◆7 旦那様の上司
夏の盛りのある日ーー。
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は、モレー・ポルカ公爵令嬢主催の舞踏会に招待された。
夫グラス・パッシー伯爵のエスコートで、会場であるポルカ公爵邸へとやって来た。
夏の舞踏会は、事実上、立食パーティーとなることが特徴であった。
参加者の誰もが軽装に身を包み、舞踏会場の周辺には幾つも丸テーブルが配置されており、その上には季節の果物や野菜サラダ、焼き菓子やゼリーなどのスイーツが所狭しと並べられている。
果実酒の類は、樽から柄杓で掬って飲み放題だった。
パッシー伯爵家として夫婦揃って舞踏会場に到着した際には、大勢の注目を浴びた。
が、ダンスを一つ披露すると、夫婦もそれぞれのテリトリーへと分かれて行く。
男性か女性か、既婚か未婚かといった、それぞれの社会類型に当て嵌まる者同士で親睦を深めるのが、このルモン王国のパーティーでの流儀であった。
とはいえ、もちろん例外はある。
主催者であるモレー・ポルカ公爵令嬢のご指名を受けていながら、お誘いを断れるような貴族紳士はいない。
「ミュゼ・パッシー伯爵夫人、ようこそおいでくださいました。
さっそく、こちらの殿方に挨拶してくださいな!」
モレー公爵令嬢が手招きするところへ出向いたら、未婚の貴族令嬢たちに囲まれる格好で、一人の貴族紳士が居心地悪そうに座っていた。
「こちら、トロワ・メスト侯爵ですわ。
私たちの代で魔法科を首席卒業なさったお方です。
とても優秀で、今は王宮魔法師団の副師団長をなさっておられます。
貴女の夫、グラス・パッシー伯爵の上司ですわね」
「お初にお目にかかります、ミュゼ・パッシー伯爵夫人。
私、トロワと申します」
旦那のグラス様とは違って、トロワ様は背が高かった。
しかも、白く輝く生地で出来たマントを羽織っており、真っ黒な夫のマントとは大違いだった。
服装の色も白を基調としたもので、金銀の刺繍が袖口や胸元に施され、ベルトは赤く、靴にもラメが入ってキラキラと輝いて見えた。
髪も瞳も、深い緑色をしている。
眉も綺麗に整えられ、唇にもリップが塗られているようだ。
そんなトロワ・メスト侯爵が、胸に手を当て、丁寧にお辞儀をする。
私、ミュゼは思わず見惚れてしまった。
「なんとも、美しいお方ですのね。
魔法使いにも、このような方がおられるとは。
正直、貴族科出身の方かと」
モレー公爵令嬢は身をそり返す。
「あら。
トロワ様は侯爵ですから、貴族科に在籍することもできたのですよ。
それでも魔法の才がありましたので、志願して魔法科へと入ったのです。
そうですよね?」
トロワ侯爵は、緑色の髪を掻き分けながら照れる。
「ははは。
魔法がちょっと好きだっただけです。
その点は、グラス・パッシー伯爵と同じですよ」
「夫をご存知なんですか?」
私、ミュゼが尋ねると、トロワ侯爵はソファで身を乗り出す。
「それはもう。
一学年下の首席ですからね。
怨霊退散イベントの時などでは、共同作戦に従事したものです。
ただ、グラス伯爵とはコースを異にしていましてね。
私は支援魔術コースなのです」
私は両手を合わせる。
かねがね誰かに聞きたいと思っていたことがあった。
オヌリーヌ嬢が担っていたという後方支援というのは、魔法師団の中で、どのような役割をするのか。
夫のグラス以外の者の口から説明を受けたかった。
「後方支援というのは、全体の中で、どういった働きをするのですか?
騎士では、重騎士を除けば、一つの専門を極める役職がないのです」
「後方支援の魔法使いは、もっとも多岐に渡る魔術を行使します。
グラス・パッシー伯爵のような攻撃魔術を展開する前衛部隊を補佐して、後方から支援することが主な任務です。
前衛の魔法使いに魔力を付与したり、遠距離から敵の力を削除したり、傷付いた味方を治癒したり、食糧を補給したりもします。
要するに、何でも屋みたいな側面がありますね。
ーーちょっと、失礼。
お腹が空きましたので、食事を……」
トロワ侯爵は、大皿に載った肉料理をナイフで割き、小皿に載せて食べ始める。
かなり空腹だったようで、肉の後は野菜スティック、スープ、果物と、いろいろな食べ物に手を出していく。
中肉中背なのに、随分と大食漢だ。
なんでも、食糧を咀嚼して得たエネルギーを魔力に変換する体質だそうで、それゆえに、怨霊退散や敵軍との交戦の際にも、比較的食糧に不自由しない後方支援部隊を希望したのだという。
「ご婦人方もいただいてくださいよ。
美味しいですよ。
私一人が食べるだけでは気が退けます」
それでも、トロワ侯爵の勧めに従う者はいなかった。
モレー公爵令嬢をはじめとしたご貴婦人方は皆、扇子を広げて、
「そうは言ってもねえ。
私たちは男性のように、がっつくわけにはまいりませんわ」
などと囁き合っている。
結局、私だけがトロワ侯爵の隣に座り、彼と同じように肉料理や野菜を頬張った。
食べ方が武芸科の男どもを思わせて、内心、懐かしく思っていた。
これなら自分も、気安くたくさん食べることが出来る。
二人して食物をモグモグと咀嚼しながら会話を弾ませた。
「後方支援というのは、物資も運搬するのですね?」
「はい。そういう役割を担う者もいます。
ですが、人気の部署は付加魔術や削除魔術をかけて、直接、前衛部隊をアシストしたり、敵勢を弱体化させる役ですかね」
「だから、前衛からの信頼を受けるのですね。
愛用する魔道具や家宝なんかも、後方支援に預けるのだそうですから」
私の発言を耳にして、トロワ侯爵は手にしたナイフの動きを止めて、キョトンとする。
「いえ。そんなこと、滅多にありませんよ。
魔法使いはたいがい、大事な物は肌身離さず持っているもの。
他人に預けるモノは、二番手、三番手以下のものだけです。
魔法使いはそれぞれ個人プレーを基本としています。
そこが騎士団と大きく違うところですね。
ですから、いくら仲間同士でも、互いに魔道具の貸し借りは御法度に近いものがあります。
自慢の魔道具ーー特に杖なんかは、盗まれたり、折られたりして、陰惨な事件に発展するのも後を絶たないほどです」
思いの外、修羅場なのに驚いた。
魔法科は女性の在籍率が高いので、もっと貴族科みたいにおっとりとしたものかと思っていた。
外部の魔物や敵兵ではなく、内輪に向けて警戒し続ける世界に、想像するだけで胃が痛くなってくる。
騎士コースを専攻して良かった、と私は心底、思った。
私は思い切って尋ねてみた。
「この前、古戦場の砦で怨霊退散の仕事があったそうですね」
「ああ、そうそう。
貴女のパッシー伯爵家が持って来た宝剣、あれは凄かった。
あんなに魔力を貯められる剣は初めて見ました。
ーーでも、不思議なんですよね。
『あんな宝剣があるのなら、もっと早くから活用すべきだった』
という意見が、王宮魔法師団の仲間内でも出されましてね。
実際、パッシー伯爵家は代々、魔法師団に属して来たのに、先代も先々代も、あの宝剣を使用した形跡がないのは、おかしいでしょ?
『この宝剣は、勝手にパッシー伯爵家で秘蔵してきたのか』
と疑われたから、王弟殿下がその宝剣を王家へと献上するよう、グラス・パッシー伯爵に申し付けたんですよ」
「え!?」
聞いていた話と違う。
私は、あの宝剣はじつは実家の父から貰い受けたものだと説明することにした。
私の実家ディファニュ騎士爵家にあったのだから、あの宝剣を先代のパッシー伯爵などが使うことが出来ないに決まっている。
「あの宝剣は、私の実家であるディファニュ騎士爵家が、代々継承してきた剣なんですよ。
でも騎士爵家ゆえに代々、魔法を使えなかったから、本来持っている力が発揮できず、勿体無いから、魔法系のパッシー伯爵家に嫁ぐなら、おまえが持って行けってお父様が……」
トロワ侯爵は噛み砕いた食べ物をゴクンと飲み込んでから、腕を組んで、真面目な顔付きになった。
「ーーなるほど。
ということは、グラス・パッシー伯爵は、虚偽の報告を魔法師団ーーひいては王家に対して、してしまったことになるのですが……」
「いえ。あの宝剣は、たしかに私が夫に渡したので……」
「いや、パッシー伯爵家の親類のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢という女性が、『パッシー伯爵家で代々秘蔵して来た』と言っておりましてね。
それゆえに、宝剣を王家で取り上げることになったんですよ。
グラス・パッシー伯爵も、彼女の来歴説明を否定しなかった。
ーーでも、これはちょっとマズいですね。
王家に誤った来歴が伝わってしまっている……」
「あのう、その場合、夫の進退はどうなるのでしょうか?」
「そうですね。
虚偽の報告を放置したのは問題ですけど、有用な宝剣をパッシー伯爵家で勝手に私蔵していたわけでもなかったですからね。
王家としては、かえってパッシー伯爵家に対する不信感を拭えるわけですから、プラスマイナスゼロといったところですか。
特に処罰もされなければ、褒賞もされないと思いますよ」
私はパッシー伯爵家の奥方として、ホッと胸を撫で下ろす。
トロワ侯爵は腕を組んだ姿勢のまま、まるでたくさんの食べ物を口の中に放り込んだみたいに、頬を膨らます。
「でも、なんですかね、貴女の旦那様は。
宝剣を提供した貴女の功績を横取りして、陛下に事実を伝えないとは。
意図的な隠蔽というか、成果の横取りというか……。
ーーでも、オヌリーヌ嬢とかいう親類はともかく、グラス伯爵の方は意図的に成果を横取りしようとしたようには見えませんでした。
現に、むしろ私蔵を疑われて、王家に不信感を持たれたわけですし……」
そこで、モレー・ポルカ公爵令嬢が、扇子をパチン! と閉じて発言する。
「そうですわ。
意図的ではなさそうだから、かえって問題が根深いのよ。
貴女の初夜が奪われた件も、同様の気持ち悪さがあるわ」
「初夜」という言葉が発せられた途端、今まで黙っていた貴族令嬢たちがいっせいに身を乗り出して来た。
「ねえねえ、ミュゼ様。
私たち、その『初夜事件』について、噂でしか聞いてないのよ。
実際に貴女の口から、何があったのか聞きたいわ」
「そうよ、そうよ。
モレー様は思わせ振りな物言いをするだけで、肝心な話はしてくれないもの」
「私はあのとき街中の喫茶店で許婚者とお茶をしてたんですけど、モレー様と貴女が話し合うのを耳にしたんですのよ。
でも、席が離れていて、良く聞こえなかったの。
当事者である、貴女自身からお話を伺いたいわ」
「そうよ、そうよ。
ほんとうなの?
初夜のベッドに、旦那様の従姉が乱入して来たって?」
私はコクッと黙って頷く。
きゃあああ!
と黄色い声をあげて、貴族婦人たちは扇子を広げて口許を隠す。
それでも爛々と輝く瞳を、私に振り向けてくる。
この段になると、男性であるトロワ侯爵は肩をすくめて押し黙る。
話を展開する主役が交替したのだ。
周囲からの圧力に負ける格好で、私はグラス・パッシー伯爵との結婚以来、起こったさまざまな出来事を淡々と、出来るだけ感情を込めないように注意を払いながら話した。
初夜の行為をする前に従姉のオヌリーヌ嬢が寝室に押し入って来て、旦那のグラス様を昏睡魔法で寝かしつけてしまったこと。
仕方なく私もオヌリーヌから昏睡魔法をかけてもらったのに、気持ち悪くなって悪夢を見るだけだったこと。
翌朝になっても従姉のオヌリーヌは屋敷に居座っていて、旦那様の隣で食卓に着いて、あ〜〜んと旦那様の口を開けさせて、トマトを食べさせたこと。
「妻の前で、そうした振る舞いをさせるのはやめて欲しい。
屋敷から出てもらって通いにできないでしょうか」
とお願いしても、
「それは出来ない。
オヌリーヌは母親代わりだったから」
と旦那様に言われてしまったこと。
それでも、旦那様の仕事の役に立つかもと、実家で先祖から伝えられてきた宝剣を旦那様に渡したこと。
すると、先程、トロワ侯爵が語ってくださったように、怨霊退散の仕事に一週間もの長きに渡って出向いた後、帰って来るなり、旦那様は謝って、
「これからオヌリーヌとは食卓を共にはしない」
と誓ってくれたものの、屋敷から追い出そうとはせず、
「どうせ居た堪れなくなって、オヌリーヌは出て行くだろう」
と宥められたこと。
しかも、仕事帰りの馬車に、旦那様はオヌリーヌ嬢を同乗させていたことを、まるで悪いとも思っていなくて、オヌリーヌからは「丸二日、説教されてしまったわ」と勝ち誇ったように言われたこと。
そして、実家から貰い受けた宝剣を勝手にオヌリーヌが預かって、挙句、「パッシー伯爵家所有の宝剣」として王弟殿下に献上して、得意になっていたことーー。
そうした事実を列挙した後、私は居住まいを正して感想を述べた。
「その間、私が思ったことは二つあります。
まず、旦那様は私が従姉のオヌリーヌ嬢に対して嫉妬していると誤解なさっているようでしたから、彼女のことを『母親代わりだったから』と弁明したのでしょう。
けれども、私は嫉妬したわけではなく、『オヌリーヌ嬢の言いなりになっている旦那様が信用できない』と思っていただけなのです。
そして、宝剣の件で、より明らかになりましたが、旦那様が私の意向を軽視し過ぎることに不満があるのです。
私は貴方の妻なのだから、私の心に寄り添って欲しかった。
旦那様に、『貴方があまりに無頓着だから、私は心が傷付き、悲しくなりっぱなしでした』と伝えれば良かった、と今は反省しております。
でも、あの時には、うまく言葉にできなくて。
ここのところは問題が起きていないようですから、こうして夫に伴われて舞踏会にも参加するゆとりも出て来たのですが……」
私の説明にかぶせるようにして、非難の口火を切ったのはモレー・ポルカ公爵令嬢だった。
「何が問題が起きていない、よ!
問題だらけじゃない!?」
「問題だらけ?」
私は思わず問い返す。
待ってましたとばかりに、モレー公爵令嬢は答える。
「だって、そうじゃない?
相変わらず、従姉のオヌリーヌなる女性は屋敷から追い出せていないのでしょう?」
「はい。でも食卓に顔を出さなくなりましたし、おかげで召使いや執事たちも活き活きと働くようになりましたし……」
「貴女の前では、ということでしょう?
隠れて何をしているのか、わかったもんじゃありません。
実際、旦那様のお仕事に勝手に付いて行って、旦那様に渡した宝剣の来歴を偽って王弟殿下に献上し、帰りの馬車では二日間も密室で旦那様と二人だけになって……」
彼女の非難に同意するようにして、ご婦人方が大合唱を始めた。
「そうよ、そうよ。
絶対、何かしていますわ!」
「即刻、追い払わないと!」
「危険ですわよ。
かえって貴方が追い出されでもしたら……」
「それよりも、毒物の心配が必要な事態ですよ、これは!」
甲高い声で言い争う中に、低い男性の声が響く。
「オヌリーヌ嬢なる女性の行いで考えると、隠れて何かをやっているーーということが問題なのではないでしょう」
たっぷり食物を食べて満足したのか、トロワ・メスト侯爵がお腹をさすりながら語り出す。
「奥方様に対して、まるで愛人や姑のように、旦那様に対する優先権を主張していることに、問題があるのです」
そうだった、と思い当たる。
旦那様の隣に座ってトマトを食べさせたり、出迎えた馬車から先に降りてきたり。
まさに「旦那様に対する優先権」をアピールしている行為だ。
「それに、後方支援の役割についても、オヌリーヌ嬢は嘘をついている。
本来なら、宝剣を管理する権限は、彼女にはない。
グラス・パッシー伯爵が許可しなければね。
グラス伯爵も実際は、宝剣を作戦行動の土壇場まで隠匿して、出来れば使いたくなかったんじゃないかな」
「どうしてでしょうか?
王弟殿下にパッシー伯爵家の存在をアピールする絶好の機会ですのに。
夫は、事前に行う作戦会議などにおいて、宝剣について言及しなかったのですか?」
「一切、口外していなかった。
おそらくグラス伯爵もオヌリーヌ嬢も、宝剣の力を過小評価していたんじゃないかな。
ーーで、怨霊が強力で、瘴気もあまりにも濃かったから、少しでも効果があれば、と思って宝剣を使ってみた。
すると、効果が絶大でビックリした、といったところが実情だろう。
宝剣の使用は、作戦の終了間際だった。
現地での仕事は三日かかったが、宝剣を最初から使っていれば、一日で済んでいたでしょうね。
それほどの力を発揮したんですよ、あの宝剣は。
その来歴を偽って、自分たちだけの手柄にして、貴女とそのご実家の功績を奪うだなんてーーほんとうなら、貴女はもっと怒って当然なんですよ」
これに相乗りして、モレー公爵令嬢も扇子で膝を叩く。
「そうよね。
少なくとも、遠慮し過ぎよ。
もっと言ってやりなさいよ。
誰が妻だと思っているの、と!」
畳み掛けるように、トロワ侯爵は訴える。
「ミュゼ伯爵夫人。
貴女はグラス伯爵の優柔不断振りや、オヌリーヌ嬢の当て付けるような振る舞いを、高位遺族家だから、魔法科出身だから、文化が違うだけなのだ、などと思っているようですけれど、それ、違いますから。
グラス・パッシー伯爵とオヌリーヌ嬢が非常識なだけですから」
モレー公爵令嬢も、私に顔を近づける。
「そうですよ!
高位貴族にとって品位は大切なものです。
初夜を奪ったばかりか、食卓にまで介入して居座るとは、まるでゴキブリのようではないですか!」
トロワ侯爵も真面目な顔付きで言う。
「特にオヌリーヌ嬢の振る舞いは、同じ魔法科支援魔術コース出身の者として恥ずかしく思います。
まずは王弟殿下に事の次第をお話しして、宝剣を貴女にーーあるいは貴女のご実家に返還するか、来歴を公表してご実家の名誉を讃えたうえで魔法師団預かりにしないといけません……」
貴族婦人たちは扇子で口許を隠すことなく、わあわあと議論をし始める。
「もっとグラス伯爵に謝罪させないと!」
「どうやったら、オヌリーヌ嬢を屋敷から追い出すことができるのかしらね!?」
「誰か、オヌリーヌ嬢と知り合いはいないの!?」
「十歳も年上となると、付き合うグループが違うから……」
「いえ。私のお姉様がほぼ同期ですけど、オヌリーヌ嬢なる女性、噂のタネにすら昇ったことがございませんよ」
「どんだけ社交界から離れていたのよ」
「ずっとグラスにベッタリだったのかしら?」
「どうでもいいけど、そのヒト、いっそ罪に問えないものなの?」
「断罪イベントを行うのはどうかしら?」
などと口々に提案し合っては、盛り上がる。
そのさまを眺めて、私は嬉しかった。
ようやく誰かと想いが共有されたみたいで。
でも、冷静になる必要がある。
ここに居る人たちは親身になってくれてはいるけど、当事者ではない。
私はどうしても家庭の崩壊ーーグラスの旦那様と離縁することは避けたいと思ってしまう。
旦那様を、私は憎み切れていないのだ。
実際、これほど私の心を傷付けておきながら、彼に悪意はないと思う。
宝剣についても、私からの預かり物と思って、出来るだけ使わないでいようとしただけだろう。
彼自身が宝剣を献上しようと思ったのではなく、「伯爵家が宝剣を隠匿しようとしているのでは?」と疑われ出したのに驚いて、王弟殿下の求めに応じただけなのだろう。
変なところで遠慮して、頓珍漢な気遣いをする。
要するに、グラス・パッシー伯爵は、人付き合いがヘタなのだ。
私も割とそういうところがあるからわかる。
オヌリーヌ嬢の横槍さえなければ、仲良く付き合っていけると思う。
実際、私にとっては、旦那様やオヌリーヌ嬢がどうであったかというよりも、自分の意向が蔑ろにされ続ける状態に耐えられなかっただけなのだからーー。
テーブルに載る料理が残り少なくなってきた。
そろそろ舞踏会もお開きになる頃合いだ。
「ミュゼ。帰ろうか」
こちらで自分のことをアレコレと噂されていることも知らず、グラス・パッシー伯爵が独身貴族男性たちの群れから離れて、こちらへとやって来る。
やがて、貴族婦人ばかりの集団の中に、一人だけいる男性に気が付いて、彼はいきなり直立する。
敬礼でもしかねない勢いだった。
「こ、これはトロワ・メスト侯爵。
こんなところに、いらしていたのですか。
気付きませんでした。
妻が何か粗相を?」
「はあ……」
とトロワ侯爵は溜息をつく。
「グラス・パッシー伯爵。
私は君の奥方様と、楽しい歓談を過ごさせていただいたばかりだ。
ーーそれにしても、君は男性にしか目を向けることは出来ないのかね?
こちらにはモレー・ポルカ公爵令嬢もおられるというのに」
「はあ。
妻がお世話になっております」
形ばかりモレー公爵令嬢に頭を下げるが、アッサリとしたもので、トロワ侯爵に対する態度と露骨に違っている。
ほんとうに女性を軽く見ているようだ。
トロワ侯爵は立ち上がってグラス伯爵の肩を叩いて囁く。
「女性が控えめに振る舞っているからといって、壁の花か何かと勘違いしてはいけないよ。
彼女たちは男性以上に事情通だし、いろいろと考えておられる」
「い、いったい何を言っておられるのか……」
トロワ侯爵は、そのまま手を振って、グラス伯爵の傍らを通り過ぎて行く。
私の周囲に群がっていた貴族婦人たちも、サアッと立ち去って行く。
結果、私たち、パッシー伯爵家夫妻だけが取り残された格好になった。
夫グラスは腕を自らの腰に当て、私に手を廻すように促す。
舞踏会に出入りする際は、男女同伴であることが決まりだからだ。
だが、いつになく夫はオドオドしていた。
周囲の人々ーー特に貴族婦人方から好奇に満ちた眼差しを向けられていることに、ようやく気が付いたようだった。
「君、何を話したんだ?
僕のことを悪く言っては困るよ。
先程、君の前にいたトロワ侯爵は、僕の上司なんだ。
悪評が立ってしまっては……」
私は夫の腕に手を廻しながら微笑んだ。
「心配ご無用ですわ。
私はこれまで起こった事実だけしか話しておりませんし、旦那様についても、皆様は殊更、悪く言ってはおりません。
ただ、行ったことに相応しい評価をなさっておられるだけですわ」
私の満面の笑みを見て、夫は背筋に悪寒が走ったようだった。
舞踏会場に来る時とは異なり、夫はかなり挙動不審なほどに周囲に目配せをしながら、馬車へと乗り込んだのであった。




