◆10 私がグラスと離婚できるよう、協力していただきたいのです。
ルモン王国法では、離婚を決定できるのは夫側のみとなっていた。
妻が離婚を望んでも、夫の同意がなくては、離婚できない。
だから、ミュゼ伯爵夫人はお辞儀をしつつ王弟殿下に懇願した。
「我がルモン王国では、妻である私の意向があっても、通常、離婚できません。
それでも、殿下の兄上である国王陛下からグラスに私と離縁するよう、ご命令をいただければ、あるいは、と」
ミュゼの提案を耳にして、トロワ・メスト侯爵はポン! と膝を打つ。
「なるほど。
王命による離婚か!」
王命による離縁となれば、ミュゼも傷モノ扱いになりにくい。
すでに初夜での出来事が貴族社会で周知されていることもあり、非難は一方的にグラス伯爵の方に向けられよう。
王弟バターは眉間に皺を寄せながらも、
「たしかに妙案かもしれん。
が、いかんせん、前例がない。
とはいえ、力を尽くそう」
と受け応えると、ミュゼは言質を取ったとばかりに、即座に、
「恐れ入ります」
と礼を述べた。
それから王弟バターとトロワ侯爵は二人で額を寄せ合って何やら小声で話し合ってから、壁側にある戸棚から一つの蒼い水晶を取り出した。
「まず魔力を測らせてくれぬか」
ミュゼは王弟に言われるがまま、水晶に手をかざす。
ところが何の反応もない。
魔力測定装置であるこの水晶は、通常、わずかな魔力でもあれば光るものなのだが、まったく光らない。
トロワ侯爵は口をへの字に曲げた。
「なるほど。
これでは魔力がないと判定されても仕方ない……」
実際、ミュゼも国法に則り五歳の時に、同様の水晶に手をかざした。
魔力測定はルモン王国民の義務であり、五歳時に基本測定によって魔力の有無が決定される。
以降の魔力測定は十歳、十五歳と行われるが、それは五歳時の基本測定において「魔力あり」と判定された者だけが行う。
従って、最初の測定で「魔力なし」と判定されて弾かれたミュゼは、それ以降、魔力測定を行うことはなかったのだ。
しかも、基本測定を行う装置を二十歳近くの今現在に使っても反応がなく「魔力なし」判定に変わりはなかった。
王弟とトロワ侯爵は二人して腕を組みつつ、納得の入った表情をする。
その一方で、ミュゼにしてみれば、何を騒がれているのかもわからない。
魔力がないのは、五歳の時から知っているのだから。
そして、やっぱり水晶は光らなかった。
そんな彼女に、今度は片眼鏡を掛け直した王弟バターが大きな四角い顔を近づけて、ズッと思い切り身を寄せてきた。
「では私に『鑑定』をさせてくれ。
良いかな。気をゆったりとして、な……」
王弟殿下は「鑑定」スキルの持主だったのだ。
ミュゼは何もわからず、大きな王弟の顔を正面から眺めていると、王弟の碧色の瞳が赤みがかっていくのに気がついた。
やがて王弟は身を退かせて、眉根を指で擦りながら呟いた。
「たしかに魔力があった。
それも膨大に、な。
だけれども、普通じゃない。
色が違うのだ」
「どういうことでしょう?」
首を傾げるミュゼ伯爵夫人に対し、王弟バターは執務机にもたれかかった姿勢で、顎に手を当てる。
「基本測定用の水晶では感知されない種類の魔力だということだ。
事実、波動の種類が違う。
通常は青白い光の波として感知されるが、君の魔力は黄金色に輝いている。
どういう魔力かは、わからない。
どの系統に属しているのかも。
でも、おそらくはーー」
ふと見れば、トロワ侯爵が後ろで立っていて、見慣れた鞘に収まった剣を持っていた。
かつてミュゼが夫グラスに手渡した、実家由来の宝剣である。
トロワが鞘から剣を抜き、水平にして掲げる。
「握ってみたまえ」
トロワ侯爵に求められ、騎士らしく片膝たちとなって、ミュゼはその剣を受け取る。
そして、剣の柄を掴むと縦にして、剣先を天井に向ける。
すると、柄の方から剣先まで白い光が走ったかと思うと、キラキラと剣身が輝き始めた。
王弟は執務机から飛び跳ねるように身を離し、叫んだ。
「おおお!
なんと美しい。
まさに伝説に伝え聞く『勇者の光』だ!」
我がルモン王国の勇者は、歴代、魔法剣士であり、「黄金剣の勇者」と言う二つ名を持っていたという。
まさに、童話で語られている通りであった。
「君が当代の勇者なのかも……!」
興奮気味にトロワ侯爵が言うのを見て、ミュゼは両手を大きく振った。
「いえいえ、そんなの嘘ですよ。
私はごく普通の女騎士ですから!」
若い二人のやり取りを横目で見ながら、王弟殿下は手を差し出す。
「もちろん、そうかもしれぬがーー。
ところで、しばらく私にその宝剣を預からせてくれ。
いずれは其方の許に返すゆえ」
「はい。
ですが、できれば返却時は、私の実家ディファニュ家へお返しください。
グラス伯爵やその従姉のオヌリーヌに見つけられると面倒ですから」
ミュゼは再び片膝立ちとなって、剣を水平にして掲げる。
それを受け取って鞘に収め、王弟バターは大きくうなずいた。
「了解した。
トロワ侯爵。
ミュゼ夫人をお連れして、お休みいただいてくれ」
「はい」
ミュゼは安堵した。
実際、彼女は自分に魔力があるとは知らなかった。
子供の頃に測定したが「魔力なし」と判定されていたので、その通りに受け取っていた。
おかげで魔法についての知識に乏しいので、今更、「通常と異なる魔力がある」と高貴な方々から言われても、夢心地に聞いている気分であった。
驚きをもってその事実を受け止めていたのはミュゼ本人よりも、むしろ魔法師団に深く関わるトロワ侯爵と王弟バターの方であった。
だが、ミュゼは何やらお役に立てたようで喜ばしく思っていたのと、夫グラスとの離婚について強力な協力者が得られたことが嬉しかった。
◇◇◇
王弟殿下の屋敷の廊下を、ミュゼ伯爵夫人はトロワ侯爵と連れ立って歩く。
その間、二人は会話を交わした。
「ミュゼ夫人。
貴女は今後、しばらくはパッシー伯爵邸に戻ってはいけない。
女性の側から離婚することは、我が国では難しい。
同居実績がこれ以上、続くと望ましくない」
「では、このまま王弟殿下のお屋敷で泊まらせていただけますか?」
「うむ。それも危ういかも……」
王弟バター殿下は王宮魔法師団の顧問だ。
ゆえに多くの魔法使いが普段から出入りしている。
「殿下は魔法師団と深く関わっておりますからね。
貴女が現在、このお屋敷で保護されていることすら、すでに多くの魔法使いが知っているかもしれません。
貴女の旦那様にも、いずれ伝わるかと思います」
ミュゼは、グラスのおどおどした顔付きを思い浮かべると、ゾッとした。
彼の目はたいてい泳いでいるのだが、それでいて何か心に強固な信念を持っているようで、唇が硬く閉じられている。
まるで心が読み取れない不気味さがあった。
初夜の一件以来、旦那様の感覚は、通常の感覚には当てはまらないと痛感させられていた。
「旦那様とは、もう顔も合わせたくありません」
ミュゼの言葉を聞き、トロワ侯爵も納得とばかりに頷く。
だが、婚前のトロワ侯爵は、既婚者であるミュゼに親しげに接するわけにはいかない。
今もまた廊下を先導して歩くが、ある程度の距離を取って歩いている。
トロワ侯爵は、目的となる部屋にたどり着くと、踵を返して、ミュゼの方へと向き直り、丁寧に頭を下げた。
「貴女がグラスと会いたくないという心情、良くわかります。
今後の貴女の身の振りようを殿下と相談しておきますので、今のところはしっかりとお休みください。
ですが、グラスはしつこいですよ。
貴女が特異な魔力持ちであることを誰よりも承知しているのですから、血眼になって貴女を探し廻り、いずれは居所を突き止めてしまうでしょう。
それでも、貴女の身の安全を保証できる場所を探したく思います」
ミュゼは、
「よろしくお願いします」
と神妙な顔付きで頭を下げるしかできなかった。




