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ALIVE!42歳のおっさんが、国民的アイドルになった件。  作者: 舞見ぽこ
Chapter 3:Step Up Stage

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Track.64

「では、二十六番の方。自己紹介からお願いします」


 黒瀬さんの声が、静かに落ちた。


 俺だ。


 喉の奥が、きゅっと狭くなる。


 まだスタジオには、杉田さんの歌の余韻が残っていた。

 喫茶店の照明も、珈琲の香りも、主人公の沈んだ横顔も、全部そこにある。


 その空気の中に、自分が立たされる。


 ……やりにくい。


 やりにくすぎる。


 握っていた台詞の紙が、かすかに震えていた。

 俺は慌てて、それをもう片方の手で押さえる。


 落ち着け。


 世界の洋平と同じことをしようとするな。

 そんなの無理だ。

 できるわけがない。


 だったら、俺は俺のサブローをやるしかない。


 ヤマジの声が、頭の奥でよみがえる。


 ――あの役は、目立つ役じゃない。


 そうだ。


 サブローは、主人公の隣でスポットライトを浴びる役じゃない。

 喫茶店の空気の中に、自然にいる役だ。


 俺は震える手をぎゅっと握り込んだ。


 小さく息を吸って、椅子から立ち上がる。

 そして、一歩前へ出た。


「二十六番、ルクスプロダクション所属の一ノ瀬奏です。よろしくお願いします」


 声は、少し震えた。


 でも、途中で逃げなかった。

 最後まで言い切って、頭を下げる。


 黒瀬さんが資料に視線を落とし、それから顔を上げた。


「では、課題台詞をお願いします」


「はい」


 俺は、台詞の紙を見なかった。


 派手に見せようとしなくていい。

 世界の洋平みたいに、何もない場所に喫茶店を建てられなくてもいい。


 ただ、そこにいればいい。


 この店で何度も客を迎えてきたサブローとして。

 いつもの時間に、いつもの席へ、いつもの客を案内するように。


 俺は肩の力を抜いた。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 声は張りすぎない。


 けれど、ぼそぼそにもならない。

 店の入口に立った客へ、自然に届くくらいの声。


 毎日何度も言っている言葉みたいに。

 今日だけ特別に用意した台詞じゃなく、サブローの体に染みついた接客の言葉として。


 俺はほんの少し体を引き、席へ案内するように手を添えた。


「今日のおススメは、季節のミルフィーユです」


 明るく。

 でも、売り込むようには言わない。


 いつもの説明を、いつもの調子で添えるだけ。


 客が選びやすいように。

 会話のきっかけが、少しだけ生まれるように。


 それから俺は、主人公へ視線を戻す。


 課題曲の歌詞が、頭の中で静かに鳴っていた。


 いつもの席。

 いつもの声。

 それでも今日は違う気がした。


 窓辺に揺れる午後の光。

 開いたメニューをなぞる指。


 そこが、ずっと引っかかっていた。


 主人公は、いつもの珈琲を頼む常連客だ。

 だったら、本来はメニューなんて開かない。


 それなのに、今日はメニューが開かれている。


 つまり――。


 

 俺の声は、自然と少し落ちていた。


「……やっぱり、いつものですか?」


 店内に響かせる声じゃない。

 目の前の主人公にだけ届けばいい声。


 いつも通りで大丈夫ですよ、と。

 違うものを選んでも構いませんよ、と。


 どちらにも逃げられるように、そっと置く。


 それ以上は、踏み込まない。


 言い終えたあと、数秒だけ間が空いた。


 ……長い。


 実際には、ほんの数秒だったのかもしれない。

 でも俺には、やけに長く感じられた。


 何か、まずかったか?


 長机の向こうで、プロデューサーの神崎さんがじっと俺を見ていた。


 最初に見た時と同じ、柔らかい笑みを浮かべている。

 けれど、その目の奥に、さっきまでとは違う光が宿っていた。


 何かを測るような、確かめるような目だった。


「……いつもの、ね」


 沈黙を破ったのは、黒瀬さんだった。


 来た。


 即興だ。


 黒瀬さんも、ほんの少し声を落としている。

 さっきの俺の声に合わせるみたいに。


「今日はさ、少し格好つけた方がいいかな」


 格好つけた方がいい。


 その言葉で、胸の奥に引っかかっていたものが、すとんと落ちた。


 やっぱり、そうだ。


 俺は、サブローとして小さくうなずいた。


「いつも通りで、よろしいかと思います」


「そう?」


 黒瀬さんが、少しだけ口元をゆるめた。


「……じゃあ、やっぱりいつもの」


「かしこまりました」


 俺は、静かにうなずいた。


「いつもの珈琲を、お持ちします」


 黒瀬さんが、黙った。


 また、一拍。


 長机の向こうで、誰かのペンの音が止まった。


「……はい。ありがとうございます」


 え。


 終わり?


 杉田さんの時みたいに、芝居が大きく広がるわけでもない。

 黒瀬さんがさらに乗ってくるわけでもない。


 ただ、静かに受け取られて、そこで終わった。


 今ので、よかったのか?


 それとも、広げられなかったと思われたのか?


 手のひらに、じわりと汗がにじむ。


「では、続けて課題曲をお願いします」


「……はい」


 白川さんが、MDコンポの再生ボタンに指を置く。


 課題曲。


 さっき杉田さんが、最後まで歌い切った曲だ。


 あの声量。

 あの響き。

 一節で空気を変える、舞台の声。


 俺に、同じことはできない。


 でも、同じことをする必要もない。


 観月先生に言われたことを思い出す。


 誰に向けて。

 どの言葉を。

 どう届けるか。


 俺のサブローは、店中に向かって歌わない。

 目の前の主人公にだけ届けばいい。


 短いイントロが流れる。


 俺は息を吸った。


「♪ いつもの席 いつもの声」

 声は、自然と少し抑えめになった。


 小さいわけじゃない。

 ただ、遠くへ飛ばす声じゃない。


 目の前のテーブルに座る主人公へ、そっと置く声。


 長机の向こうで、白川さんが譜面からわずかに顔を上げた。


 ペン先が、紙の上で止まっている。


 ……え。

 何か、引っかかった?


 良い意味なのか、悪い意味なのかは分からない。

 けれど、さっきまでとは少しだけ空気が変わった気がした。


「♪ それでも今日は違う気がした」


 音程は外していない。

 リズムも、大きくずれてはいないはずだ。


 でも、杉田さんみたいな圧はない。

 スタジオの空気を塗り替えるような声でもない。


 それでもいい。


 俺は、舞台の真ん中に立つサブローじゃない。


 いつもの店の片隅で、変わらずそこにいるサブローだ。


「♪ 窓辺に揺れる午後の光」


 歌いながら、ほんの少し視線を落とす。


 そこへ、届けばいい。


「♪ 開いたメニューを――」


「はい。ありがとうございます」


 白川さんの声が、静かに割り込んだ。


 音が止まる。


 MDコンポの再生ボタンが押され、スタジオに残っていた伴奏がぷつりと切れた。


 え。


 もう?


 まだ、一コーラスも歌っていない。


 二十四番の北川くんだって、もう少し歌っていた。

 杉田さんなんて、最後まで歌い切った。


 なのに、俺は。


 ここで、終わり?


 喉の奥に、続きの歌詞が残ったままになる。


 頭が、真っ白になった。


 やっぱり、サブロー役は圧倒的に杉田さんなんだ。


 杉田さん以外の候補者は、もう見る必要がない。

 俺の歌なんて、最後まで聴く価値もない。


 そう判断されたのかもしれない。


 胸の奥が、すっと冷たくなる。


 ……終わった。


 そう思った。


 でも、ここで黙り込むわけにはいかない。


 俺は震えそうになる息を、無理やり押し込める。


「……ありがとう、ございました」


 なんとか、それだけを絞り出して、頭を下げた。

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