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森の大きなクマさんは  作者: ふとん
13/22

いつも無口

「――君の望みは分かったよ」


 応接間でウルの話を黙って聞いていたラウレンツはゆっくりと頷いた。

 白髪交じりながら精悍さに衰えの見られない長身を椅子に預け、ラウレンツは優し気な碧眼を穏やかに和ませた。すでに日も暮れているが優雅でぴしりとしたコートとタイ姿の彼に熊のような甥がいるとは思えない。


「遠いところからよく一人でここまで来たね。お嬢さんの一人歩きは感心しないが…」


 少し言葉を切ってはす向かいのウルをラウレンツは見つめて微笑む。


「甥のために来てくれたんだね。ありがとう」


 怒られることを覚悟でやってきたウルを穏やかに迎えてくれたラウレンツに、ウルは緊張を少しだけ解いた。


 泣き出してしまったウルをユーディトは辛抱強く慰めてくれ、ようやく涙を収めることが出来たウルは赤い目のままラウレンツに会うことにした。大泣きしたことが分かるような顔で悲愴さを演出するような真似はずるいと分かっていたが、ウルがやってきたのはラウレンツとユーディトに頼みごとをするためだ。利用できるなら何でも利用した方がいい。

 だが、ユーディトに話したことをウルは繰り返しラウレンツに話したが、彼は話の最中、嫌な顔一つしなかった代わりに穏やかな態度を同情的にも慰めにも傾けなかった。

 ラウレンツという人は見た目ほど優しくもお人好しでもないようだ。

 そうとはっきり知れたのは、ウルの話を全て聞き終えて少しだけ黙考した彼が口を開いた時だった。


「テオドールを園遊会に行かせるのは私の望みでもある。だが、君は私に借金の申し込みをしたのではなく、テオドールに借金をするのだろう? もし、今回のことが原因で借金の話がご破算になれば、君の家は困るのではないかな」


 落ち着いた声がひやりと響いた。ユーディトに指摘された時よりも現実味を帯びた言葉はウルを否応なく責めた。ラウレンツの指摘は冷静になればウルでも簡単に思い浮かぶ事態だからだ。

 テオドールから借金が出来ないとなれば、ウルの実家はさらなる困窮を極めるだろう。

 だが少しだけ良いこともある。


「……もしも、このことが実家に知れて私が家に帰れなくなるなら、私一人分だけでも生活費が浮くことになります」


 今回のことで出ていけと言われたなら、ウルが実家を出ることによって食費などの生活費が一人分他に回せることになる。この口減らしは後味の悪いものだろうが、ウルの勝手による出奔なら実家の家族の罪悪感は和らぐのではないだろうか。

 唇を噛むほど歯を食いしばったウルを、ラウレンツとユーディトは少し目を丸くして眺めて、


「――なんてお人好しな子だ!」


 声を上げて笑った。

 どうして笑われているのか分からないウルは目を白黒させたが、ラウレンツは破顔する。


「ユーディの言う通りの子らしいね。まったく、放っておけない気持ちにさせる子だ」


 ウルを見遣ってラウレンツは口の端を上げた。


「いいだろう。君の望み通り、私がテオドールを園遊会におびき寄せてみせようじゃないか」


 ラウレンツが笑うとユーディトも「まぁ」と微笑んだ。


「ただし、君にもひとつ条件がある」


 条件と言われてウルは再び腹に力を込めた。頼みごとをするのだから出来る限りことはするつもりだった。

 そんなウルを見遣ってラウレンツは目を細めた。



「君に出す条件は一つ。――君も園遊会に参加してもらう」



 ラウレンツの出した条件は単純ながらも難しいものだ。

 園遊会は私的な集まりとはいえ様々な条件が要る。宮廷の園遊会ともなれば身分や格式、マナーやドレスコードまで細かい条件がある。

 田舎暮らしの貧乏領主の娘であるウル一人ではどれも達成できない条件ばかりだ。


「招待状やそのほかのことはこちらで用意しよう。私たちと同行するんだ。何も心配いらないよ」


 園遊会の準備を何でもないことのように言って、ラウレンツはゆったりとひじ掛けに肘を乗せて足を組んだ。

 ラウレンツは軽く言うが、準備だけでも湯水のようにお金が必要なのだ。ウルはどう答えていいものか分からずユーディトを見遣った。すると彼女もラウレンツと同じように微笑む。


「そんな顔をしないで、ウル。旦那様が良しとおっしゃったんだもの。大丈夫よ」


「ねぇ?」とユーディトの視線を受けるとラウレンツは口の端を上げて笑う。


「愛しい妻にそう言われては張り切らないわけにはいかないね。老骨に鞭打つとしよう」


「まぁ、あなたったら若い娘と見ればすぐ張り切るんだから」


 そうユーディトが拗ねるように口を尖らせるとラウレンツは楽しげに目を細めた。


「妬いてくれるのかい、ユーディ? 私もまだまだ捨てたものじゃないね」


 円満夫婦のやりとりはどこまでも甘いようだ。


(――来て良かった)


 夫婦のやりとりを遠巻きに、ウルは五里霧中だった道にどうにか光を感じた。



 こうして決まったウルの園遊会行きは、急ピッチで準備が進められることになった。

 ドレスはユーディトのお下がりでいいと申し出たのだが、


「駄目よ! 年頃の娘がそんな枯れた意識でどうするの。ココロザシを高く持ちなさい!」


 おしゃれ好きなユーディトの一声で園遊会行きが決まってすぐにユーディト御用達の仕立て屋でドレスの採寸をすることになった。

 しかし今から一から作るのは難しいということで、既製品のドレスをウルに合わせて仕立て直すことになった。

 他の小物もユーディトが見立ててくれ、ウルにあてがわれた部屋にはすぐ物でいっぱいになってしまった。


「ユーディ姉さん、こんなに必要ないわ。それに私、何も返せないもの」


「まぁ、可愛いウル!」


 ウルに買ってきた帽子や日傘をあてがいながら、ユーディトはくすくすと笑う。


「これは私たちからの贈り物よ。返してくれても困るだけだわ」


 それに、とユーディトは今でも男性を虜にする魅惑的な微笑みを浮かべた。


「女の子がおしゃれに遠慮しちゃダメ。可愛く着飾ることは女の子の義務よ」


 ユーディトが用意してくれたのはどれも素敵な物ばかりだ。

 ビーズを散らした日傘、ふわりとつば広の帽子、可愛らしいリボンの意匠のレースの手袋、ビロードの靴、陶器の造花をあしらった髪留めといった女の子なら一度は憧れるような可愛らしい小物に始まって、ユーディトはウルに二着もドレスを用意した。

 移動用だというドレスは胸元にサテンのリボンをあしらいスカートは波のようなドレープを重ねた可愛らしいものだ。園遊会用のドレスは大人の女性が着るようなすっきりとしたストライプで一見シンプルに見えるものの、スカートはドレープを慎重に重ねた凝ったもので足元は柔らかなフリルで包んである。園遊会は芝生を歩くので慣れないウルを見越したユーディトが裾をさばきやすいものにしてくれたのだ。

 どれもこれも、田舎に居ては噂でしか触れる機会のなかったものばかりだ。


 毎日、持参した着古しのワンピースを繕いながら来ていた森の生活と大違いだ。

 テオと暮らしていると、彼は身綺麗にはしているがおしゃれに気を遣うような人ではないので、当然ウルの格好にも無頓着だ。やったことはないが、毎日同じワンピースを着ていても気にもしなかっただろう。

 ウルだって女の子なので可愛い物や綺麗な物は好きだ。

 けれど、ウルにとって美しいものといえば野山に広がる花畑だったり、森の奥で陽を受けてきらきら光る湖面だったりするのでビロードの靴もサテンのリボンもどこか遠い。


(そういえば、テオさんは私のこと、田舎者だって一度もバカにしたりしなかった)


 王都で暮らしていたらしいテオからすればウルなど辺境の田舎者に過ぎなかっただろうが、彼がそんなことを口にしたことはない。

 ああ見えて優しいテオのことだから、ウルを見逃してくれていたのだろう。

 そんな優しい彼を裏切って、ウルは園遊会に出ようとしている。


(怒られるかな)


 怒られるくらいならまだマシだ。

 あれこれと気遣ってくれるユーディトやラウレンツと話さない時、ウルはぼんやりと園遊会のことに思いをはせる。もしもテオが園遊会にやってきたら、ウルを怒るだろうか。詰るだろうか。

 それより怖いのは、無視だろう。

 

(それでも、園遊会に来てくれたらいいのよ)


 そうやってウルは自分の気持ちに折り合いをつけていく。

――折り合いをつけざるを得なかった。

 甘い想いよりも先に苦さが際立つ片思いの味は、ウルの焦燥を否応なくかきたてる。

 それが辛いとも苦しいとも声に出してしまう資格はないとウルは口を噤むしかできなかった。



 準備があらかた終わった頃、ウルはユーディト夫妻と共に王都へと向かった。


――園遊会はもうすぐ。



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