◆4 高貴な貴族令嬢
現在、私の家、パッシー伯爵邸には、旦那様ーーグラス・パッシー伯爵が居ない。
従姉のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢も、見かけない。
何処かへ出掛けてしまったようだ。
彼女の実家モデスト子爵家には現在、実母と歳の離れた弟、そして義理の父親がいる。
馬車で半日の距離だから帰省でもしたのだろうか。
だとすれば、良い心掛けだ。
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は、安堵の溜息を漏らす。
が、心にモヤがかかったままだった。
今ひとつ、心の中の視界をスッキリさせたい。
私、ミュゼは結婚に至るまでに辿った道行きに思いを馳せた。
グラス・パッシーとの結婚は恋愛によるものだった。
グラス伯爵令息から求愛され、それに応じた結果だ。
武芸科の私には魔法科でどういう教程が組まれているかも、誰が優等生かも知らなかった。
魔法科の生徒も、武芸科には騎士コース、戦士コース、武闘家コース、索敵コース、武具製作コースがあることすら知らないだろう。
同じように、武芸科の私は、魔法科には魔術コース、支援魔術コース、魔道具製作コースがあることも、グラス・パッシー伯爵(当時は伯爵令息)が魔術コースの首席であることも知らなかった。
でも、グラス伯爵令息は魔法科に在籍する者なら誰もが知っている人物だったので、その彼が突然、何の関わりもない武芸科騎士コースの私、ミュゼに求婚したことが知れるや、学園は大騒ぎとなった。
が、グラスから求婚されて一番驚いたのは、この私、ミュゼである。
武芸科からしたら、魔法科の生徒はひ弱なガリ勉インテリタイプとしか思っていない。
魔法科について好意的に見る人がいても、それは高位貴族家のお嬢様が何人か在籍する、縁遠い世界という認識で、私もそのように思う一人だった。
実際、グラス伯爵令息に会ってみれば、細い身体で両手を合わせてモジモジして、始終、俯き加減で、当初は目すら合わせてこなかった。
でも、今まで接したこともなかったタイプの男性だったし、何より伯爵家の御曹司、それも首席の人だったので、お試し気分で付き合い始めたのだった。
やがて、線の細そうな外見と裏腹に、グラスの魔法に賭ける情熱は本物だと知った。
実際、森の中で彼の攻撃魔法を見せられたときは、驚嘆した。
空から雷が落ちたり、手のひらから火の玉が飛び出したり、私の身体を青白い光が包んだと思ったら、まるで熟睡した後の目覚めのように、スッキリした気分になった。
剣を構えたとしても、一対一で戦ったら、私の方が負けると確信した。
さすがは魔法科首席である。
実際、グラス伯爵令息は学園卒業と同時に、パッシー伯爵家の家督をお父上から譲られ、王宮魔法師団に就職することが決まっていた。
いわゆるエリートである。
一方の私、ミュゼは騎士コースでの成績はそれなりに優等で、ゆくゆくは王妃殿下や王女殿下の護衛を務める近衛騎士団に配属されると期待されてはいた。
が、それは騎士コースの中では珍しく女性だったからで、腕力に勝る男性騎士には成績も及ばず、次席にもなれなかった。
どうして私なんかを結婚相手に選んだのかとグラス伯爵令息に尋ねたら、彼が探査魔術を習得したので行使してみたら、いきなり私から独特な魔力の波動が感じられ、興味を持って近づいて見た時に一目惚れした、というのだった。
「一目惚れ」とはいえ、魔力を感知したことが私に興味を抱いた端緒だというから、純粋な愛情だけではないだろう。
魔術研究に熱心なあまり、私に近づきたく思ったことが動機なのだから、私との結婚に踏み切ったのにも、彼なりの打算があると見て良い。
でも、私としては、グラス伯爵令息の側に、そういった狙いがあった方が信用がおける気がした。
真面目に「一目惚れ」しただけと言われた方が、安心できなかったろう。
付き合っている時から彼、グラス・パッシーは優しかった。
ガタイの大きな私を同伴している時も、さりげなく馬車道側に身を挺してくれるし、レストランに入る時もドアを開けて私を優先してくれるし、椅子も引いてくれる。
武芸科の男どものように、当然といった感じで我先に席に着いて女性に酌を要求する連中とは人種が違ったのだ。
私は初めてお嬢様扱いをされて、浮かれてしまった。
だから彼、グラス伯爵令息の求婚を受け入れることに決めた。
だが、グラスは「優しい男」ゆえか、私以外の女性にも甘々な応対を繰り返して、いかなる女性の頼みにも拒絶の意志を示せないようだった。
特に「母親代わり」とすら語った、従姉のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢には頭が上がらないようで、押し切られてばかりだった。
いくら安眠を誘導するため、翌日の仕事のために体力や魔力の温存をはからねばならないとはいえ、まさか初夜のベッドにまで、オヌリーヌが乗り込んで来るとは思わなかった。
彼女、オヌリーヌ相手に恋愛の情はない、と旦那様は断言する。
それは、ほんとうのことだろうと思う。
それでも、何だかモヤモヤする想いが消えなかった。
夫婦というのは、他者の介入を許さない、緊密な絆で結ばれるものだと私、ミュゼは思っていた。
夫のグラスが留守なのを良いことに、私は屋敷から出て、ブラブラと貴族街を散歩して、お気に入りの喫茶店に入った。
学園時代からの行き付けで、学園で授業が行われている昼下がりには、学園のOGたちが恋人や仲間を募ってお茶を愉しんでいた。
幸い、知り合いの顔も見かけなかったので、私は窓側の席に座って、チーズケーキを頼んで、コーヒーを口にしていた。
旦那様が発した、オヌリーヌについての言葉を、思い返す。
「母親代わりだったから」ーー。
その言い訳は、「従姉のオヌリーヌは恋人ではない」と宣言しただけに過ぎない。
私は断じて、「旦那様の愛情がオヌリーヌに向けられているから嫉妬した」というわけではない。
愛人の存在に逆上する妻になったつもりは毛頭ない。
気になった理由は、まったく別だ。
オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢が行ったことは、「母親代わりだったから」と言って許される行為だったとは、とても思われなかったのだ。
母親だったら、初夜のベッドに侵入してくるのを許すのか?
私だったらいくら母親だとしても、外へと追い払うだろう。
彼女、オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢のなすがままな、パッシー伯爵家の現状が、私は許せないのだ。
パッシー伯爵家の当主グラスは、食卓ではオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢に隣に座られ、「あ〜〜ん」して、トマトを口に入れられていた。
その間、グラスは嫌そうな顔をするものの、なされるがままだった。
妻である私を目の前にして。
グラス・パッシー伯爵は、口では「愛している」と囁いていながら、結婚した相手である私を蔑ろにしていることが問題なのだ。
つらつらと往時を思い返して、私が顰めっ面をしていたら、いきなり、
「こちらの席、よろしいでしょうか?」
と声をかけられた。
コーヒーカップに落としていた視線を上げる。
すると目の前にいたのは、絢爛豪華な装いをした貴族令嬢だった。
銀色に輝く長い髪、蒼く光るつぶらな瞳に、長い眉毛が目立っている。
そして扇子の陰に、薄桃色の唇を隠す。
服装は蒼色の生地に金銀の刺繍が美しく施され、スカートの裾には白いヒラヒラが付いていた。
彼女の装いは、私が着ている、黒っぽい騎士服の上下とはまるでモノが違う。
もう伯爵夫人になったというのに、学生気分が抜けていない風采であることが急に恥ずかしく思われた。
そんな私の心情に構わず、高貴な貴族婦人は語りかけてきた。
「ミュゼ様。ご結婚、おめでとうございます。
出来れば式に呼ばれたかったのですけど、私のような者が顔を出しては堅苦しい挙式になってしまうので、避けられてしまったのかしら?」
キョトンとしていると、広げた扇子の向こうで微笑まれた。
「あら。お忘れかしら。
私、元生徒会長のモレー・ポルカです」
ああ! と私、ミュゼは膝を打った。
彼女は筆頭貴族のポルカ公爵家のご令嬢で、モレー嬢という。
一学年先輩で、学園の生徒会長を勤めた令嬢であった。
私とモレー公爵令嬢とは、一応、面識はあった。
武芸科を挙げて魔物討伐に赴く実習の際、私、ミュゼは騎士として生徒会の護衛任務に就いていた。
その際、交流を深めた相手だった。
彼女、モレー公爵令嬢が在籍していたのは魔法科でも武芸科でもない。
貴族科と呼ばれる、伯爵以上の高位貴族子女しか在籍できない学科であった。
貴族科の生徒は将来、国家の中枢を担う人材であるから、武芸科が行う魔物討伐にも、魔法科が行う怨霊退散にも同行する。
彼ら彼女らを主人とする形で、魔法科や武芸科の連中に、魔物を討伐させたり、怨霊を退散させたりするのだ。
「モレー会長。
式に招待いたしませず、とんだご無礼を……」
「ほほほ。冗談ですよ。
たった一度、実習で護衛に就いてもらった程度の仲で、結婚式や披露宴に招かれないのは当然のこと。
しかも、我が国の結婚式は、新郎側が取り仕切る習いで、招待客も新郎側の意向で決まりがちなもの。
もっとも、グラス・パッシー伯爵としては、貴女が私と顔見知りと知っていたら、貴女を口実に、きっと私を式に招待していたでしょうね。
パッシー伯爵家は代々、野心家が多いですから」
「モレー会長は、今、お一人ですか?」
「学園を卒業した今は、会長ではありませんわ。
しかも、貴女と違って既婚者でもございません。
ですから、日々、安穏として過ごしておりますのよ」
モレー公爵令嬢は、あの実習の時と同様に、ゆったりとした雰囲気を身にまとっていた。
懐かしくなって、私は学園時代について、思いを馳せた。
◇◇◇
学園近くに広がる森には、比較的弱い魔物が棲息する。
おかげで、武芸科にとっても魔法科にとっても、丁度良い野営訓練の場となっていた。
その日、魔物討伐の野営訓練に参加したのは、武芸科総勢二百名と貴族科十名だった。
武芸科索敵コースの生徒が斥候役を担い、先行してルートの安全を確認する。
それから魔物を索敵したら、すみやかに後方の本陣に連絡して、三十名で構成される本隊の出発を促す。
本隊が魔物と遭遇すると、武闘家が盾を構え、戦士は武器を手に、魔物に向かって突進する。
その間、騎士は後方支援に徹していた。
実際の魔物討伐の際は魔法使いが後方支援の主体となるが、武芸科の実習だから、貴人の護衛役以外にも騎士が駆り出されていた。
私、ミュゼは生徒会長モレー・ポルカ公爵令嬢直々のお声がかりで、会長の護衛役となっていた。
当時、魔法科のグラス・パッシー伯爵令息と婚約していたので、騎士コースの女騎士である私に興味を持ったのだろう。
実習においては、貴族科の生徒は何もしないのが通常だ。
指揮も戦闘も「配下」にした武芸科の連中に丸投げするのが普通であった。
が、モレー会長は違った。
索敵の情報を集めて、騎士と相談して、戦士と武闘家の配置を決定していった。
扇子を突き出して行う彼女の指示は的確で、魔物を隘路に追い込んだ状態で攻撃して、集団で刃向かって来られないよう誘導することに成功していた。
おかげで、モレー会長が指揮する部隊は、歴代最高級の魔物討伐数となった。
実習を終えた後、私、ミュゼはモレー会長に呼ばれて二人だけでお茶をした。
会長は、私が提案して成功裡に終わった、「魔物のグレートボアが群れを成す習性を利用して、匂い袋で隘路に誘導する作戦」を褒めてくださった。
「ごく基本的な策です」
と私が照れながら答えたら、モレー会長は微笑まれ、
「そうやって、魔法科のグラス伯爵令息の心を射止めたのですね」
とおっしゃった。
「違います。
私が一方的に狩られたのです」
と私が答えると、
「あら。
そうなの?
グラス伯爵令息も随分と大胆ね。
でも、これほど見事に剣を振るう貴女が、みすみす彼に狩られるとは思えません。
上手く狩られてあげたものですわ」
と扇子を広げて口許を隠し、目を細めていらしたーー。
◇◇◇
モレー・ポルカ公爵令嬢は対面で背筋を伸ばし、扇子を開き、私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人に問いかける。
「ところで、どうなさったのです?
貴女は、私には望めるはずもない恋愛結婚をなさったというのに?」
モレー元生徒会長は、筆頭貴族家であるポルカ公爵家の一人娘だから、なかなか結婚相手が決まらないようであった。
が、ゆくゆくは高位貴族か王族の誰かを婿に取るのだろう。
たしかに彼女ほどの身分になると、敷かれたレールに乗ることしかできないはず。
でも今の私には、いっそ、そうした強制力による結婚の方が、現在のように心が傷付くことはなかったのではと思われて、自然と涙が出てきた。




