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ALIVE!42歳のおっさんが、国民的アイドルになった件。  作者: 舞見ぽこ
Chapter 3:Step Up Stage

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53/59

Track.52

 観月先生はそれ以上何も言わず、軽く手を打った。


「じゃ、始めようか。ストレッチから入るね」


 その一言で、スタジオの空気がきれいに切り替わる。


 研究生たちが、それぞれ慣れた動きで散っていく。

 壁際に荷物を寄せるやつ、鏡の前へ入るやつ、水筒を足元に置くやつ。初級のときと、迷いのなさは同じだった。

 どうやら、これが中級の日常らしい。


 俺は一瞬だけ立ち尽くす。


(あ、やば)

(どこ行けばいいんだこれ)


 そんな俺に、観月先生がすぐ気づいた。


「一ノ瀬くん、後ろでいいよ。そこ空いてるでしょ」


「あ、はい!」


 助かった。


 慌てて後ろの空いている位置へ入る。

 譜面台の横に、今日の課題らしい譜面がまとめて置かれているのも見えた。なるほど、そのへんも各自で取る感じらしい。


「いくよ。まず首から」


 観月先生の声は大きくない。

 でも、不思議なくらいよく通る。


 研究生たちが一斉に首を倒す。

 俺も半拍遅れて合わせた。


 初級の青木先生のときみたいに完全放置ではない。

 でも、手取り足取りでもない。

 ……なんか、この先生、距離感が独特だなと思った。


 肩を回しながら、ちらりと前を見る。

 レンくんは何事もなかったみたいな顔で、もうストレッチに入っている。


 ……いや、本当に何だったんださっきの。


 助けたつもりで「大丈夫?」と顔をのぞき込んだら、「余計なことするな」と低い声で返された。

 あまりに想定外すぎて、まだ脳が処理を拒否している。


 しかもそこへ、最先端のイケオジ先生が現れて、場の空気を一言で持っていった。

 情報量が多い。

 朝イチで処理するには、だいぶ多い。


 観月先生はスタジオの前に立ったまま、全体を見渡して言った。


「中級、初めての子もいるし一応言っとくけど。ここは“上手く歌えました”で終わるクラスじゃないからね」


 その一言だけで、また少し空気が変わった。


 中級。

 一筋縄ではいかない気がしてきた。



 首の次は肩だった。


「上げて、落とす。力入れすぎないでね。もう一回」


 観月先生の声に合わせて、研究生たちが一斉に肩をすくめる。

 俺も慌てて真似する。


 初級のときより、流れが速い。

 ひとつひとつの動きにいちいち説明があるわけじゃないのに、みんな迷わない。置いていかれないように必死でついていくだけで、こっちは地味に忙しい。


 肩の次は背中。

 その次は脇腹。


 横へ倒した瞬間、身体の固さが容赦なく主張してきた。


(いっっ……)


 AYA先生のレッスンで少しはマシになったと思っていたけど、こういう基礎の動きになると誤魔化しがきかない。

 しかも中級の連中は、ただ伸ばしているだけなのに妙に自然だ。変な力みがない。レンくんなんて、何事もなかったみたいな顔で身体を倒しているだけなのに、普通に絵になる。何なんだあれは。ストレッチにまでスター性いる?


「一ノ瀬くん、無理して折らなくていいよ。今日は柔軟大会じゃないから」


 観月先生の声が飛んできて、スタジオのどこかでくすっと小さな笑いが漏れた。


「す、すみません……!」

「謝らなくていい。歌う前に壊れないのが一番大事だから」


 やっぱりこの人、やわらかく言うのにちょっと刺してくる。


 でも、青木先生のときみたいに「ちゃんとやれ」で空気が固まる感じはない。

 そのぶん、変に縮こまらずに済むのはありがたかった。


 ストレッチは初級より短めで終わった。

 続いて、そのまま発声に入る。


「じゃ、リップロールから。息だけで押さないでね。ちゃんと音も乗せて」


 ぶるるる、と唇を震わせる音がスタジオに重なる。

 その時点で、初級とは違うなと思った。


 みんな、普通にできている。


 いや、初級でも上手い子はいた。

 でも、こっちは“できるかどうか”を確認する感じじゃない。最初から、その先の精度を見ている空気がある。


「もう一回。今度は響き、もう少し上ね」


 観月先生の声に合わせて、もう一度。

 次はハミング、その次は母音を揃えた短いフレーズ。どれもテンポがいい。止まらない。迷わない。観月先生も、ここでは誰かを大きく止めたりはしなかった。


 発声がひと通り終わったところで、観月先生が譜面台のほうへ目をやった。


「まだ譜面取ってない子いる?」


 その声に、俺は反射的に手を挙げた。

 見ると、俺のほかにも何人かがぱらぱらと手を挙げている。


「はいはい。じゃあ前から回して」


 観月先生がそう言うと、譜面台の近くにいた研究生が紙束を手に取って、後ろへ順に回し始めた。

 俺のところにも一部届く。

 曲名を見た瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。


(あ、知ってる)


 PRISMの夏のヒットナンバーだった。

 初級でもずっと先輩たちの曲を歌ってきたけど、中級でもそこは同じらしい。


 初級では、ここまで譜面を使って細かく見る感じは強くなかった。

 歌う。合わせる。基礎を見る。

 でも今日は、最初からその先をやるつもりらしい。


 観月先生は譜面を片手に、さらっと言った。


「音程とかリズムは、とりあえず前提ね」


 前提。


 その言葉だけで、また少し空気が変わる。


「もちろん外していいって意味じゃないよ。でも、そこはもう自分で持ってきてもらわないと困るから。今日見るのはその先」


 観月先生は譜面の一部を指先で示した。


「どこでブレスを取るか。どの言葉を立てるか。どこを流して、どこを残すか。そういうの、ちゃんと見るから」


 スタジオが静かになる。


「気持ちを乗せるのは大事。でも中級は、“気持ちあります”だけじゃ足りない。なんとなく伝わる歌じゃなくて、狙って届かせる歌にしていこう」


 その言葉が、妙に胸に残った。


(狙って届かせる……)


 気持ちを込めて歌う、ならわかる。

 感情を乗せる、もわかる。

 でも、届けるために組み立てる、みたいなことは、今まであまり意識してこなかった。


 観月先生はそこで譜面を軽く閉じた。


「じゃ、ひとりずついこうか。ワンコーラス。順番に」


 ……え、もう?

 俺は思わず瞬いた。


 初級みたいに、まず先生が手本を見せて、何回かみんなで合わせて、それから少しずつ……みたいな段階を踏むんじゃないんだ。

 

 助走なんかない。

 もう歌える前提。

 そういう空気で、さらっと始まる。


(うわ)

(これが中級なんだ……)


 前列から順に名前が呼ばれていく。

 中級の研究生たちは、誰も大げさに緊張した様子を見せない。けれど、歌い出した瞬間にわかる。ああ、みんな普通に上手いんだな、と。


 音程が安定している。

 声も通る。

 しかも、ただ声量があるだけじゃない。それぞれにちゃんと色がある。


(うわあ……)


 軽くへこみそうになる。

 いや、ここでへこんでる場合じゃないんだけど。


 観月先生のコメントは短い。


「そこ、語尾流さない」

「二行目、ブレス早いかな」

「今の“好き”は自分に酔ってるね」

「そこは悪くない。残し方いいよ」


 やわらかい言い方なのに、妙に刺さる。

 言われた側もすぐ歌い直している。止められるのが特別なことじゃない。ここではそれが普通なんだろう。


 何人か進んだところで、ついに俺の名前が呼ばれた。


「一ノ瀬くん」


「は、はい!」


 前に出る。

 譜面を持つ手に、じわっと汗がにじんだ。


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