◆16 待ってくださいよ! 僕は絶対、離婚になんか応じませんからね!
「君はパッシー伯爵家を潰す気か!?
この人でなし!」
泣き叫ぶグラス・パッシー伯爵に対し、その妻であるミュゼ・パッシー伯爵夫人は淡々とした口調で言い諭す。
「私は貴方と離縁したいだけ。
伯爵家を潰そうとなんか、していません!」
グラス伯爵は声を裏返す。
「そんな言い訳が通じると思うなよ!
君の心無い告発で、パッシー伯爵家が潰されてしまう瀬戸際に立たされていることがわからないのか!?
王族の前でこんな醜態を晒したんだ。
今、君と別れたら、僕が君を捨てて、従姉のオヌリーヌを取ったと思われる。
そうしたら自動的に、その女の子が僕の子供と思われる。
そこで思い出して欲しい。
従姉と婚姻を結ぶのは、国法を犯す行為なんだ、と。
その女の子を実子と認めれば、僕が従姉と関係をもったとされてしまう。
そうしたら僕は不品行な淫行の罪で、爵位を剥奪されかねない。
平民落ちになるんだぞ!
王宮魔法師団を辞めるのは一向に構わないが、僕は王国貴族から転落するつもりはないんだ。
見ろよ、ここに放蕩王子がいる。
つまり、すでに王族が僕に疑惑の目を向けているってことだ。
『コイツ、従姉と結婚しているんじゃあるまいな』と。
だから、今、君が僕と離縁すれば、即座に従姉のオヌリーヌとの関係が取り沙汰されて、その結果、パッシー伯爵家は潰れたも同然になるんだ。
わかったろ?
君のせいで、魔法系の名門パッシー伯爵家の存続が風前の灯になってるんだ。
もし潰れたら、ミュゼ、君のせいなんだからな!」
夫のグラス伯爵は必死に訴える。
だが、ミュゼは一向に耳を貸すつもりはなかった。
「だとしても、それはすべて貴方が自分のしたことの責任を取るだけのことでは?」
と平然としている。
さらにトロワ・メスト侯爵が、ドン! と足で床を踏み鳴らす。
殆どグラスの顔のすぐ目の前で、革靴が振り下ろされた格好だ。
ビックリして、グラスは喉を詰まらせた。
「グラス・パッシー伯爵!
君は私が述べた逮捕理由を聞いていなかったのか?
従姉のオヌリーヌ嬢や、その子、エリナは関係ない。
ミュゼ伯爵夫人から魔力を盗み続けたことの罪が問われているのだ。
『本人の同意なく、無断で他者の魔力を奪ってはいけない』
そのように国法で定められているんだよ!」
それでもグラス・パッシー伯爵は負けていない。
脅されても、必死に抗弁する。
「だから、盗んでなどいない!
そう、研究のための採取だ。
後で彼女に返却するつもりだったーー」
ミュゼは、すかさず夫の言葉を遮る。
「嘘おっしゃい。
外国に魔石を献上するつもりだったのでしょ?」
「なぜ、それを??」とグラス伯爵は驚く顔をする。
つい先程、自分で「一緒に魔法国ゾルバに亡命するんだ」と訴えていながら、今更、魔石を魔法国に渡すと知られたところで、まるで驚くには値しない。
なのに、グラスの全身から血の気が退いてしまった。
それほど、危機に直面して、彼の思考が混乱していたのだ。
だが、緊急の課題は、今現在の危機を乗り切ることだと思い直し、グラスは頭をもたげる。
「そうだとしても、ますます、僕は君から魔力を奪ったことにはならない。
君の魔力を込めた魔石を魔法国に提供すれば、その功績は君のものとなる。
つまり、魔力を栄誉へと形を変えて、君に返却したことになる。
はっははは。
そうじゃないか!?
ええ!?」
禿げオヤジの第三王子エックスが「どんな理屈だよ」と眉間に縦皺を寄せる。
ミュゼもトロワ侯爵も、その奇妙な言い分を呑み込めないでいる。
それを良いことに、グラス伯爵はさらに攻勢をかける。
「それにミュゼ。
離縁すると聞けば、君の父親はどう言うかな。
せっかくパッシー伯爵家の正夫人になれたのに、その栄誉ある立場を棒に振るなんて!」
ミュゼは一瞬、身を強張らせる。
(たしかに、お父様には怒られるかも……)
ミュゼの父親オランプ・ディファニュ騎士は魔力の貴重さも、魔力を奪うことの罪深さも、まるでわかっていない。
だから、「そんな些細なことで離婚するな」と言うかもしれない。
ほんとうを言えば、ミュゼ本人も、魔力を奪うことが、これほど犯罪扱いとされるとは知らなかったほどである。
でも、これほどパッシー伯爵家の醜聞は噂されているのだ。
娘である私が初夜を奪われ、夫の従姉に辱められたことぐらいは、父も聞き知っているだろう。
それならば、私に同情してくれるはず。
おまけに犯罪者としてグラス・パッシー伯爵が逮捕されたと知れば、父も離婚に賛成してくれるはず。
それに、実家の家宝であった宝剣を「パッシー伯爵家のもの」として王族に献上したと知ったら、それこそディファニュ家から家宝を盗んだ罪を鳴らして、お父様もグラスを糾弾してくれるんじゃないかしら?
あれこれと思いを巡らすミュゼと同様に、宝剣について頭を馳せていたグラス伯爵は言い立てる。
「次いでに言えば、宝剣は王弟殿下に召し上げられたのであって、僕は盗んでなんかいない!」
この発言に対しては、トロワ侯爵がミュゼに代わって反論する。
「でも、宝剣を『パッシー伯爵家の家宝』と伝えたのだろう?
それは貴方が盗んだことを明かすことになる」
グラスはベッと唾を吐いて、認めない。
「あの剣を『パッシー伯爵家の家宝』と言ったのは僕じゃない。
従姉のオヌリーヌだ」
たしかに王弟殿下に対して「パッシー伯爵家で代々秘蔵して来た」と言ったのは、オヌリーヌ・モデスト子爵令嬢であった。
それゆえに、宝剣を王家で取り上げることになったのだ。
突然、話を振られたオヌリーヌは、エリナを抱いたまま動かない。
自分にすべての罪をなすりつけようとするグラスのさまを見たくないのだろう。
ミュゼは碧色の目を伏せて、静かに言い添えた。
「でも、貴方は否定しなかった……」
間髪入れず、グラス伯爵は吼える。
「否定するつもりだったさ!
君とのゴタゴタさえなければ、いつでも」
ここで第三王子エックス・ルモンが、ダン! と床を蹴り鳴らし、珍しく激怒した。
「良い加減、黙れ、グラスとやら!
貴様はあの宝剣の価値をわかっていない。
あれは勇者の血統の証なんだぞ。
だから、余はミュゼと結婚したいと思っておるのだ」
エックス中年王子は懐から指輪を取り出す。
そして片膝立ちになって、指輪をミュゼに向けて掲げる。
「余と結婚してくれ、ミュゼ!
そう約束してくれるなら、すぐにでもコヤツとの離婚を成立させてみせる。
陛下を担ぎ出してでも!」
あまりに急な求婚で、ミュゼはビックリした。
彼女のみならず、グラス伯爵、トロワ侯爵、オヌリーヌ、女主人や娼婦といった、娼館の玄関ホールに居並ぶ者の誰もが絶句する。
実際、ミュゼは、思っていた以上に、夫のグラス・パッシー伯爵が言い訳を繰り返し、埒が開かない状態になってしまっていることに、正直、うんざりしていた。
だが、だからと言って、この頭が禿げて腹が突き出た放蕩王子の求婚を受けるわけにはいかない。
それでは、せっかくグラス伯爵と離縁できても、再び愛のない婚姻に縛られることになってしまう。
だが、真っ先に断りの言葉を発したのは、ミュゼではなかった。
騎士団員によって床に顔を押し付けられていたグラス伯爵であった。
「待ってくださいよ!
僕は絶対、離婚になんか応じませんからね!」と。




