?』
「俺の即興は、ラリー一往復で終わった。審査員の人も乗ってはくれたけど、すぐ終わったんだよ」
『……』
「世界の洋平の時は、違った。審査員の人も完全にノリノリでさ。甘めのベリーソースを添えたミルフィーユとかすすめて、そこから芝居が広がっていって」
思い出すだけで、胸の奥が重くなる。
「あれはもう、サブローとして成立してた。何もないスタジオに、本当に喫茶店が見えた」
『……世界の洋平、強すぎる……な』
「強すぎる。あんなの、かなうわけがない」
言葉にした瞬間、さらに現実味が増した。
やっぱり、サブロー役は圧倒的に杉田さんなんだ。
杉田さん以外の候補者は、もう見る必要がない。
俺の歌なんて、最後まで聴く価値もない。
そう判断されたのかもしれない。
『……漏れの解釈、間違ってたのかもしれん』
「いや」
俺は反射的に否定した。
でも、その先の言葉が続かなかった。
『一ノ瀬氏、スマソ……』
「違う。お前のせいじゃない」
駅前のコンビニの看板が、やけに遠く見えた。
「俺も、セリフの裏を読んだつもりだった。でも、そもそも考えすぎだったのかもしれん」
『……』
「普通に、もっと分かりやすくやればよかったのかもな」
そう言った瞬間、自分で自分の声が少し沈んだのが分かった。
黒瀬さんの即興。
白川さんが、俺の歌を止めたタイミング。
神崎さんの質問。
全部が頭の中でばらばらに散らばって、どれが正解で、どれが不正解なのか、もう分からなかった。
「正直、落ちたと思う」
電話の向こうで、ヤマジは何も言わなかった。




