Can you keep a secret?・1
終学活を終えた私は視聴覚室へ急いでいた。
午後の授業で、たぶん視聴覚室にペンを忘れてきちゃったんだよなあ……
どんなにペンケースの中を探してもお気に入りのペンが見つからなくて、きっと授業が終わった後慌てて片付けた時にペンケースに入れ忘れちゃったんだ、と思ったから。
視聴覚室のドアをそっと開ける。
中は当然誰もいなくて、シーンとしている。
私がいたのは、前から四列目のはじっこの方。
えーと、と電気の付いていない薄暗い教室の中を探していると、机の隅の方にキラッと光る細いもの。
あれだ!
私は手を伸ばしてペンを手に取る。
あー良かった、見つかったあ。
ほっとしたところで、突然声がした。
「彩さん?」
「うわっ!」
誰もいないはずの教室内で突然私を呼ぶ声がしたので、めちゃくちゃびっくりした私は大きな声を上げた。
跳びあがって声をした方を見ると、教室の一番後ろのはじっこの席にユウくんがいた。
「え、ユウくん?」
ユウくんは机に突っ伏していたみたいで、机の上に両腕を組んで、そこから顔を上げて眠たそうな顔で私を見ていた。
「ユウくん、なにしてんの?」
「んー、寝とった」
「寝てたって……え、終学活は?」
「どうやら爆睡しとったからここに取り残されたみたいやな。終学活……たぶん終わってるんちゃう」
適当だな!
そっか、ここで授業があって、寝ちゃって、そのまま自分の教室に戻ることもなくずーっと眠り続けてたのか……みんなが教室を出て行くのにも気づかなかったの? どれだけ爆睡してたんだか。
「はよ起きて部活行かなあかんのちゃうの?」
「おー。そうやな」
ユウくんは体を起こして手を天井に向かって伸ばし、うーん、と伸びをした。
ほんと、のんきだな……
「で、彩さんはなにしとん」
「あ、私はペンここに忘れたから取りに来ててん」
「ふーん」
ユウくんが立ち上がって私の方に歩いてくる。
すると、ひらっと紙が床に落ちた。
「あれ? なんか落ちたよ?」
ユウくんが落ちた紙の方を振り返り、拾い上げる。
「なにそれ?」
ユウくんが拾った紙をじっと眺めているので訊ねてみると、ユウくんは無言のまま紙を私に渡した。
「これ……進路希望調査票?」
A5サイズの紙に、進路希望調査票、と書かれていて、クラス、名前、希望進路先を第一希望から第三希望まで記入する欄が書いてある。そっか、二年のこの時期に、最初の調査があるんだったっけ。私にとっては一年前のことなのにもう忘れちゃってたな。
「これ、ユウくんの?」
「うん」
「まだ書いてへんのやね? 期限、今日になっとるけど」
その紙はまだ何も書かれていない、真っ白だった。
私は首をかしげた。
「ユウくんはあれなんちゃうん? 卒業したらカナくんと一緒にプロのハンドボール選手になるんちゃうかった? あ、その前に大学でハンドやろうか悩んでるとか?」
確かカナくんと二人でそんな話をしてたよね?
噂で聞いただけだけど、すでに二人のところに、実業団チームとか、大学の人が視察? スカウト? に来てるって話だった。
二人がプロになったらすごいよね。うちの高校からプロ選手が一気に二人も! しかも双子なんて、めちゃくちゃ話題になりそう!
「んー」
ユウくんは気のない返事をした。
どうしたんだろう? いざ具体的に進路を文字にして書く段階になったら、すぐにプロになるか大学に行くか決められなくなったのかな?
ユウくんは紙を指で挟んで、ひらひらと上下に揺らした。
「……彩さんは卒業したらどうするん」
「え、私? 私は……専門学校に行くけど」
「専門学校?」
「うん。東京のね、学校に行くねん」
「は。……東京?」
ユウくんがかすかに目を見開く。意外だと思われたのかな。
「うん。ちょっとね、一人暮らしして頑張ってみようと思って」
「なんでわざわざ東京まで。大阪とかに似たような学校ないん」
「いや、まあ……カリキュラムとか……いろいろ調べて。それでその学校がええなって思ったから」
「それでええん? そしたら部長とも離れ離れやん」
晴くん。
それを言われると……相変わらず胸が痛む。
もちろん晴くんと離れたくなんかない。晴くんはこっちの大学に進学することが決まっている。だから私も関西圏の専門学校を選べば……そうすれば、ずっと晴くんと一緒にいられるはずだった。
そりゃ、悩んだし……何度も東京に行くのなんてやめようって思ったりした。晴くんと離れたくない。ずっと一緒にいたい。そう思ってた。
私は手に持ったペンを見つめた。手の中でペンを転がして、ペンについた傷とか、クリップの感触を確かめる。
「……あのさ、めっちゃ思いあがったこと言ってもええ?」
私が小さな声で言うと、ユウくんは顔を上げて私を見た。
無言で先を促された私は、細く息をついた。
「……たぶんね、私が高校を卒業して……フリーターとかニートになって、だらだら過ごしとっても、きっと晴くんはなんも言わんと私の好きにしとったらええよって言うと思う。勉強が苦手な私が無理して大学とか専門学校に通うことない、どんくさい私が緊張して心をすり減らしながら働かんくてもいい、そんな風に言ってくれるんちゃうかなあ。そんでだらだら過ごしとっても、きっとそのうち晴くんは私を幸せにしてくれる。そんな風に思ってん。……でもね、私、それは嫌やなって……私、ほんまにあほやしどんくさいし、出来ることなんてたいしてないけど……それでもただ晴くんが幸せにしてくれるんを待つだけやなくて、自分でちゃんと立って生活していけるようになりたいって思ってん。そのためには、全力で私を守って甘やかしてくれる晴くんのそばやなくて、なにがあっても一人で乗り切らなどうしようもないような環境に飛び込まなあかんのかなって。もしかしたら、ほんまにどうにもならんくて、やっていけんくてこっちに……晴くんのところに逃げ帰ってくるかもしれんけど……でも一人でやれるところまでやってみたいって思ってん。だから私は一人で東京に行く。そう決めてん」
もしユウくんが進路のことで何か人に言えないような悩みを抱えているのなら。私の体験談なんてユウくんには全然関係ない話ではあるんだけど、ちょっとでも何かを決断するきっかけになったらいいかなあ、と思って、自分の気持ちを話してみた。
私は住み慣れたこの街が大好きだし、もちろん離れたくなんてないけど。でもこんな風に思いきれるのも今だけなのかなあって思ったんだよね。
ユウくんは、どこを見てるのか分からない……自分の心の中を見てるのかなあ? ゆっくりと視線を動かしていたけれど、不意に窓の外に目をやった。
「ふーん、でも彩さん、大丈夫なん? そんな頼りないのに東京みたいなわけ分からん大都会で、ほんまにやっていけるん?」
う、それは……確かにそのとおりだけど……
今私たちが住んでいるところは、程よく都会、程よく田舎ですごく過ごしやすいけれど、東京は本当にザ・都会、って感じだもんね……
私はユウくんが視線を移した窓の外を同じように見た。
窓からは学校の中庭が見えた。中央に大きな木があって、木を囲うように丸いベンチが設置されている。
「……この中庭」
私は窓際に移動して、窓に手を当てた。
「一年の時、この窓から中庭見た時にね、わ、中庭って広いんや! って思ってんよね。この二階の窓から見下ろすと、すごい奥行きがあって、めっちゃ広い空間が広がってるように見えた。でも実際に中庭に行ってみると、あれ、こんなに狭かったん? ってびっくりしてんよね」
二階から見た中庭はすごく広く見えたのに。一階におりて、自分で中庭に立つと、そこは驚くほどこじんまりした空間だった。
「もしかしたら世の中ってそういうもんなんかも。東京とかもね、まだ行ったことないから……テレビとか映像で見るだけやと、めっちゃ広くてごちゃごちゃしてて人がいっぱいいて、得体が知れなくて怖いって思うけど、実際に自分の足でその場所に立ったら、意外とこんなもんやったんやーって思うかもしれんよ? だから行ってみな分からんよね!」
私はユウくんを見てニコッと笑った。
ま、現時点では、私が東京に行っても……迷子になって途方に暮れてる姿しか想像できないんだけどさ……今は携帯にGPSもついてるし! 何とかなると思いたい!
ユウくんは一度私をじっと見てから、また進路希望調査票に視線を移した。
「……ま、そしたら俺は彩さんが東京に行ってうまい食いもん見つけて送って来てくれるんを楽しみに待っとるわ」
「ええ? そんなんは……できるか分からんけど……」
ユウくんはまた腕をぐっと伸ばして伸びをした。
「さ、部活行かな」
「そうやね、はよ行かんとカナくんが怒るんちゃうん?」
「別にそんなんかまわん」
ユウくんは何度もぐぐっと伸びをしてから、再び私を見た。
「……そしたら、先輩としてええアドバイスくれた彩さんに、俺の秘密教えたる」
「え、秘密?」
「そうや。これはまだ誰にも言うとらん。カナも知らん。俺だけの秘密や。だから彩さんにも秘密にしてもらわんといかん。当然部長にも絶対言うたらあかんで」
「え……」
そんな重大な秘密!? いやいや、それ、私が聞いていいの!?
私が驚いてひるんでいるのなんて一切かまわず、ユウくんは私に顔を近付けた。そして私の耳元で小さくささやいた。
「俺、ハンドやめるねん」
「えっ?」
聞き間違い……? とっさにそう思って私はぱっとユウくんを見た。
今まで見たことがないくらい近くにユウくんの顔がある。
私が大きく目を見開いてユウくんを見ている、その視線をユウくんは黙って受け止めた。
……聞き間違いとか……冗談じゃ……ない?
「俺、高校卒業したらハンドやめる。ほかにやりたいことあるねん」
そう言った後、ユウくんは少し笑って、人差し指を口に当てた。




