◆18 実家への帰還
娼館での出来事は、貴族街から平民街へ、そして王都から全国へ、あっという間に伝わった。
初夜を奪われた新妻ミュゼ・パッシー伯爵夫人についての続報だ。
誰もが興味津々で、耳を側立たせた。
まず、グラス・パッシー伯爵が従姉のオヌリーヌと肉体関係があって、三歳の子供までいたことが明らかとなった。
それだけで大ニュースであった。
「やっぱり!
関係があると思ったわ!」
と声をあげたのは、貴族婦人たちであった。
従姉弟同士にしては近過ぎる関係に思われていたのだ。
三歳の女の子までがいること、しかも娼館で匿われていたことに悍ましさと、女の子に対する憐憫の声が湧き起こった。
さらには、オヌリーヌの報われぬ純愛に同情する者も現れた。
「すでに肉体関係を重ねて、子供まで産んでいたんだ。
だったら、愛する男が別の女と過ごそうとする初夜を邪魔するのもわかる」
「従姉のオヌリーヌ嬢にとっては、新妻のミュゼ夫人の方が割って入ってきた『間女』だったわけだ」
「従姉弟同士で結婚は出来ない。
だから、オヌリーヌは考えたんだ。
まずは私生児としてエリナを産んで、娼館で育ててもらい、いずれはパッシー伯爵家の養子にして正統な跡継ぎにしようって」
「ほんとうに従弟のグラス伯爵と、その子エリナとで家族になろうとしていたのよ。
それなのに、グラス伯爵が、見ず知らずの女を妻として連れ込んできて、夢が壊れたーー」
「そう考えると、従姉のオヌリーヌも可哀想ね」
「でも、従姉弟同士なんでしょ。
気持ち悪くない?」
「従姉弟同士の結婚って、国によっては構わないらしいけど、我が国では禁じられてるわ」
「だからこそ、純愛なんじゃない?」
「でも、新妻の初夜を邪魔するなんて、犯罪よ、犯罪!」
オヌリーヌについての意見は真っ二つに割れた。
だが、「残された女の子が可哀想」、そして「旦那のグラスは最低」、という意見は誰もが一致した。
数日を経ずして、グラス・パッシー伯爵の不誠実、無慈悲な態度に非難が集中した。
従姉とそのような関係になったこと自体、気持ち悪いのに、子供まで成しておきながら、別の女性ミュゼと結婚しただなんてーー。
「なんて不実な男だ」
「いつも犠牲になるのは女性なのよ」
男女を問わず、世論は沸騰する。
グラスを厳罰に処すべきだという署名運動までが、平民、貴族の垣根を超えて湧き起こるほどであった。
さらに、その「不実な男」グラス伯爵は、新妻であるミュゼの魔力を密かに盗んで魔石に充填し、その魔石を手土産に、魔法国へ亡命しようとしていた、と聞いた人々はますます激昂した。
「非国民」「売国奴」と貴族紳士までが、グラス伯爵に対して怒号を張り上げた。
その「売国奴」の旦那グラス・パッシー伯爵は、妻ミュゼから魔力を盗んだ罪で逮捕された。
そしてその従姉オヌリーヌは、本来、ミュゼの実家の家宝であった宝剣を「パッシー伯爵家もの」と王家に対して虚偽の報告をし、結果としてミュゼから宝剣を盗んだものとして、これまた捕縛された。
グラスとオヌリーヌ、二人してミュゼから窃盗を働いた廉で捕まったのである。
かくして犯罪者の捕縛は終了した。
その結果として、「初夜を奪われた新妻」であったミュゼに、改めて皆が注目し始めた。
彼女は、初夜ばかりか、体内の魔力も、実家譲りの宝剣までをも奪われた被害者だったからだ。
さらに聞けば、実家であるディファニュ家も大切なものを奪われていた。
本来あるべき侯爵の爵位である。
ディファニュ家は百年以上前、勇者ドイルを輩出したにも関わらず騎士爵家に甘んじていた。
その理由は、有名な愚王「迂闊のボヌール」によって、王位継承争いの際に敵方に与したという恨みのせいで、見せしめ的に爵位を何段階も落とされたからであった。
それまで侯爵だったのを一気に騎士爵位にまで落とされ、当時から全国規模で流布していた童話『勇者ドイルの魔王討伐』からも「ディファニュ」という家名を削除された。
人々は噂した。
「ということは、ミュゼ夫人は、『黄金勇者ドイル』の血統に連なる勇者なの?」
「そういうことになるな!」
「『黄金のドイル』は魔法剣士で、『黄金剣の勇者』とも称されて膨大な魔力量を誇り、パーティーの仲間の傷も癒したそうだ」
「ミュゼ元夫人も、その血統を引いているのだから、魔力はあるのだろうな」
「魔力が盗まれるほどだ。
相当な魔力量なのだろう」
「皮肉なことだと思わないか?
魔法科首席のグラス・パッシー伯爵が、武芸科騎士コースの妻ミュゼから魔力を盗むだなんて」
「ミュゼ元夫人は、それほどの魔力持ちなのに、どうして騎士なんかに?」
「昔の政変のとばっちりで、実家が騎士爵位に降格させられたというけど?」
「だったら、さすがにミュゼ本人は魔力があることぐらい、知っていたのだろう?」
噂する人々は知らなかった。
ミュゼの持つ魔力が特殊で、通常の魔力測定装置では検出できず、ミュゼ本人自身も魔力に乏しいと思っていたことを。
だから、家柄に相応しい新説が生まれた。
「ミュゼにはもとより勇者の志があったんだよ。
勇者血統だから、剣を手放したくなかったんだ」
「なるほど!
なのに、魔法国ゾルバの意向を受けた売国奴グラス伯爵が求婚して、勇者血統であるミュゼを亡命させようとしたんだ!」
「だったら、皮肉なことに、初夜を奪った悪女オヌリーヌこそが、我が国に勇者を居残らせてくれた功労者ってことになるな」
「そうだ、そうだ。
勇者ミュゼの誕生だ!」
わああああ!
無責任な風聞は何処へ向かって飛ぶかわからない。
今はミュゼへの追い風となって吹き荒れ、本来、女性の側から離婚は出来ないという国法が、国王命令という非常手段で破られたことを気にかける者など誰一人いなかった。
ミュゼは何日にも渡って、グラス・パッシー伯爵とオヌリーヌ嬢の罪状を決定するための証言を求められ、寄宿しているポルカ公爵邸から、騎士団駐屯所と王宮魔法師団の詰所、さらには王宮へと何度も足を運び、パッシー伯爵邸にも実家にも帰ることは出来なかった。
だが、数十日を経て、グラスとその従姉の処分がほぼ決定したあと、ようやく王宮から馬車を借り受け、実家ディファニュ騎士爵家へと帰ることとなった。
ミュゼが実家に帰ることをあらかじめ知っていたのだろう。
王宮前に大勢の人々が押し寄せ、馬車に乗ろうとするミュゼに声援を送った。
馭者は面喰らいながらも、馬に鞭打ち、群衆を掻き分けて馬車を進ませた。
馬車の中から、侍女キノラが窓の外を見て、呆れた声をあげる。
「それにしても凄い熱気ですね、お嬢様」
ミュゼは吐息を漏らしつつ、深く座席に身を沈める。
「そうね。
でも、私が勇者だなんて。
柄じゃないわ」
キノラは居住まいを正して、微笑む。
「経緯はどうあれ、私はディファニュ家へ帰ることが出来て嬉しいですよ」
当主グラスがオヌリーヌの専横を許し続けたパッシー伯爵家では、さすがに居心地が悪かった。
使用人たちとの関係は、それなりに良好ではあった。
執事や侍女たちはオヌリーヌの我儘にほとほと手を焼いており、家宰と執事長、侍女長までが、新たに奥方様となったミュゼになびき、ついにはオヌリーヌによる領地収益の横領までをも告発し、当主グラスから「これまでオヌリーヌに任せていた物事をすべて、こちらのミュゼに任せることにする」という言葉まで引き出すことに成功していた。
とはいえ、パッシー伯爵家の主人はグラスだったので、ミュゼ専用侍女キノラは、パッシー伯爵家の使用人たちから細かな嫌がらせを受けていたという。
ミュゼから魔力を吸い込んだ魔石を回収する必要もあり、本格的にミュゼを囲い込みたかったのだろう。
キノラがミュゼに接触しにくいように、グラス伯爵は使用人たちに手を回すよう命じていた。
食事やお茶の際にも、
「すでにミュゼ様はパッシー伯爵家の奥方様ですから」
とキノラは近侍できないよう、無駄に用事を言い付けられて追い払われていたのだ。
その後、ミュゼとともに王弟邸や、モレー公爵令嬢のポルカ公爵邸へと寄宿先を転々とすることとなり、気が休まることがなかった。
「そうだったの。
キノラにも苦労をかけたわね」
ミュゼは、長年連れ添ってくれた侍女をねぎらった。
「パッシー伯爵邸から出られて嬉しいのは、私も同じよ。
キノラに紅茶を淹れてもらう方が私も嬉しい。
慣れた味ですもの。
でも、これで正式に、実家に出戻りになってしまったわね……」
さらに深く座席に沈むような姿勢になって、ミュゼは溜息をついた。
(あと、問題はお母様ね……)
◇◇◇
数刻後ーー。
馬車から降りたミュゼ元伯爵夫人は、久しぶりに実家ディファニュ騎士爵家の玄関前に立った。
ほんの数ヶ月ぶりだというのに、随分、懐かしく感じられた。
馴染みの老執事が扉をあけ、館へ入ると父のオランプ・ディファニュ騎士と、母のフランソワ夫人が出迎えてくれた。
玄関脇には、珍しく兄のアングルと弟のカメルも顔を出していた。
出戻りの姉を迎え入れる兄弟の気持ちはどのようなものだろうか。
案の定、二人とも苦笑いを浮かべて、
「やはりミュゼが伯爵夫人ってのは、似合わないよな」
「でも、酷いのは伯爵の方でしょ?
なんですか、従姉の言いなりだなんて理解できませんよ。
真面目そうな顔をしていたのに……」
などと小声で喋り合っている。
兄や弟の耳にまで、初夜での醜聞が伝わっているようだ。
照れ隠しもあって、私、ミュゼは軽くお辞儀をしてから、
「お父様、お母様、ごめんなさい。
出戻ってしまいました」
とあっけらかんとした口調で挨拶をした。
正面を見ると、お父様は眉根を寄せて悩ましげな表情を浮かべ、お母様は涙目で怒った顔をしていた。
やがてお母様はツカツカと駆け寄せてきて、パシン!と私の頬を平手打ちにした。
そして、
「なんて情けない娘だろう!」
と甲高い声を張り上げた。
碧色の瞳を涙で濡らすお母様の姿を目にして、私は思った。
やはり、出戻りは許せないのか。
こうなったら、実家とも縁を切るしかないーーと。
ところが、そのように思い詰めていたのに、お母様は、娘である私、ミュゼを強く抱き締めた。
「どうして、すぐに帰って来なかったの!?
世間での噂を耳にして、どれほど私たちは心配したか!」
続いてお父様までが迫ってきて、怒鳴った。
「そうだぞ。
初夜に旦那の従姉が乗り込んで来たのなら、なぜ即座に斬って捨てなかった!?
そのような不埒者を斬ったところで、誰も咎めなかったはずだ。
少なくとも、我がルモン王国の騎士ならばな!」
今度は兄と弟までが私の許に駆け寄せてきた。
皆、碧色の瞳を涙で濡らせていた。
「水臭いじゃないか、ミュゼ。
俺たちは家族だろ!?
旦那から無礼を働かれた妹を受け入れないなんてこと、あるはずないだろう!?」
「そうですよ、お姉様!
事件があった翌日にでも、伯爵家から逃げて来れば良かったんだ!」
私、ミュゼは金髪を震わせる。
涙がようやく溢れ出す。
ああ、やはり私の家族は、ここにいる人たちなんだ、と実感した。
「ありがとう、お父様、お兄様、そしてカメルも。
でも、お母様。
グラス伯爵によれば借金があるとかーー」
「なによ、あのグラスって男、そんなネタまで明かしてミュゼを脅したの?」
お母様は、再びミュゼの頬を叩きかねない勢いで睨み付ける。
「そんなはした金、そっくりあの男に叩き返してやるわよ!
貴女が嫁いでまだ幾らも経ってないでしょうに、そんなお金、まだ手も付けてないわ。
馬車から降りたときに見なかったの?
屋根の修理だって、まだしてなかったでしょ?
ったく!」
ミュゼは安堵の溜息を漏らすとともに、父親に渡すモノがあることをようやく思い出した。
侍女のキノラに馬車から持ち出させていたのだ。
「お父様。
頂いていた宝剣をお返しします。
いったん王弟殿下に預けられてから返還されました」
魔法師団預かりにするという案もあったが、結局はディファニュ家に返す方向で、王家の意見はまとまった。
勇者血統の者にしか十全とは扱えない剣であると伝承されていたからであった。
実際、ミュゼが宝剣を手にすると、鞘ごと黄金色にキラキラと輝き始めた。
伝説に伝え聞く『勇者の光』と思われた。
童話ではルモン王国の勇者は、歴代、魔法剣士で、特に勇者「黄金のドイル」は「黄金剣の勇者」と言う二つ名も持っていた。
彼が手にする剣の鞘は黄金色に煌めき、その刀身は白い光が宝石のようにチカチカと煌めくという。
鞘から抜いてはいないが、刀身もさぞ眩しく輝いていると思われた。
父のオランプ・ディファニュ騎士は、鷹揚に応えた。
「おお、宝剣が戻って来たか。
俺も数日前に王宮に呼ばれてな。
その宝剣についていろいろと聞かれて大変だったぞ。
とはいえ、俺もろくに来歴も知らなかったから、目新しいことは何もお伝えできなんだがな」
父親は娘から剣を受け取ると、さっそく鞘から剣を抜いてみた。
だが、輝きはなく、普通の刀身のごとく鈍い光を反射させるのみだった。
「不思議だよなぁ。
おまえを嫁に出すとき、コイツをおまえに渡したけど、光り輝いたりしなかったのに。
今はこんなにも眩しく……。
そう言えば、王宮に出向いた際、陛下から直接ご下問があったんだが、ミュゼ、おまえは勇者の覚醒みたいなの、何かあったのか?」
真面目な顔で問いかける父親に対し、ミュゼは大きく頭を左右に振った。
「ないわよ、そんなの!」
父親のオランプ・ディファニュ騎士は首を傾げる。
「おかしいな。
バター王弟殿下によれば、おまえは勇者に間違いないって言っていたんだが」
「私、勇者だなんて、迷惑だわ。
お兄様だって、弟だっているのに」
「それなんだが……」
兄のアングルが横合いから口を挟む。
「俺たちも三日前に王宮に呼び出されてな」
兄の発言に弟が応じる。
「そうそう。
王弟殿下に謁見したんですよ。
で、お兄様と一緒に鑑定を受けました。
ところがーー」
察しがついて、ミュゼは呟く。
「魔力がなかったのね?」
兄と弟が同時に頷く。
「通常の魔力測定装置で測ることができる魔力だったら、俺はミュゼよりも魔力が豊富だそうだがな」
「お姉様が持っている特殊な波動の魔力は、僕たちにはないって」
普通、魔力は青白い光の波として感知されるのだが、私、ミュゼの魔力は黄金色に輝いているのだそうだ。
どの系統に属する魔力かも、わからないという。
自分の体内にあるものとはいえ、不気味だ。
ミュゼは諦め顔で吐息を漏らす。
「そう。残念だわ。
そんな魔力、お兄様かカメルに有れば良かったのに……」
兄のアングルが心底不思議そうな顔で尋ねる。
「どうしてだ?
誇らしくないのか?
勇者の魔力なんだぞ?」
弟のカメルも拳を握り締めて同調する。
「そうですよ!
しかも『黄金のドイル』と同様の魔法剣士になれるっていうんですよ?
それにしても、童話で有名な我が国の勇者が、まさかディファニュ家のご先祖様だったなんて。
お父様はお祖父様から聞かされていたけど、どうせお得意の法螺話だと思って、真面目に受け取らなかったって言うんですから、呆れた話ですよね?
でも、もし童話『勇者ドイルの魔王討伐』で語られる通りなら、お姉様にも『黄金のドイル』と同じように、岩を砕き、城壁を穿ち、天まで翔ける超常の能力がーー!」
ミュゼは慌てて両手を振る。
「ちょっと待ってよ。
私が世界を救う?
そんなの、知らないわよ。
私はただ幸せになりたいだけなんだから!」
ミュゼとしては、別に女の幸せが結婚だなどと決めつけるつもりはない。
だが、世間や国家の要求で生活を擦り潰すような人生は送りたくない。
私は好きな時に好きなことをして、ゆったりと過ごしたい。
それだけの、ちょっと筋トレ好きな、普通の女性なんだと自分のことを思っていた。
そこでお父様が割って入って、大声をあげた。
「そうだよな。
ーーということで、娘に成り代わって、この父が勇者になってこようと思うんだ。
勇者になるってことには、男なら一度は憧れるもんだしな」
お母様が頬に手を当てながら、茶化す。
「あらあら。
お父さん、『年寄りの冷や水』って、王族の方々から言われないかしら?」
お父様は鼻息荒く、胸板を拳で打ち付ける。
「何とでも言わせとけ。
娘が自分の生き道を見つけるまでは、父である俺が勇者だ。
なにせ、勇者血統の一族の当主なのだからな!
はっははは」
お父様を中心にして、お母様も、お兄様も、弟も朗らかに笑う。
そう。
この明るさこそ、家族の証。
私の家、ディファニュ家の家風なのだ。
私の方から駆け寄って、皆に向かって大きく手を広げて飛び付いた。
「ありがとう、お父様、お母様ーー私、この家が、この家族が大好きです!」
ミュゼは結婚相手には恵まれなかったが、優しくて朗らかな家族がいたのだ。
それだけで、十分、幸せであった。




