◆11 まさか、結婚してから、こんなに苦労すると思わなかったわ。
バター・ルモン王弟殿下のお屋敷で、ミュゼ伯爵夫人は、つらつらと今までの人生に思いを馳せた。
実家の外では、私、ミュゼは、なんだかいつも一人でいたような気がする。
学園在籍時でも、私の周りに人は来なかった。
男友達は気さくで付き合いやすいんだけど、同性の友達はなかなかできなかった。
そして男は結局、男友達の輪の中に入っていくものだ。
とはいえ、結婚生活に入ると、大きく事態が変化するはずだ、と思っていた。
孤独を味わうことはなく、夫婦の絆がすべてとなる、と思っていたのだ。
なのに、結婚したにも関わらず、その夫婦の絆というヤツを、夫のグラス・パッシー伯爵とちっとも作れそうになかった。
夫婦の結び付きが生まれない一方で、私、ミュゼ自身について新たな発見がなされていた。
聞けば、私には、私自身も知らない魔力があって、それをひたすら夫グラスが密かに魔石で奪い続けていたという。
魔力があること自体を、私は知らなかったというのに、どうして……。
従姉オヌリーヌのこともそうだけど、夫グラスは肝心なことを、私にちっとも話してくれなかった。
私本人のことについてまで。
挙句、私も知らない私自身のこと(特異な魔力の持主)を、大嫌いな従姉のオヌリーヌには教えていたりする。
自分だけが蚊帳の外だったのだ。
私は心がモヤモヤするときは、いつも使い慣れた木剣でブンブンと力いっぱい素振りをする。
素振りをして汗を掻くと、身体が疲れて、ぐっすり眠ることができた。
でも最近では、心のモヤモヤを晴らそうと何度も素振りをするのだけれど、ちっとも心の中の靄が晴れそうにない。
悩みがこんがらかっているのではない。
心中に虚しさが込み上げてくるのだ。
こんなことは初めてだった。
学園時代、寝付けないと言って睡眠薬を飲む人が結構いることを知った。
私の母親フランソワ・ディファニュ騎士夫人もそうだった。
思い悩むことが多いと、いつも母は薬に頼っていた。
母の悩みは、「義母が辛く当たる」だとか、「同じ派閥の貴族婦人がマウントを取ろうとしてくるので、どうしたら良いのか、対応に困る」とか、そういったことばかりだったけど、母は私のお父様との仲は非常に良好だった。
私も結婚すれば自然とお父様とお母様のように仲良しの夫婦になれると信じていた。
なのにちっともグラス伯爵とは仲良くできない。
心が通い合う感じがしない。
初夜の頃から、夫のグラスには私より信用している女性オヌリーヌがいて、その女性に寝るのを任せて、私は相手にされなかった。
夫は私に、私から魔力を吸い取ることを打ち明けなかった。
私の体調が悪くなることにも無頓着だった。
魔法科出身者らしく、魔力に興味があるということは知らされていたけれども、その中身について話してくれず、勝手に盗人のように、密かに私から魔力を奪い取るだけだった。
結局、私、ミュゼが信用できるのは、侍女のキノラだけだ。
彼女は今も、私に付いて来てくれている。
「ごめんなさいね。
私に付き合わせてしまって」
「いいえ。
でも、この王弟殿下のお屋敷に来てから、ホッとしてます。
パッシー伯爵家では居心地がとても悪かったですから」
侍女キノラの笑顔を見て、私、ミュゼは胸を撫で下ろす。
(よかった。
キノラはトロワ侯爵令嬢に招かれたときも、宝物殿を訪れたときも、直に私に付いて来てくれるか、馬車で待機してくれていた。
子供の頃から一途に私の世話を焼いてくれた。
彼女がいたのに、一人ぼっちだと感じていたのは、考えてみれば不遜な気がする。
彼女に失礼だった。
キノラはパッシー伯爵家に居たときは、私以上にいじめられたに違いないのに……)
それにしても、旦那様のグラス伯爵と、その従姉のオヌリーヌ嬢は腹立たしい。
私が居なくなったとしても、なんとも思わないのではないか?
むしろ、私が居なくなって、これからは大手を振るってイチャイチャできると思うだけなのではないかしら。
そう思うと、悲しくなってくる。
旦那様ーーグラス伯爵は、ほんとうに何のための私と結婚したのか。
魔石を綺麗にするための素材ぐらいにしか、私のことを思っていなかったのではないか。
そう思うと、やはり涙かこぼれてきた。
「ミュゼお嬢様」
と侍女キノラは私にハンカチを差し出してくれる。
「ごめんね。気を遣わせてしまって」
「いいえ」
「まさか、結婚してから、こんなに苦労すると思わなかったわ。
待っていてね。
私、どうにかして、パッシー伯爵家から脱け出してみせるから」
「お嬢様ならできる、と私は信じています。
以前のように明るい生活に戻りましょう」
そう言って侍女キノラは私の手を強く握ってくれたのだった。
◇◇◇
満月の夜、パッシー伯爵邸にてーー。
当主グラス・パッシーが怒鳴り声をあげて、物に当たり散らしていた。
「ミュゼが帰って来ない!?
いったい、何処へ行ったんだ?」
グラスは立ち上がると、それまで自分が座っていた椅子を蹴り飛ばした。
老執事テレンスは冷静な顔をして、主人グラス伯爵の問いに答える。
「わかりません」と。
執事の返答に苛立ち、グラスは腹立ち紛れに次々と椅子を蹴飛ばす。
「だから、侍女を監視しておけと言ったのだ!」
彼の傍らには、ミュゼが不在なのを良いことに、オヌリーヌがペッタリと貼り付いていた。
彼女は、グラスが荒れ狂っているさまを見るのには慣れている。
学園で成績が落ちた時なんかも相当荒れ狂い、机もベッドも壊したことがあった。
あの頃に比べたら、たいした荒れようではない。
そう思って、オヌリーヌは扇子を広げて口許を隠した。
「あら、あの女は昨晩、帰ってこないまま、今日の夜になっても居ないの?
朝帰りすらしないで行方をくらましたままだなんて、大胆ねえ。
きっと男と一緒に出奔したのよ。
ねえグラス、いっそのこと、あのミュゼとかいう女と別れちゃえば?」
オヌリーヌ嬢はいつもの軽口気分で話したら、彼の癇に障ったらしい。
「うるさい!」
バシッ! と平手打ちにされた。
「な!?」
オヌリーヌは、赤く腫れた頬に手を当てる。
我が子同然であったグラスに手をあげられたのは初めてだった。
グラスは親指の爪を噛みながら、苛立たしげに、貧乏ゆすりを始めた。
「幸い、我がルモン王国では、夫である僕の同意がなければ離婚はできない。
が、彼女の行動力を甘く見ない方が良い。
絶対、ミュゼを手放すものか。
僕が馬鹿だった。
こんなことになるんだったら、さっさと契っておくべきだったんだ。
肌も合わせていない夫婦だったから、逃げられる。
そうなったのも、オヌリーヌが僕の邪魔ばかりするからだ!」
椅子に座った状態から、グラス伯爵は再び立ち上がると、オヌリーヌ嬢のところに向かい、バシバシ! と再び何度も平手打ちにする。
相手がドウッと床に倒れても容赦しない。
今度は何度も従姉の身体を蹴りまくった。
「痛い、痛い!
やめて!
愛しているの、グラス、貴方をーー」
オヌリーヌは泣きながら許しを乞うが、グラスの怒りは収まらなかった。
得意の攻撃魔法で、オヌリーヌを吹っ飛ばす。
壁に腕と背中とを打ち付けられ、十歳年長の従姉は意識を失ってしまった。
大広間に仕えていた執事も侍女も、身体を小刻みに震わせていた。
長年仕えてきたが、これほど怒り狂った主人を見るのは初めてだった。
そして子供のように甘えていた従姉に対して、主人がこれほどの暴力を振るおうとは思いもしなかった。
使用人たちの動揺を察することもなく、主人グラス伯爵は吐き捨てるように言った。
「このオンナを屋敷から追い払え。
治癒魔法はかけるなよ。
せいぜい痛がらせてやれ」
執事も侍女も口応えをすることは一切なく、壁際にぐったりとしていたオヌリーヌ嬢を担ぎ上げ、そそくさと部屋から出て行った。
大広間に残ったのは、倒れた椅子が三脚と、テーブルの上で割られた夥しい数の皿であった。
床にまで落ちた皿の破片を踏みしめながら、グラス伯爵は大広間の中を行ったり来たりしながら、血が出るほど親指の爪を噛んでいた。
(誰であろうと、僕に構うな。
僕はもう大人だ。
ミュゼを心身共にモノにするんだ!
絶対に見つけてやる。
他の男に寝取られるのだけは許さない。
アレは僕が見つけたんだ!)
◇◇◇
王弟の屋敷では、ここのところ連夜続けて、トロワ侯爵とともに、ミュゼの今後について討議されていた。
ミュゼが特異な魔法持ちであり、かつて勇者を輩出したこともある家系であることがわかり、なおかつ伝説の聖剣の所有者だとわかった。
その結果、彼女の帰趨はルモン王国、ひいては世界全体の問題になろうとしていた。
「『ゾルバ魔法国では、密かに世界から次代の勇者を掻き集めようとしている』との噂は真実であったか」
王弟バター・ルモンは苦虫を噛み潰す。
勇者が現れる頃には、ほぼ同時に魔王も顕現する。
勇者が現れるから魔王が現れるのか、魔王が顕現するから勇者が現れるのかーー。
その前後関係は判然としていない。
だが、魔王は魔物を率いて人類社会に侵攻し、対する勇者は人類社会を代表して戦ってくれることに変わりなく、実際、人類社会が魔物に滅ぼされることなく維持できているのは勇者の働きによるものだった。
全世界から勇者を集めようとすると、常人から逸脱した能力を持つ人物がちょうど七人いることがいつも判明し、彼らによって魔王が討たれることが世の習いとなっていた。
そのとき、人類を代表する勇者を招集し、対魔王戦を主導するのは通常、ゾルバ魔法国であった。
だが、現在はさまざまな国家が台頭してきており、勇者を招集する代表国家の地位をゾルバ魔法国から奪おうと、北方の大国アレスや南方の先進国家ベルツなど、覇権国家が動き始めていた。
王弟バターは腕を組んで思案する。
「グラス・パッシー伯爵は、ミュゼについて、いったいどこまで知っているのであろうか?」
グラスはミュゼが勇者の家系であると見抜いて結婚したのだろうか?
もし結婚がすんなりうまくいっていたら、逆に彼女が勇者であることが明らかにならなかったかもしれないし、宝剣が王家の手に渡っていなければ、ミュゼが勇者の家系であると王家が改めて注意することもなかったかもしれなかった。
「わかりません」
王弟殿下の問いかけに、トロワ侯爵はそう答えるしかできない。
トロワ侯爵は、本気で、ミュゼの今後の身の振り方に心を砕いており、実際どうすることが適切か、連日連夜、頭を悩ませていた。
だが、王弟バター、及びルモン王家全体の心は決まっていた。
「事は急を要する。
勇者が誕生したとあれば、魔王の顕現も近いということだからな。
我がルモン王国のみならず、全世界の危機だ。
ミュゼを是が非でも、真の勇者に覚醒させねばならん。
そのためにも、なんとしても、この破談、実現させねばならない」
「どうして?」
トロワ侯爵の素朴な問いかけに、王弟は半ば呆れ顔になった。
「貴様は知らんのか?
勇者の力は童貞、あるいは処女でしか、発揮できないという伝承を……!」




