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ALIVE!42歳のおっさんが、国民的アイドルになった件。  作者: 舞見ぽこ
Chapter 3:Step Up Stage

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Track.63

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 柔らかい声だった。


 杉田さんの視線が、ほんの少し斜め前へ流れる。

 手のひらが自然に開き、相手を席へ案内する。


 その瞬間、何もないはずのスタジオに、喫茶店の入り口が見えた気がした。


 扉を開けて入ってきた主人公がいて。

 杉田さんは、その歩幅に合わせるように一歩引いて。

 席まで導いている。


 相手役なんていない。

 セットもない。

 それなのに、杉田さんの視線と表情だけで、そこに誰かがいるように見えてしまう。


 うわ。


 これが、舞台をやってきた人の芝居か。


 さすが世界の洋平。

 何もない場所に、喫茶店を建てた。


「今日のおススメは、季節のミルフィーユです」


 声が、ほんの少し明るくなる。

 押しつけがましくはない。

 けれど、その一言に、店の空気までふっと華やいだように見えた。


 たぶん主人公は、もう席についてメニューを開いている。

 杉田さんは、その横に立っている。


 ……はずなのに。


 目が離せない。

 俺の視線は、どうしても杉田さんに吸い寄せられる。


 今回俺が受けるサブローは、主人公が通う喫茶店のウェイター役だ。

 名前のある役の中では一番出番が少ないらしい。

 チョイ役、と言ったら美央さんに怒られそうだけど、少なくとも物語の中心に立つ役ではない。


 そのはずなのに。


 サブローなのに。

 ウェイターなのに。


 杉田さんがいる場所が、舞台の真ん中に見える。


 なんかもう、登場人物として強い。


「……やっぱり、いつものですか?」


 最後の一言だけ、少しだけ声の温度が変わった。


 明るく勧める声ではない。

 かといって、心配を前に出す声でもない。


 いつもと同じ席。

 いつもと同じ注文。

 でも、今日は何かが違う。


 そんな小さな違和感に気づいたみたいに。


 それでも、踏み込まない。


 声を潜めすぎず、距離を詰めすぎず、ただ注文を確認する形で置かれた一言だった。


 ……いや、上手いな。


 たった一言で、主人公がどんな顔をして座っているのかまで見えそうになる。


 黒瀬さんが、少しだけ身を乗り出す。


「いつもの、ね。……今日は、少し苦いものが飲みたい気分なんだ」


 来た。

 即興だ。


 杉田さんは、一瞬だけ目を伏せた。

 相手の言葉をちゃんと受け取ったように見えた。


「……かしこまりました」


 杉田さんの声が、ほんの少しだけやわらかくなる。


「では、いつもの珈琲を」


 そこで、ほんの少しだけ間を置いた。


 杉田さんは、黒瀬さんを見ていた。

 即興で投げられた台詞を受けて、目の前にいる相手役の表情を読む目だった。


「ご一緒に、少し甘めのベリーソースを添えたミルフィーユはいかがですか?」


 ベリーソース。


 世界の洋平、出してくる単語までお洒落。


 俺ならせいぜい「砂糖多めにしときますね」くらいしか出てこない。


「甘めのミルフィーユ?」


 黒瀬さんの目が、すっと細くなる。


「はい」


 杉田さんは穏やかに微笑んだ。


「苦いものが欲しい日ほど、甘いものも少し必要だと思いますので」


「勝手にすすめるんだ?」


「すすめるだけです」


 杉田さんは、少しだけ視線を下げた。

 黒瀬さんの表情を確かめるような、静かな間だった。


「いらなければ、いつもの珈琲だけお持ちします」


「……へえ」


 黒瀬さんが、ほんの少し笑った。


「じゃあ、それをもらおうかな」


「ありがとうございます。すぐにお持ちします」


 杉田さんは、静かに一礼した。


 それだけで、注文を受けたウェイターがテーブルを離れていく姿まで見えた気がした。


 歩いてもいない。

 皿も持っていない。

 もちろん、目の前に客なんていない。


 それなのに、今の一礼だけで、喫茶店の空気がふっと遠ざかる。


 終わり方まで綺麗か。


 世界の洋平、隙がない。


「はい。ありがとうございます」


 黒瀬さんがそう言うと、杉田さんはすっと表情を戻した。


 さっきまで喫茶店にいたサブローが、何事もなかったように二十五番の候補者へ戻る。


 うわ。

 切り替えまで速い。


「では、続けて課題曲をお願いします」


「はい」


 白川さんが、手元のMDコンポに視線を落とす。

 再生ボタンが押され、短いイントロが流れた。


 杉田さんが、静かに息を吸う。


「♪ いつもの席 いつもの声」


 最初の一節で、スタジオの空気が変わった。


 声量がある。


 けれど、ただ大きいだけじゃない。

 まっすぐで、よく通る声だった。


 マイクなんてない。

 劇場でもない。

 ただのオーディションスタジオだ。


 それなのに、その声は長机の向こうまで一気に届いて、壁に反響する手前で綺麗に止まる。


 うわ。


 これが、舞台の声か。


 音程が合っているとか、リズムが正確とか、そういう次元じゃない。


 一音目で、こちらの耳を掴まれる。

 一節で、目の前の空間が変わる。


 さっきまで何もなかったスタジオに、喫茶店の照明が灯ったような気がした。


「♪ それでも今日は違う気がした」


 次のフレーズで、杉田さんの視線がわずかに動いた。


 たぶん、主人公を見ている。


 席についた主人公が、いつものように笑っていない。

 メニューを開いているのに、文字を追っていない。

 珈琲を待つ横顔に、少しだけ影がある。


 そんなものまで、見えてしまいそうだった。


 歌っているのは、サブローだ。


 主人公を案内して、注文を取って、少し甘めのベリーソースを添えたミルフィーユをすすめたウェイター。


 そのはずなのに。


 目が離せない。


 サブローの一言。

 サブローの視線。

 サブローの歌声。


 全部が、舞台の真ん中に立っているみたいに見える。


 強い。


 強すぎる。


 世界の洋平、歌っても世界の洋平だった。


 課題曲の最後の音が、スタジオにすっと溶けていく。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 白川さんは譜面から顔を上げたまま、じっと杉田さんを見ている。

 神崎さんは、柔らかい笑みを浮かべたまま、目だけはまったく笑っていない。

 黒瀬さんも、さっきより少し前のめりになっていた。


 乗ってる。


 完全に乗ってる。


 やがて白川さんが、ゆっくりとペンを置いた。


「……はい。ありがとうございます」


「ありがとうございました」


 杉田さんが静かに頭を下げる。


 その所作まで、綺麗だった。


 スタジオの空気が、まだ杉田さんの歌を引きずっている。


 喫茶店の照明も。

 珈琲の香りも。

 主人公の沈んだ横顔も。


 全部、そこに残ったままだ。


 ……いやいやいや。


 この空気のあとに、俺?


 やりにくすぎる……!!


 手漕ぎボートのレースに、黒船が横づけしてきたようなものじゃないか。


 こっちはオールを握ってぷるぷるしているのに、向こうは大砲まで積んでいる。

 勝負の土俵が違いすぎる。


「では、二十六番の方。自己紹介からお願いします」


 黒瀬さんの声が、静かに落ちた。

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