◆9 こんな女がいたんなら、私に求婚(プロポーズ)なんかしないで欲しかったわ……!
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人はこれまで、従姉のオヌリーヌ嬢が邪魔なだけで、彼女さえいなければ、旦那様との夫婦仲は円満になるものだと信じていた。
オヌリーヌ嬢を屋敷から追い出すことができたあと、ゆっくり二人の時間を増やしていけば、いずれはお互いに馴染んでいき、夫婦仲が熟していくものと思っていた。
はしたないことに、私が初夜の件をはじめとして、従姉に邪魔されて夫婦の時間が取れなかったことを口外し、その結果、噂が広まって、パッシー伯爵家の名誉が大きく損なわれてしまった。
それゆえに、さすがに旦那様の機嫌が悪くなって、自分が避けられている、と思い込んでいた。
だが、違ったのだ。
旦那様のグラス・パッシー伯爵は私に隠れて従姉オヌリーヌ嬢との逢瀬を重ねており、乳繰り合うのに忙しく、私を放置していたのだ。
それに、旦那様は従姉を相手になんて言っていた?
私から魔力を吸い取った?
ベッドの下に魔石を幾つも貼り付けて?
自動的に魔力を吸い取る?
だから、私の身体がダルかったのか。
(でも、何のために?
まさか、魔石が美しく輝くからってだけではないわよね!?)
懊悩する私に代わって、従姉のオヌリーヌ嬢が旦那様に尋ねた。
「その魔石、どうするおつもりなの?」と。
二人は魔石を載せた台を背にしている。
その上で、旦那様は従姉の豊満な乳房を揉みしだきながら低い声をあげる。
結構、危なっかしい発言だった。
「魔力が十分に込められた魔石は貴重なんだ。
魔石への魔力の充填は、外務卿のエビウス伯爵が推進している。
その魔石を、魔法に長けたゾルバ魔法国に持って行って自慢したい。
将来的には、ミュゼと一緒に魔法国への亡命すら考えている」
愛人と乳繰り合う夫から、思いもしない将来設計を語られ、今度はトロワ侯爵が私を見詰める。
今度は私が凄い勢いでフルフルと首を横に振る。
自分から魔石で魔力を吸い取られていたことを、私はまったく知らなかった。
さらには、魔法国への亡命すら考えていようとは。
旦那様が語る内容は、初耳だらけだった。
旦那様のグラス伯爵は、円形の板を手にして、残念そうに肩を落とす。
「ミュゼの身体から魔力を抽出するに際して、この魔道具を使う。
だけど、僕の魔力も相当、消費してしまう。
だから、疲れて眠ってしまう。
僕も魔法系のパッシー伯爵家の当主として、夜の営みという義務を果たそうと思うのだけど、力が出なくて、身体が言うことを聞かないーー」
「嬉しいわ」
ふふふ、と従姉のオヌリーヌ嬢は笑みをこぼす。
「あの女、いまだに男を知らないのね。
私と違って。
ああ、やっぱり嬉しいわ!」
オヌリーヌは、私の夫グラス伯爵に身体ごと飛びつく。
「グラスはあの女に魅力を感じていないのよ。
貴方は今まで通り、私、オヌリーヌだけを見てれば良いのよ。
魔法への愛ゆえに、あの女に目を向けただけなんだわ」
グラスとオヌリーヌは、互いに身を寄せ合っている。
話し込みつつ、合間合間にキスをしている。
もはや女の誘いに抵抗しない、というレベルではない。
旦那様がオヌリーヌの胸をまさぐる手付きには、慣れたものすら感じられた。
旦那様、グラス・パッシー伯爵は、従姉オヌリーヌ嬢の支配から逃れられない。
いえ、逃れる気すらないんだ。
(ああ、こんな逢瀬を見てしまったら、もう終わりだ……)
私、ミュゼは今まで、グラス伯爵を憎めないでいた。
従姉のオヌリーヌ嬢については、母親代わりだったから同情しているだけだ、と思いたかった。
でも、こうした二人の馴れ合いを目撃したからには、これ以上、そのように思い込むのは無理だ。
旦那様とその従姉は、確実に肉体関係がある。
私とはまだなのにーー。
(こんな女がいたんなら、私に求婚なんかしないで欲しかったわ……!)
私、ミュゼ伯爵夫人の頬に涙が伝う。
ショックを受けた私を慰めてくれたのは、一緒に衝立の陰に隠れているトロワ侯爵であった。
「すまなかった」と。
私は首を横に振りながら、溜息をついた。
「ああ、トロワ様。
貴方が謝ることはないわ」
「でも、私が貴女をこんな所へ連れてこなければ、こんな不倫現場を見ることは……」
「そうですね。
正直、もう家に帰りたくありませんーー」
「わかりました。
貴女の身柄は私が預かりましょう」
「え!? 貴方のお屋敷に!?」
嬉しい申し出だけど、このまま男性の誘いに乗ってその人の屋敷に出向いて寝泊まりすれば、世間から私が不実な女だと思われてしまう。
従姉の言いなりになる旦那様が忌避しても当然な女だと判断されてしまう。
それは嫌だ。
そのように思っていると、トロワ侯爵は胸に手を当て、深々とお辞儀をしてくれた。
「失礼しました。
言い方が悪かったようです。
どうか警戒しないでいただきたい。
貴女を悪いようにはいたしません。
貴女の逗留先の手配は、私に任せてください」
◇◇◇
王宮の北西端にある王弟邸ーー。
王宮の中庭にある宝物殿で、夫とその従姉が逢引する姿を目撃して憔悴したミュゼ・パッシー伯爵夫人は、トロワ・メスト侯爵の導きに従い、そのまま中庭を北へ脱けて、王弟バター・ルモンの屋敷へと身を移した。
ミュゼの夫グラス・パッシー伯爵の職場である王宮魔法師団の棟がすぐ近くにある。
王弟邸の二階にある執務室において、王弟バターは窓の外に浮かぶ星空を眺めながら、背後で片膝立ちするトロワ侯爵に尋ねた。
「彼女は?」
「お疲れのようで、侍女によれば、すぐに寝入ったようです」
ミュゼ伯爵夫人は、いつも侍女キノラに付き添われていた。
そんな侍女が居ても、夫のグラス伯爵が妻のベッドに魔石を貼り付け、秘密裏に彼女から魔力を吸い取ることを防止できなかった。
最近、ミュゼの体調が悪かったのは、魔力が吸い取られたことが原因で間違いない。
魔石は魔力というより、正確に言えば魔素を蓄積するもの。
魔素は細胞に内包される微細な物質ゆえに、俗に「魔力を奪われる」ということは、血液を抜かれることにも似た作用を人体に及ぼすとされていた。
王弟は腕を組みながら舌打ちする。
「それにしても、グラス・パッシー伯爵め。
さすがは魔法科首席卒業なだけはある。
誰もが気付いていなかった、彼女の秘密に目を付けるとは。
しかも、外務卿に通じておるとは。
厄介なことだ」
外務卿のエビウス・サキ伯爵は、魔法国ゾルバと通じていると噂されている。
ゾルバ魔法国は西方にある共和制国家で、諸国に魔法技術を伝播すると同時に、政治的な働きかけも強く行ってくる、厄介な国家だった。
世界中の魔法使いの大半が留学先にしていることもあり、諸国の魔法使いがゾルバ魔法国が喧伝する共和制の政治思想に賛同して、王国や帝国の政治体制に批判的になって革命騒ぎを起こすことは、良く見られる現象となっていた。
「バター王弟殿下。
ミュゼ伯爵夫人の魔力について、何かご存知なのですか?」
トロワ侯爵が立ち上がりながら尋ねると、王弟は逆にソファに倒れ込むように座った。
「じつはディファニュ騎士爵家について注意を払うよう、王家には伝承されていたのだ。
百年以上も昔、我がルモン王国の勇者を輩出し、対魔王の聖戦において主要な働きをしたという。
ゆえに『ディファニュ家については、子孫にも注意を怠るな』と。
でも、私自身は半信半疑であった。
だが、この宝剣の出現によって、ディファニュ家の侮り難さを知ることができた。
この宝剣は凄い。
調べたら、もともとはルモン王家が所有していた聖剣であった。
それをディファニュ家に下賜していた。
当時のディファニュ家の当主が、我が国の勇者として聖戦に出征する際に、当時の王が自ら手渡したのだ」
ディファニュ家の勇者は魔法剣士だった。
勇者が魔王を討伐した話は、子供に読み聞かせする童話にまでなっている。
『勇者ドイルの魔王討伐』と題されてーー。
トロワ侯爵もソファに腰を下ろし、ティーカップに手を伸ばす。
「そう言えば、勇者ドイルは、姓が記されていないので、平民だったのではないか、と噂されるほどですがーーおかしいですね。
当時から、魔法剣士は、魔法使いよりも重要視されていたはずです。
それなのに、どうしてドイルの生家ディファニュ家は騎士爵位なのでしょうか?」
ソファに深くもたれかかった姿勢で、王弟バターは苦々しげに口にした。
「ディファニュ家で魔力がない当主が二代続いたとき、当時の愚王が決めた。
先々代の御代だ」
「先々代の御代」と聞いて、トロワも納得した。
(ああ、現国王陛下の祖父か……)
先々代のボヌール・ルモン国王は、後世の歴史家から「迂闊のボヌール」と言われるほど愚昧な国王であった。
彼が即位する前、後継者争いの相手の派閥にディファニュ家が就いていたから、自分が国王になった途端に冷遇し、それまで侯爵だったのを一気に騎士爵位にまで落としたそうだ。
物語で語られた勇者ドイルの名前からディファニュという姓を削除されたのも、その頃と考えられる。
「でも、ディファニュ騎士爵家では気付いていたのかもしれんな。
隔世遺伝的に勇者の力量が発露され得ることに……」
王弟が今までディファニュ家が辿ったであろう道行きに思いを馳せていると、トロワ侯爵はふと思い付いた。
「それにしても、ミュゼ夫人が勇者に覚醒するとなるとーー女性が勇者となるのは史上初では?」と。
だが、王弟殿下は、それがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「我がルモン王国ではな。
だが、『勇者』は純粋に魔力の質で選ばれる。
ゆえに世界から集まる七人の勇者の中には、歴代、女性が何人か含まれていたそうだ。
二百三十年ほど前の勇者戦隊は、七人中五人が女性だったというぞ」
「ほんとうに、彼女が勇者なのでしょうか?」
改めてトロワが首を傾げると、王弟バターも眉を八の字にする。
「かもしれん、と言った程度だな。
まだ彼女にどんな力があるのかは未定だ。
いっそ、グラス・パッシー伯爵に、このままミュゼ夫人の魔力の質を調べさせてみたいところだ」
「殿下!」
「冗談だ。
真に受けるな」
王弟と侯爵の対話が白熱していると、コンコン、とノックの音がした。
トロワ侯爵がドアを開けると、ミュゼ・パッシー伯爵夫人が簡易なドレス姿で立っていた。
彼女はドレスの裾を摘んで、お辞儀をする。
「夜分遅くに失礼いたします、トロワ侯爵、そして王弟殿下」
トロワ侯爵はミュゼの片手を取って部屋に導きつつ、
「おやすみではなかったのですか?」
と心配すると、傷心の伯爵夫人は笑顔を見せた。
「目が冴えてしまって。
失礼ながら、私の魔力の質を夫に調べさせたい、と王弟殿下がおっしゃっておられたあたりから、耳にしておりました。
ですが、私はもう夫のグラスには会いたくもありません。
それゆえ、私の魔力については、王弟殿下やトロワ侯爵が好きなようにお調べくださって結構です。
ですが、その前に殿下に一つ、お約束を」
窓辺で振り向く王弟バターが片眉をあげて、
「なんだね?」
と尋ねると、ミュゼはドレスの裾を広げてお辞儀をした。
「私がグラスと離婚できるよう、協力していただきたいのです」




