Track.61
それから、何組かが順番に呼ばれていった。
一番から六番。
七番から十二番。
……
十八番から二十三番。
控室から人が減っていくたびに、ざわめきも少しずつ薄くなっていく。
そのはずなのに、部屋の空気は逆に重くなっていく気がした。
そして、しばらくしてまた控室のドアが開いた。
「二十四番から三十番の方、第四スタジオ前にお集まりください」
スタッフの声に、俺は反射的に番号札を確認する。
二十六番。
……入ってる。
台詞の紙を握り直した瞬間、ヤマジの声が頭の奥でよみがえった。
『漏れは間違っていたかもしれん。あの役は――』
昨日まで練習してきたことを、全部捨てるわけじゃない。
でも、ここはヤマジの読みを信じる。
親友よ。
お前が一晩で叩き込んだ舞台知識、頼りにしてるぞ。
俺は小さく息を吐いて、立ち上がった。
* * * * * *
第四スタジオの前には、壁に沿って椅子が並べられていた。
スタッフに促され、番号順に座っていく。
二十四番の青年は、見るからにガチガチだった。
台詞の紙を握る手に力が入りすぎて、端がくしゃっと曲がっている。
顔色も悪い。
う……。
こっちまで緊張してくる。
思わず視線を外すと、隣の二十五番の男性と目が合った。
二十五番の男性は、座っていてもわかるくらい背が高かった。
長い手足に、すっと通った鼻筋。
派手な雰囲気ではないのに、妙に目を引く。
すごいイケメンだな。
そう思った直後、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
……あれ。
この人、どこかで見たことがあるような。
「緊張しますね」
穏やかな声でそう言われて、俺ははっとした。
「あ、はい。めちゃくちゃします」
「僕もです。待ってる時間が一番落ち着かないですよね」
低くて、よく通る声だった。
その声を聞いた瞬間、さっきの引っかかりが一気に強くなる。
え。
嘘だろ。
この声。
この落ち着いた話し方。
それに、この背の高さと顔立ち。
いや、でも若い。
俺の知っているあの人より、ずっと若い。
でも。
まさか。
「若いですね。学生さん?」
「あ、はい。大学生です」
「そっか。いいなあ。僕はもう二十八になるんで。なかなか芽が出なくてね」
冗談めかした言い方だった。
でも、ほんの少しだけ自嘲が混じっているようにも聞こえた。
いやいやいや。
ご冗談を。
こんなにオーラがあるのに?
ますます、あの人っぽいんですけど。
「俳優さん……ですよね?」
恐る恐る聞くと、男性は少し照れたように笑った。
「一応、そうです。こういう場だと、どこの事務所の人かもわからないですもんね」
男性は小さく笑って、軽く頭を下げた。
「ホンダプロの杉田洋平です」
「ですよねっ」
食い気味に言ってしまった。
「……え?」
杉田さんが、きょとんとした顔でこちらを見る。
「あっ、いや! すみません! ルクスプロダクションの一ノ瀬です。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「その……前に舞台で見たことがあるような気がしまして!」
とっさに口から出た言い訳だった。
でも、完全な嘘ではない。
たしか、杉田洋平はブレイク前、舞台を中心に活動していたはずだ。
何かの番組で、そんなヒストリーを見た覚えがある。
「そうなんですね」
杉田さんの表情が、少しだけほころんだ。
「覚えていてもらえるのは、嬉しいです」
いやいやいや。
覚えているどころではない。
俺の頭の中では、さっきから警報が鳴りっぱなしだった。
杉田洋平。
二〇二五年には、誰もが名前を知っている俳優だ。
ブレイク前の二十代は、舞台を中心に活動。
その後、深夜枠のボーイズラブドラマで、危うい色気をまとった教師役を演じて一部界隈で熱狂的に支持され、さらに三角関係の恋愛を描いたトレンディドラマで一気に人気が爆発する。
たしか、最初は主人公に振られるかませ犬役だったはずだ。
それなのに、杉田洋平のあまりのイケメンっぷりと存在感に視聴者が沸き、途中で脚本が書き換わった、なんて裏話を聞いたことがある。
最終的に主人公が選んだのは、本来の相手役ではなく杉田洋平だった。
当て馬のはずが、本命になってしまった男。
役柄に合わせて減量も増量もこなし、どんな人物にもなりきる怪物俳優。
その後も映画やドラマで評価を重ね、三十代後半には大河ドラマの主役まで務める。
別に俺は俳優オタクじゃない。
それでも、このくらいの経歴はスラスラ出てくる。
それくらい、杉田洋平は日本が誇る名優だ。
いや、違う。
たしかハリウッドのドラマにも出演していたから、もはや世界の杉田洋平である。
……その世界の杉田洋平が、今、俺の隣に座っている。
しかも、同じ役のオーディションを受けている。
勝てるわけなくね?
「一ノ瀬さん?」
「あ、はいっ」
突然名前を呼ばれて、思わず声が裏返った。
杉田さんは不思議そうにこちらを見たあと、ふっと柔らかく笑う。
「大丈夫ですか? 顔色、少し悪いですよ」
「だ、大丈夫です」
大丈夫じゃない。
全然、大丈夫じゃない。
未来の名優と同じ役を争うとか、聞いてない。
というか、聞いていたとしてもどうにもならない。
俺は台詞の紙を握り直しながら、必死に平静を装った。
俺の隣に、日本の未来の大俳優が座っている。
その時、第四スタジオのドアが開いた。
中から、前の組の三人が出てくる。
表情はそれぞれ違っていた。
ほっとしたような顔の人もいれば、青ざめたまま俯いている人もいる。
スタッフが手元の紙を確認して、こちらを見た。
「二十四番、二十五番、二十六番の方。中へお入りください」
心臓が、どくんと跳ねる。
俺は台詞の紙を握り直し、立ち上がった。
前には、顔面蒼白の二十四番。
隣には、未来の名優――もとい、世界の洋平。
そして俺は、歌はともかく芝居はまったくの初心者の中身おっさん。
……何この並び。
けれど、もう逃げられない。
ヤマジの読みを信じる。
昨日までの練習も、無駄にはしない。
俺は小さく息を吸い、第四スタジオのドアをくぐった。
――オーディション本番が、はじまる。




