Track.59
数日後。
俺とヤマジは、カラオケボックスにいた。
テーブルの上には、美央さんから渡された台詞の紙と課題曲の歌詞とMDプレーヤー。
飲み放題のウーロン茶と、食べかけのポテト。
画面にはカラオケの予約曲一覧が出ているのに、今日は歌いに来たというより、完全に練習会だった。
「よし、まずは台詞合わせだお」
ヤマジが眼鏡をチャッと押し上げる。
俺は紙を見下ろした。
書かれている台詞は、たった三つ。
「いらっしゃいませ! こちらへどうぞ」
「今日のおススメは季節のミルフィーユです」
「……やっぱり、いつものですか?」
短い。
短いが、短いからこそ逆に難しい気がする。
「じゃ、まずは一個目。元気に!!」
「お、おう」
軽く息を吸って、俺は言った。
「いらっしゃいませ! こちらへどうぞ!」
背筋が伸びる。
右手をすっと差し出して、視線で席へ誘導する。
身体が勝手に動くあたり、やっぱりこのへんは染みついている。
「次!! 爽やかに!!」
「いらっしゃいませ! こちらへどうぞ」
語尾を少しやわらかくして、笑顔を乗せる。
案内の手も、さっきより少しだけ丁寧に弧を描いた。
「次!! かったるそうに!!」
「いらっしゃいませぇ……こちらへどうぞ……」
肩の力を抜き、半分流すように手を振る。
「それただのやる気ない店員やんけ」
「お前が言ったんだろ」
言い返したあと、ヤマジがふいに真顔になった。
「いや、でも一ノ瀬氏、思ってたより……いや、思ってた以上に芝居の才能あるかもしれん」
「マジか!」
思わず前のめりになる。
「芝居はじめてで、ここまで即座に対応できるなんて正直思わんかった。
歌やってるからか、自然と声も通るしな」
ヤマジは腕を組んだまま、うんうんと頷く。
「しかも、ただ台詞読んでるだけじゃなくて、ちゃんと動きもついてくるし」
「“こっちです”って言った時に、自然に席へ案内する手が出るの、あれ強いお」
そこで俺も、少しだけはっとした。
たしかに、考えてやったわけじゃなかった。
あの仕草は、バイト先で毎日のようにやっていた動きだ。
お客様を席へ案内して、料理をすすめて、常連客の顔色を見て、いつもの注文かどうかをなんとなく察する。
そういうことを繰り返してきたから、身体のほうが先に覚えていたのかもしれない。
「……ああ、そっか」
「ん?」
「バイトしてた時の癖だ」
「案内の仕方とか、笑い方とか、客の顔見てタイミング測る感じとか」
言いながら、自分の中で少しずつつながっていく。
ただのバイト経験だと思っていた。
でもそれは、人前に立って、その場の空気を読んで、相手に合わせて言葉と動きを出す練習でもあったのかもしれない。
ヤマジが、いかにも“ほら見ろ”という顔で頷く。
「それだお」
「一ノ瀬氏、接客で積んだ経験値が、ここに来て芝居へ変換されてる説」
「そんなゲームみたいに言うな」
「いやでもマジで。元ウェイター設定の役なら、そこは普通に武器じゃね?」
武器。
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
歌も芝居も、知らないことだらけだ。
でも、何もゼロから始まるわけじゃないのかもしれない。
そう思うと、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
俺はもう一度、台詞の紙を持ち直す。
「じゃあ、もう一回やるぞ」
右手をさっと開いて、席へ誘導する。
その動きに、ヤマジがふむ、と頷いた。
右手をさっと開いて、席へ誘導する。
その動きに、ヤマジがふむ、と頷いた。
「爽やかに、がいいかもしれん」
「そうか?」
「うむ。そこはもっと指の先まで伸ばした方がいいお!!」
眼鏡をまたチャッとする。
「舞台は広いからな。多少大げさなくらいやった方が盛れる」
「そのアドバイス、声優ミュージカル一作観た知識なのが怖いんだが」
「経験者は語る」
「経験してないだろ、観ただけだろ」
そんなやりとりを挟みつつ、俺はもう一度台詞を繰り返した。
「いらっしゃいませ! こちらへどうぞ」
「今日のおススメは季節のミルフィーユです」
ここまではいい。
よくある店員の台詞だ。
問題は三つ目だった。
「……やっぱり、いつものですか?」
言い終わったあと、俺もヤマジも少し黙る。
「……ここだけ、ちょっと種類違うよな」
俺が言うと、ヤマジも腕を組んだ。
「う~~ん、なんか意味深だお。解釈次第でどうとも取れそうな……」
「だよな」
「いつも同じものを頼む常連さんに、なんでわざわざ季節のミルフィーユおススメしたんだ?」
「接客のクセでそう言ったんか?」
そこで、俺ははっとした。
「……あ」
「ん?」
「そうか。だから“……やっぱり”ってなるのか」
言ってみると、少しだけしっくりくる。
いつも同じものを頼む相手。
なのに今日は、なんとなく違うものを勧めてみた。
でも結局、その人は“いつもの”を選ぶ。
その時の、ちょっとした残念さなのか。
安心なのか。
それとも、何か別の感情なのか。
「いや、でも……」
ヤマジが天井を仰ぐ。
「何か、理由がありそうな……」
「深い……な」
つられて俺も呟いた。
ヤマジは真顔のまま、さらに天井を見上げる。
「ああ。この三行に人生ドラマが詰まっている」
「……ような気がする」
俺がそう付け足すと、ヤマジはゆっくり頷いた。
「禿同」
短い台詞なのに、掘れば掘るほど妙な奥行きが出てくる。
それが芝居ってやつなのかもしれない。
俺はもう一度、三つ目の台詞を見つめた。
「……やっぱり、いつものですか?」
ただ接客するだけじゃない。
――たぶん、この一言に何を滲ませるかで、この役は決まる。




