◆2 ほんとうにガッカリしたのは、私の方だよ!
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人の寝起きは悪かった。
悪夢を見たようで、吐き気がする。
だから、あまり食欲がなかった。
幸い、朝食は、野菜サラダと果物、ほかにはナッツ類しかなかった。
朝から肉料理が大皿に載せられる実家のディファニュ騎士爵家とは大違いだ。
だが、朝食メニューの違いよりも当惑したことがあった。
またも従姉のオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢が顔を出していたのだ。
それも旦那様であるグラス・パッシー伯爵の隣の席に座っていた。
旦那様と、その従姉は、まるで恋人同士のように語らう。
「お身体の調子はいかがですか?」
「快調だよ。
オヌリーヌのおかげだ」
「いつものことよ」
オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢は、こちらへ勝ち誇ったような視線を向ける。
「あら、顔色が優れないようですけど?」
グラス伯爵はパンを口に運ぶ最中で、隣に座る従姉の表情に気付いた様子がない。
ほんとうに、朝から気分が悪い。
オヌリーヌ嬢の挑発的な態度に気付いたようで、私の後ろに控える侍女のキノラはオロオロしていた。
実家から一緒に来てくれた古参の侍女に、心配されたくない。
私は毅然とした姿勢を崩さなかった。
「いえ。
ただ、オヌリーヌ様の昏睡魔法、私にはあまり効かなかったようです」
「それは失礼しました。
騎士爵家の娘ともなると、勝手が違うのでしょうね」
「オヌリーヌ様のご実家は?」
「モデスト子爵家です。
こちらのパッシー伯爵家と同様、魔法系の家ですよ。
先代のデメロ・パッシー伯爵様の姉に当たるのが、私の母です。
見て見て。
私たち、顔立ちが似ているでしょう?」
旦那様のグラス伯爵に、オヌリーヌ嬢は顔を寄せる。
旦那様はグイッと従姉の顔を押し除けた。
「よしてください。
もう、子供じゃないんですから」
「なによ。
昔は、貴方の方から抱きついてきたのに」
「いつの頃のことですか。
ほんの幼い頃のことじゃないですか」
「あら、またトマトを残して。
駄目よ、ちゃんと食べなきゃ」
「今日は仕事なんです。
嫌いなものを食べて、不快な思いを朝からしたくないんです」
「駄目よ。
はい、アーンして!」
文句ありげな顔をしつつも、旦那様は口を開ける。
そこへ、オヌリーヌ嬢がトマトの切れ端を突っ込む。
苦虫を噛み潰すようにトマトを頬張る旦那様を、彼女は面白そうに眺める。
「ああ、そうそう、『不快な思い』という言葉で思い出したわ。
貴方、今日のお仕事、戦没者の怨霊を祓うのでしたわよね?
怨霊系は苦手なんじゃ?
『お化けが怖い。皆んな、どうしてアレが見えないの』
って泣いてーー」
グラス伯爵は「やめてよ、そんな子供の頃の話は!」と顔を赤くして弁明する。
そして、こちらへ顔を向ける。
「ああ、ミュゼ。
誤解しないでください。
ほんの子供の頃の話です。
なんだって今日は朝から昔話ばかり……」
「だって、ミュゼ様が新たに我が家に加わったばかりなんですもの。
はやく我が家に馴染んでもらわなければ」
笑いながら旦那様に抱き付いて、オヌリーヌ嬢は笑う。
従姉のくせにパッシー伯爵家を「我が家」というのは、おかしくない?
それに、従姉とはいえ、旦那様に接する距離が近くないか?
それとも貴族家では、これが自然な付き合い方なのか?
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は当惑する。
私は騎士爵家の育ちで、学園でも武芸を磨いてばかりだった。
その際、野営訓練では特に、男女の別がほとんどない環境だった。
チームを組んで、魔物の討伐数を競う野営訓練の際には、男性と同じ鍋を突き、雑魚寝することが普通だった。
身分の上下なく、生命を預け合う仲なため、身体ごと触れ合う機会も多かった。
でも、魔法科は全然、勝手が違うと聞いていた。
友達同士の交流も、水の如く薄いと言われていた。
それなのに、旦那様と従姉が醸し出す、このベタベタ具合はどうだろう。
「魔法科の者は身にまとう霊波がそれぞれ違って、互いに距離を取り合うと聞いていましたが……」
と私が遠回しに距離を取るよう勧めても、オヌリーヌ嬢は平然としたものだった。
「あら、私たちは同族だから、霊波は同種ですわ」と。
従姉の言葉に応じる形で、旦那様が嬉しそうに口を挟む。
「そうなんだ。
だから、こうした身体ごと触れ合うことは、魔法科では殆ど見られない。
実際、火系と水系の魔法使い同士が近付いたときは水蒸気みたいな靄がーー」
グラスの旦那様が、学園時代から時折発揮する魔法蘊蓄タイムだ。
私は彼の蘊蓄を聞くのが好きだった。
結婚すれば、嫌というほど蘊蓄披露に付き合わされるのだろうな、と思っていた。
ところが、私以外に、別の女がいて、彼の得意げな講釈を中断させてしまう。
「あらあら、もうこんな時間。
急がなくては!」
従姉に手を引っ張られて、夫のグラス伯爵は目を白黒させる。
「え? まだ、ゆとりがあるだろう?」
「もう、気が利かない人ね。
さっそく奥方様に呆れられてしまうわよ。
霊波の違いによる対処法についてなんて、魔法使いにしか興味をもたれないわよ」
「そう言えばそうかーー」
オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢に乗せられて、夫は話を打ち切ろうとする。
それを押し留めるために、私、ミュゼは大きく手を振った。
「いえ。そんなことありませんわ。
そうした相性による身体的接触の障害は、武芸者同士にもありますから。
偵察訓練を受けている人は神経質で、武闘家や戦士を目指すような大雑把な性格の者とは、気が合わないと言われています。
私はむしろそういった職能的なことを伺うことのほうが楽しく思われます」
夫はパアッと明るい顔になった。
「そうなんだ。
じゃあ、仕事から帰って来たときには、もっと魔法使いについての話を教えてあげるよ。
ちょっとした業界話ってやつを」
これから出発までの短い間、夫婦の会話を楽しむことができそうだ。
そう思った矢先、横合いから、オヌリーヌが邪魔をする。
「いつまで、話し込んでいるのよ。
はやく、はやく!」
従姉のオヌリーヌは、旦那様を追い立ててから、私、ミュゼ伯爵夫人の方を振り向いて舌打ちする。
「魔法を使えないヒトが、知ったように興味持たないでよね」
年上の女性から舌打ちされるのは久しぶりだ。
が、私は怖くもなんともない。
実家でも学園でも、大柄の男どもに囲まれていたし、仲間と一緒に剣で魔物を討伐したこともある身だ。
今も旦那様とその従姉に置いて行かれそうになったけど、すぐさま立ち上がって素早い足運びで二人を追い越して玄関に出て、扉を開けてやった。
「あら。扉を開けるなんてことは召使いがする仕事よ。
貴族の奥方様は奥の部屋に控えているものなのに」
「そうなんですか?」
オヌリーヌの嫌味を耳にして、私は素直に驚いた。
実家ではお父様が王宮に出仕するたびに、お母様が玄関扉を開けて、口付けまでして送り出していたのに。
夫のグラス・パッシー伯爵は、女同士で対立していても、相変わらず鷹揚に構えている。
「良いじゃないか、オヌリーヌ。
貴族夫人の作法なんて、そのうちに覚えるさ。
オヌリーヌは僕を早く追い立てすぎだよ。
馬車の用意がまだ出来ていないじゃないか」
「でも、伯爵家の奥方として、はしたないわ」
さらに小言を重ねようとするオヌリーヌに、私は思わず言い返す。
「オヌリーヌ様にはしたないと言われたところで、痛くも痒くもありませんね。
いくら私がはしたなくとも、他人の新婚家庭の初夜に押しかけ、そのまま朝食を共にするーーそんな振る舞いをするなんてこと、絶対にありませんから」
私の言葉を耳にしたのだろう。
実家から私に付き従って来た侍女キノラが口に手を当て、目を丸くする。
侍女キノラは初夜を迎える直前、鏡の前で髪を整える私に向かって、顔を赤らめて恥ずかしそうにしつつも、
「おめでとうございます、ミュゼお嬢様」
と力付けてくれた。
「貴女が恥ずかしがることはないでしょう?」
と私は応じて、
「これからもよろしく」
という言葉とともに彼女の手を強く握った。
実際、結婚してパッシー伯爵夫人となっても、私の身の周りを世話するのは彼女キノラなのだ。
そんな実家から連れて来た侍女も、主人である私が、別の女性に寝室まで侵入されて旦那様との初体験を迎えられなかったと知って、驚きの顔から、心中に怒りを溜め込んで唇を咬む。
パッシー伯爵家の執事と侍女も、申し訳なさそうに目を伏せていた。
こうした侍女たちの表情を見て、さすがに気恥ずかしくなったのか、オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢は顔を真っ赤にして俯く。
まさか、私が初夜を過ごし損なったことを口外するとは思わなかったのだろう。
甘いよ。
騎士の娘を舐め過ぎだ。
高位貴族家のご令嬢のように憚るような体面もない。
やられたら、やり返せだ。
ところが、思わぬ展開を迎えてしまった。
本来なら、私の怒りに同調すべき旦那様のグラス・パッシー伯爵が敵に廻ったのだ。
「ミュゼ、なんてことを言うんだ!?
たとえ事実であっても、言って良いことと悪いことがある。
君はオヌリーヌ嬢の面目を潰すつもりなのか!?」
声を荒らげる旦那様を初めて見た。
「面目を潰す」ということは、やはり、初夜の寝床にまで押しかけることは貴族家であっても非常識なことであったようだ。
私は毅然とした態度を維持した。
「面目を潰したのなら謝ります。
ですが、驚いたのは私の方です。
そちらが明け透けに話すのなら、私も、と思ったまで」
私、ミュゼ・パッシー伯爵夫人は居住まいを正した。
「ーーで、旦那様はいったい、どちらの旦那様なんですか?
私ですか?
それともオヌリーヌ・モデスト子爵令嬢ですか?」
私は正面から旦那様を見据えて問いかける。
すると、居た堪れなくなったのか、従姉のオヌリーヌは屋敷の奥へと駆け去っていく。
わざとらしく、両目から涙を溢れさせながら。
あれは悲しみの涙ではない。
悔し涙だ。
私に恥を掻かされた、と思っているのだろう。
それを見て、旦那様のグラス伯爵は私を睨み付ける。
どうやら、旦那様は、あの涙が悲しみによるものと見えたらしい。
「率直なところは勇ましくて結構だけど、ほんとうに騎士爵家の者は礼節をわきまえないな。
ガッカリだよ」
(ほんとうにガッカリしたのは、私の方だよ!)
と思ったが、私は口に出さず、両拳を握り締めて黙っていた。




