◆6 もう賽は振られた
翌朝になってーー。
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は、急に恥ずかしくなって、ベッドの上で何度ももんどり打っていた。
私は、貴族夫人として、あるまじき態度を取ってしまった。
夫の醜聞を広めて、パッシー伯爵家の名誉を大々的に貶めてしまった。
あるべき貴族夫人なら、家庭内の揉め事は腹に収めて、黙っているものなのだろう。
モレー・ポルカ公爵令嬢は「私の許可なくして口外しない」と約束してくださったから、誰にも言わないかもしれない。
でも、喫茶店のお客全員と、そのような約束を交わしたわけではない。
今頃は、パッシー伯爵家のスキャンダルを面白おかしく知り合いたちに話して、さまざまな憶測を囁き合っていることだろう。
でも、おかげで私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は、腹を括ることができた。
私自身は事実しか言っていないが、尾鰭が付いた「パッシー伯爵家の悪評」を耳にして、旦那様はどのような態度に出るだろうか。
噂の発信源となってしまった私を、不届者として家から追い払うだろうか。
それとも、「外聞が悪いから」と、私が言った提案に則って、従姉のオヌリーヌ嬢を屋敷から追い出して、外からの通いにするのか。
結局、外聞の力を借りるという好ましくない事態になってしまったけど、これも成り行きだ。
せいぜい上手く活用するしかない。
旦那様の態度いかんでは、私も去就を決めねばならない。
新婚早々出戻りとなったら、お父様、お母様は許してくださるだろうか。
兄と弟から馬鹿にされるのは確定しているけど、口はともかく、内心では暖かく迎え入れてくれると思う。
そう。
モレー公爵令嬢に家庭の事情を打ち明けて以来、私はいつでも離縁される覚悟はしている。
もう賽は振られたのだ。
◇◇◇
それから一週間後ーー。
旦那様の帰宅予定を告げる使いが、王宮からやって来た。
その予告に従って、綺麗な蒼いドレスで着飾って、旦那様のご帰宅を玄関前で待っていると、パッシー伯爵家の紋章が刻まれた馬車が到着した。
だがしかし、馬車から顔を出したのは、旦那様ーーグラス・パッシー伯爵ではなかった。
「あら、お出迎え、ご苦労様ですわ、奥様」
亜麻色の髪をなびかせる、従姉のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢であった。
魔法使いを表すマントは薄汚れていたが、溌剌とした様子だった。
私が呆気に取られていると、その後に旦那様が姿を現した。
どうして、旦那様はオヌリーヌ嬢と一緒の馬車に乗っているのか。
私が尋ねるより先に旦那様は片膝立ちになって、私、ミュゼの右手の甲にキスをした。
「ああ、ミュゼ。
ただいま。
仕事が長引いて待たせることになって、ごめん。
でも、仕事の間中、ツラツラと考えてみて、僕は反省したんだ。
ほんとうに悪かった。
君は僕の妻なんだから、君の意向を第一にするよ!」
私は身を硬直させたままだった。
言葉の上では、問題ない、満点解答だ。
旦那様が仕事に出向く前に、そのように言ってくださっていたら、私は喫茶店で打ち明け話をする必要もなかっただろう。
ところが、従姉のオヌリーヌ嬢が、彼と一緒の馬車から降りてきた。
しばらくの間、彼女の姿を見かけなかったが、まさか夫の後を追いかけていたとはーー。
オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢は、亜麻色の髪を掻き分けて甘えた声を出す。
「ほんと、グラスったら、マジで怒っちゃってぇ。
『もっと僕の妻に気を遣ってくれよ!』って。
旅の間中、ずっと説教されちゃった」
私は、オヌリーヌ嬢の隣で顔を逸らしている夫に向かって、言葉を絞り出した。
「旦那様。まさか、彼女と一緒にご旅行を?」
「あ、言ってなかったっけ?」
と旦那様は、バツが悪そうに頬を搔く。
「オヌリーヌも支援魔法部隊に志願して、先行していた僕の部隊と現地で合流したんだよ。
僕もビックリしたんだ。
オヌリーヌが王宮の仕事に志願することなんか初めてでさ。
いつもなら、『たいして実入りが良くない』って取り合わないんだけど、どういう風の吹き廻しだって尋ねたら、『奥方様に迷惑をかけたから、僕の仕事を手伝って罪滅ぼしにしたい』って。
な、彼女は健気だろ?」
オヌリーヌ嬢は私が夫に向ける視線を塞ぐように前へと進み出て、得意げに鼻を鳴らす。
「それはもう、大変なお仕事だったんだから。
古戦場の砦に巣食う悪霊を退散させて、瘴気も祓えっていうんだから。
王弟殿下の指揮は結構荒くて、皆、付いていくだけで必死でしたわ。
前衛部隊の後方支援に入って、私は延々回復魔法や治癒魔法を使いまくったんだから。
私、これでも学園時代は、支援魔術コースの秀才だったのよ。
でも、十年以上も前に卒業して、それ以来の魔法乱発だから、疲れたの何のって。
普段から、グラスに昏睡魔法をかけ続けていたから、コツを思い出すのに手間はかからなかったけどね」
安堵したのも束の間。
旦那様は長期の仕事から帰宅して、さっそく初夜での一件を含めた、私の意向を蔑ろにしていたことについて反省の弁を述べてくれた。
けれども、一週間もの長旅となった仕事に、例の従姉オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢が同行していたとは知らなかった。
「ごめんなさいね。
新婚の夫を奪って、連日連夜、一緒にお泊まりしちゃった。
でも仕事だから仕方ないわよね。
ーーああ、私、魔法科卒業で良かった。
武芸科卒業だったら、たとえ優等生だったとしても、今回のような仕事に同行できなかったものね」
グラスの旦那様は、慌てたように訂正を入れる。
「なんだよ、『一緒にお泊まり』だなんて、人聞きの悪い。
今回の仕事は郊外の砦が現場だったから、往復四日の距離だったから、帰りの馬車で二日間、ずっと寝泊まりしただけなんだ」
私は喉を震わせる。
「婚約者や妻以外の女性を、馬車に同乗させるなんて……」
だが、その抗議も、間髪入れずに声がかぶせられる。
オヌリーヌ嬢が、私の夫の腕に手を絡めて、目を細める。
「あら、私だってグラスの従姉なんだから、パッシー伯爵家の親族なのよ。
家族同然だから、何の問題もないわ。
今までだって、何度も馬車に同乗しているもの」
夫のグラス・パッシー伯爵が、言い訳めいた言葉を連ねる。
「仕方なかったんだ。
支援部隊の馬車は、砦で鹵獲した物品を詰め込んだらいっぱいになってしまって。
出来るだけ親族の馬車に同乗してもらうよう、王弟殿下からお達しがあったんだ。
仕方なく乗せたんだけど、彼女には、しっかり言い聞かせておいたから。
朝の食卓は別にする、不用意に僕たち夫婦の寝室に入らないようにって」
夫が、私の機嫌を取ろうとしているのは、わかる。
だが、今も、オヌリーヌに腕を絡めるに任せている。
根本的なことがーー「何を私が嫌がっているのか」が伝わっていない。
認識がズレている……。
さらに、そのズレを象徴したような事件があったことがわかった。
旦那様が私の機嫌を取ろうとして、逆に、取り返しのつかないことをしたことを告げた。
「そうそう。
君から貰った宝剣、とても役に立ったんだ。
主に支援部隊の連中が刀身に魔力を込めて、これを僕や王弟殿下などの前衛部隊が振り廻して、砦内に充満していた瘴気を打ち祓ったんだ」
宝剣が役に立った。嬉しい。
私がそう思っていたら、いきなり従姉のオヌリーヌ嬢が口を挟んできた。
「その剣に魔力を込めたの、殆ど私だったのよ」と。
「え?」
私が絶句していると、旦那様はうわずった声をあげる。
「なんだよ、オヌリーヌだけじゃなかっただろ?
クリスもメアリーも頑張ってたじゃないか」
「ええ。
でも、あの宝剣はパッシー伯爵家のものとして、私が預かりっぱなしだったわ」
夫のグラス・パッシー伯爵は、私に顔を向けて両手を振り廻す。
「ああ、ミュゼ。
誤解しないでくれ。
別に宝剣をオヌリーヌに譲ったわけじゃない。
砦内に潜入する際に、持ち運ぶ役目をしてもらっただけだ。
後方支援部隊には、他の者も、いろんな魔道具や武器を預けている。
魔力を込めるのだって、別にオヌリーヌじゃなくたって良かった。
それを勝手にーー」
ドン! と旦那様を押し除けて、オヌリーヌが私に迫る。
「良かったじゃない、宝剣は効果覿面だったんだから。
王弟殿下からお褒めの言葉をいただいたわ。
だから言ったの。
『パッシー伯爵家から拝借した宝剣です』と。
王弟殿下は大層お喜びになって、めでたく宝剣を召し上げていただけたわ」
得意げにオヌリーヌが灰色の瞳を輝かせて、胸を張る。
その隣で旦那様も、大きく相槌を打つ。
「そうそう、パッシー伯爵家として鼻が高かったよ!」
私は頭から血の気が退く思いだった。
「そのまま黙って、宝剣を渡してしまったのですか?」
当然ともいえる私の抗議に、口を尖らせて言い返してきたのはオヌリーヌ嬢であった。
「王弟殿下がお喜びなのよ!?
剣を一本渡すだけで、パッシー伯爵家の名前を覚えていただけたわ。
グラスの出世の糸口になるかも」
さすがに黙って居られなかった。
私はオヌリーヌの胸倉を掴まんばかりに詰め寄った。
「あの宝剣は、私がお父様からいただいたものです。
『先祖代々、伝えてきた宝剣だ』と言われてーー」
「あら、貴女の実家の名前を出さなかったから、不愉快だって言うのかしら?
駄目よ、そんなじゃ。
貴女もパッシー伯爵家の奥方になった自覚を持ちなさいよ。
あの宝剣は、パッシー伯爵家の持ち物になったんでしょ?
貴女がグラスに手渡した瞬間に」
さすがにマズいと気付いたのか、旦那様は私の両肩を掴んで、正面から見詰める。
至って真剣な表情であった。
「彼女、オヌリーヌが宝剣の出自を問われたのであって、僕ではなかったから、『パッシー伯爵家のモノ』ってことになっちゃっただけなんだ。
僕にお言葉があったら、妻、ミュゼの実家のものだと言っているよ。
ごめん。
明日にでも皆に伝えておくよ。
王弟殿下に捧げた宝剣の出どころは、妻の実家ディファニュ家だって」
違う!
そういうことに、私は怒っているんじゃない。
「私が渡した程度のモノだったら、出世のために人に譲り渡して構わない」という、軽い扱いをしていることがわかるから、嫌な気持ちがするのだ。
そのニュアンスがどうして、この二人には伝わらないんだろう。
私はキッパリと言った。
「オヌリーヌ様は、もうご実家のモデスト子爵家にお帰りください。
旦那様と二人きりでお話がありますので」
「なによ。
私の方がずっと長い間、この屋敷に住んでいたのに。
貴女、何様のつもりよ!?」
「パッシー伯爵家の奥方のつもりですけど?」
剣を腰に提げてはいないが、あたかも剣の柄に手を掛けるような姿勢になって、前屈みになる。
いつでも攻撃できるように、オヌリーヌの急所に目を据えて。
私の気迫が伝わったとみえて、旦那のグラス様が折れた。
「オヌリーヌも長旅で疲れたろう?
たまには伯母様が暮らす実家で親孝行したら? ね」
「ふん!」
従姉のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢は踵を返して、再び馬車に乗り込む。
そして馬車が砂埃を上げて駆け出して行った。
その後ろ姿を見送り、私はようやく誰にも邪魔されずに旦那様と正面から対面した。
まったく安心出来ない。
何が私を悲しませているのか、旦那様はまるでわかっておられない気がする。
でも、強く出たところで、表面的に折れた態度を取られるだけで、また同じことの繰り返しとなってしまう。
私は機嫌を取ってもらいたいわけではないのだ。
モレー・ポルカ公爵令嬢が当たり前のように私に示した、「私の心に寄り添う姿勢」を取る夫になってもらいたいだけだ。
最低でも、「従姉のオヌリーヌが、私たち夫婦の仲を壊そうとしている」という理解を共有して欲しいだけだ。
実際、旦那のグラス様も、お可哀想には思う。
一週間に渡る遠征で疲れて帰ってきた挙句、新妻から怒りをぶつけられるのだから。
でも、私が求めているのは、私に対する姿勢の改善と、パッシー伯爵家が陥っている現状についての理解に過ぎない。
夫婦で怒鳴り合う必要など、本来、ないのだ。
夫のグラス・パッシー伯爵は、応接室で身を縮こめるようにしてソファに座っている。
左右に控える侍女に助けを頼むように視線を送るが、彼女たちは努めて無視しているようだ。
この一週間、共に過ごしてみて、彼女たち侍女もオヌリーヌ嬢にはホトホト手を焼いていたことを、私は知った。
特に執事のテレンスは、私にこっそり従姉のオヌリーヌが勝手にパッシー伯爵家の領地経営に口出ししてきて、収入の一部を自分の懐に入れていることを、耳打ちしてくれた。
私は夫の対面のソファから身を乗り出して、夫の手を強く握った。
「良いですか、旦那様。
私は貴方様が従姉のオヌリーヌ嬢をオンナとして見ていない、母親代わりであったから強く出られないだけだ、と承知しております。
そのうえでハッキリとした態度を取っていただけることをお願いしているのです。
極力、彼女、オヌリーヌに、我が家の経営、及び、貴方様のお仕事に関わらせないでもらいたいのです。
これはオンナの嫉妬などというものではありません。
私ーーパッシー伯爵家の奥方の意向を軽んじる態度に終始する、彼女自身の問題なのです。
貴方様は、『オヌリーヌに悪意はない』とお思いでしょうが、仮にそうだとしても、だとすれば、それだけ問題が根深い、ということを理解していただきたいのです。
初夜を迎えようとする私の感情を掻き乱し、敬愛する旦那様を子供扱いにするさまを見せつけ、当てつけのように旦那様の仕事を後追いして、私が差し上げた実家からの頂き物を、あたかも自分の手柄であるかのように他人に差し出すーーこうした一連の行動が、悪意なく行っているとすれば、かえって彼女は性根が歪んだオンナだということになると思いませんか?
なぜなら、やることなすこと、他者に不快感を呼び起こすのですから。
念の為に言っておきますけど、彼女に対するこうした見解は私個人だけのものではありません。
この一週間、旦那様がおられない間に、どれだけ執事や侍女たちから、あのオンナに対する苦情を寄せられたことか。
客観的な証拠をお求めなら、こちらに領地経営で得られた収益の一部を横流ししている証拠書類もございますよ」
私は、執事と協力し合って、数日かけてまとめた資料を、旦那様に手渡そうとする。
が、グラスの旦那様は、その受け取りを拒否した。
「悪いけど、僕はこうした経済事情に興味ないんだ。
でも、執事や家宰から、これまでもオヌリーヌについて苦言を呈されていたから、おおよその問題点は掴んでいるつもりだ。
僕としては、オヌリーヌが屋敷に居て、召使いたちを取り仕切る姿を見ることが、当たり前になっていたんだ。
僕の世話焼きと同様にね。
だけど、もう我が家には君がーーミュゼ・パッシー伯爵夫人がいる。
君という正式な奥方がいるのだから、たしかにオヌリーヌには身を退いてもらうしかない。
正直、僕は君を侮っていたようだ。
わずか一週間で、執事や侍女たちの心を掴んでしまうばかりか、オヌリーヌの不正まで暴いてしまうだなんて。
僕は先入観に囚われていた。
騎士という人種は、心は純粋で勇ましいけれども、経営とか、人付き合いとかいったものには疎いものだと勝手に決め付けていた。
まずは、そこから改めないといけないみたいだね。
僕はこれまで通り、魔法の研究と実践に没頭していたい。
だから、今までオヌリーヌに任せていたことすべてを、これからは君に任せるようにするよ」
そう宣言すると、グラス伯爵は鐘を手にしてチリンチリンと鳴らす。
そうして家宰と執事長、侍女長を呼び出すと、
「これまでオヌリーヌに任せていた物事をすべて、こちらのミュゼに任せることにする。
いいね!」
と言い渡した。
彼らは頭を下げて退室して行った。
そして夫は立ち上がると、私の手を取って立ち上がらせる。
「これでオヌリーヌが、我が家でやれることはなくなる。
プライドが高い彼女のこと。
きっと近いうちに、屋敷から出て行くさ」
そう言って旦那様は私を抱き寄せて、頭を撫でた。
(ふう。これで、なんとか夫婦の危機を免れたーーのかしら?)
ようやく、胸を撫で下ろすことが出来るように思われた。
が、同時に、旦那様によって、どこか肩透かしを喰らったような気もして、私の心の中のモヤモヤが完全に晴れることはなかった。




