Track.60
たぶん、ただの接客じゃない。
でも、それが何なのかまではまだ掴みきれなかった。
「うーむ……これは一旦保留な件」
「だな」
俺は手元の台詞の紙をテーブルに置いて、今度は課題曲の譜面に目を落とした。
こっちはもう、通学中や寝る前に何度も聴いた。
メロディは、だいぶ頭に入っている。
軽く息を吸って、俺は歌った。
♪ いつもの席 いつもの声
それでも今日は違う気がした
窓辺に揺れる午後の光
開いたメニューをなぞる指
歌い終わると、ヤマジがふむ、と頷く。
「上手い。歌は問題ないんジャマイカ」
「いや……問題はそこじゃないんだよ」
「何が?」
「誰に届けるか」
観月先生の言葉が、頭の中によみがえる。
誰に。
どの言葉を。
どう届けるか。
譜面を見下ろして、そこでふっと気づいた。
「……あ」
「ん?」
「これ、さっきの台詞に繋がってるのかもしれん」
ヤマジが身を乗り出す。
「ほう」
「……掴めた、かも」
ヤマジが眼鏡をチャッとした。
「ほう。ついに一ノ瀬氏の中で、三行が三行以上のナニかになったわけだな」
「その言い方やめろ」
でも、少しだけ近づけた気はした。
* * * * * *
「……てか待てよ」
ヤマジが急に顔を上げた。
「このオーディションって、ルクス内のやつ? それとも一般?」
「一般も受けるって言ってた。芸能人とかモデルとかも来るらしい」
「それはルクスの武器を使うべきだろ。常考」
「ルクスの武器?」
「歌って踊れる、だ」
ヤマジが無駄にキリッとした顔で言い切る。
「いや、まあ……それはそうか」
言われてみれば一理ある。
ミュージカルといえば、歌いながら動く……よな。
それなら、今の俺にできる範囲で少しだけ見せ方を足してみるのは、なしではない……かもしれない。
俺は課題曲に合わせて、なんとかボックスステップと手の振りを入れてみた。
「♪ いつもの席――」
足を踏み替え、
手を胸元へ引いて、
次のフレーズで前に出す。
できることだけ。
無理はしない。
でも、何もしていないわけでもない。
一通りやり終えて、ヤマジのほうを見る。
「……どうよ」
ヤマジは腕を組んだまま、しばらく考え込んだ。
「……アー、ウン」
「何だよ、その反応」
「成立はしてる」
「成立はしてるが……今回は振付なしでいいかもしれん」
「お前が言い出したんだろ」
「いや、ミュージカルで動くのは正しい。
だがしかし、今の一ノ瀬氏は“役として動く”より、まだ“振りをこなしてる”感が勝つ」
それは、ちょっとわかる気がした。
「なるほどな……」
「今は歌と台詞に集中した方が、たぶん強いお」
「ただ、何もないよりは二か所くらい振り入れたほうがいいんジャマイカ。
足は入れるなよ。そこは事故る」
「お前、俺のダンスを何だと思ってる?」
「事故」
「即答すんな」
* * * * * *
――そして、あっという間にオーディション前日の夜になった。
あれからもう一度ヤマジに付き合ってもらって、カラオケで台詞も歌も最終調整を入れた。
台詞は爽やか路線。身振りは少し大きめに、声を張る。
「……やっぱり、いつものですか?」の解釈も、たぶん間違っていない。
歌も、誰に届けるのかはイメージできた。
振付は二か所。決めのところだけ、足は入れない。
そこまで頭の中で確認して、俺は布団に入った。
明日。
いよいよ、勝負だ。
オーディション当日の朝。
結局、昨夜はなかなか寝つけなかった。
目を閉じるたびに、台詞と課題曲が頭の中をぐるぐる回る。
それでも朝は来る。
家を出て、駅へ向かう道を歩いていた、その時だった。
ポケットの中で携帯が震える。
画面を見ると、ヤマジからだった。
「……もしもし」
『一ノ瀬氏!! オーディションは!?』
「これからだが、どうした?」
『間に合ったか。よし。今から言うことを落ち着いて聞け』
その声音が妙に深刻で、俺は思わず足を止めた。
「……何だよ」
通話の向こうで、ヤマジがひとつ息を吸う気配がした。
『漏れは間違っていたかもしれん――』
* * * * * *
電話を切ったあともしばらく、俺はその場で固まっていた。
……いや、固まってる場合じゃない。
ハッとして腕時計を見ると、待ち合わせの時間が近づいている。
俺は携帯をポケットに押し込み、足早に駅へ向かった。
駅前で美央さんと合流し、そのままオーディション会場へ移動した。
今日の美央さんは、秋らしいトレンチコートにチェックのロングスカート、編み上げのショートブーツという格好で、朝の雑踏の中でもやっぱり目を引いた。
オーディション会場は、駅から少し歩いた先にあるスタジオだった。
中へ入った瞬間、俺は思わず足を止めた。
(やべっ……)
人が多い。
受付の前にも、廊下の壁際にも、スタジオ前の長椅子にも、人がいる。
ざっと見ただけでも百人はいるんじゃないかと思った。
年齢もばらばらだった。
十代後半くらいの若い子もいれば、二十代くらいのやつもいる。
中には、三十前後に見える人までいた。
隣でその反応に気づいたのか、美央さんが小さく笑う。
「今日は三役同時にオーディションあるから」
「三役?」
「ええ。中には掛け持ちで受ける人もいるわ」
「へえ……」
通りで、年齢層が広いわけだ。
みんな同じ役を狙っているわけじゃない。
そう思うと少しだけ納得する。
……いや、だからって気楽になれるわけでもないけど。
美央さんに促されて受付へ向かい、名前を告げると、スタッフの女性がリストを確認してくれた。
「一ノ瀬奏さんですね。こちらが番号札です。この番号で呼ばれるので、なくさないでください」
「はい」
番号札と控室の案内を受け取ったところで、美央さんが俺のほうへ向き直った。
「私はこのあと、別の現場の付き添いがあるから、一度外すわね」
「あ、はい」
「終わる頃には戻ってくるから」
そう言って、美央さんは少しだけ表情をやわらげた。
「大丈夫。やることはやってきたんでしょ」
「……はい」
その一言だけで、少しだけ背筋が伸びた。
俺は番号札を握りしめたまま、案内された控室へ向かった。
控室には、すでに三十人ほどの参加者がいた。
壁際の椅子に座って台詞の紙を読んでいる人もいれば、立ったまま譜面を確認している人もいる。
部屋の中は小さな話し声や紙をめくる音で、ざわざわしていた。
俺も空いている椅子に腰を下ろす。
けれど、落ち着かない。
台詞の紙を開いても、文字が上滑りしていく。
頭の中では、今朝のヤマジの言葉がまだ引っかかっていた。
その時、控室のドアが開いた。
「それでは、オーディションを開始します。番号を呼ばれた方から、第一スタジオへお入りください」
ざわついていた空気が、すっと引き締まる。
俺は、手の中の台詞の紙を握り直した。
――いよいよ、はじまる。




