何もない私?・2
翌日の夕方、私は生徒玄関でハンド部の練習が終わるのを待っていた。
下校時刻を過ぎて、ハンド部の部員が次々と生徒玄関にやって来て、そして帰っていく。
でもカナくんもユウくんも晴くんも、まだ姿を現さなかった。
うーん……これはまた、カナくんとユウくんは居残り練習をしていて、戸締りをしないといけない晴くんも遅くなってる、ってパターンなのかなあ……
そう思っていると、まずユウくんが生徒玄関に現れた。
ユウくんは私を見つけて少し首をかしげた。
「彩さん? ここでなにしとん」
「ユウくんや。部活おつかれさま。カナくんと晴くんは?」
「あの二人ならもうすぐ来るけど」
「そっか」
私は持っていた紙袋から、ごそごそと大きな塊を取り出した。
「そしたら、部活終わってお腹空いてるユウくんにこれあげる。昨日のお礼」
「なにそれ?」
「おにぎり! 昨日ユウくんがくれたんよりちっちゃいけど……。でも腹ペコの君たちがちょっとでもお腹おさまるように、具に唐揚げ入れてみた!」
私ははい、とユウくんにおにぎりを渡す。
ユウくんは私が作ったおにぎりをまじまじと見た。
「彩さんの手作り……」
「うん、そうやで」
「ちょっと怖いねんけど。彩さんの菓子作りの恐ろしい才能を目にしてしまった身としては」
「ちょっと!」
確かに私はお菓子作りの才能は致命的にない。岩みたいにかたいクッキーとか、生焼けのパウンドケーキとかいろいろ双子には食べさせちゃったけど……
でも今回のおにぎりは、ごはんとか唐揚げ自体はちゃんとしたものだし、じかに触れないように気を付けて握ったし、大丈夫なはず!
私が頬を膨らませると、ユウくんはおかしそうに笑った。
「ウソウソ。死ぬほど腹減っとったからありがたい」
そう言ってユウくんはおにぎりのラップをはがして、大きな口を開けてふたくちでおにぎりを食べてしまった。
は、はや!
「めっちゃ口おっきいね!」
「そうか? 普通やろ」
ほっぺたを膨らませてもぐもぐ食べながら普通に話しているのにも驚きだ。
そうこうしているうちに晴くんとカナくんもやってきた。
「あ、二人ともおつかれさま! おにぎりあるねん。良かったらどうぞ」
私が二人におにぎりを渡すと、やっぱりカナくんはちょっとひるんだように顔をゆがませた。
「……これ、食中毒とか大丈夫なんか?」
そんなカナくんの頭を晴くんが無言ではたく。カナくんはすぐ背筋を伸ばしてすんません! と大きな声で謝った。
晴くん……いや、カナくんの心配ももっともなので……私には前科があるから……だからあんまりカナくんのこと怒らないで……
晴くんはおにぎりをぱく、とほおばった。
私は晴くんの方をあんまり見ないようにしながら、それでもめちゃくちゃどきどきして晴くんの反応を待った。
「……うん、めっちゃうまいやん。彩はおにぎり作るんが上手なんやな」
晴くんの声に、私はぱっと顔を上げた。
「ほんま?」
「ああ。しかも食いごたえのある唐揚げが中に入っとる。めっちゃ俺らのこと考えて作ってくれたんやなって分かる。めちゃくちゃうまい」
晴くんの言葉を聞いて、カナくんも安心したようにおにぎりをかじった。
「あー、ほんまやん。コンビニのやつとかよりメシがしっかりしとってうまい」
カナくんも大丈夫だった! 良かった。私は胸をなでおろした。
「彩さん、お代わりないん」
ユウくんが言う。
「あ、ごめん、お代わりは……作ってへんくて。今日はそれだけやねん」
「そっかー。まあうまかったで。ごっそさん」
ああ、良かった。三人とも食べてくれて。微妙な顔されなくて!
四人で帰っていたけれど、カナくんとユウくんの二人は私たちの前を歩いていた。二人が私たちの声が聞こえないくらい離れたところで、私は晴くんにこそっと話しかけた。
「……晴くん、あのね、私、またテスト赤点で……晴くんが一生懸命私にも分かるように教えてくれたのに、全然テスト解けへんくて……ごめんね」
晴くんが私の顔を覗き込む。
「なんで彩が謝る? 彩がちゃんとテストで正答できるように教えられへんかった俺があかんのやん。彩は頑張っただけで、なんも謝る必要ないやろ」
……晴くんがそういう風に言ってくれるって分かってた。分かってたけど……
「……ううん、全然理解できへん私が悪いねん。そんで、私ってほんまになんもできへんねんなって落ち込んでて……それで昨日、ちょっとふさぎこんでてん。だから先に帰ってしもてごめんね」
晴くんは何も言わずに私の手をぎゅっと握った。たぶん、晴くんがどれだけそんなことないよ、彩はなんもできんなんてことないよって言ったとしても、私の心は晴れないって……晴くんも分かってるんだと思う。だから、言葉じゃなくて……ただそばにいるって、私の手を握って示してくれたんだと思う。
「カナくんとかユウくんは、勉強が苦手でもハンドがあるやん? 晴くんは勉強も運動もなんでもできる。それやのに私には誇れるようなものがなんもないって苦しかってん。なんで私はこんなになんもできんのやろう、私にいいところなんかあるんかな? って……ぐるぐる考えてた」
学校って残酷だ。成績っていう目に見える形で生徒を振り分ける。勉強も運動も苦手な私は、この学校という枠組みの中では役に立たない落ちこぼれなんだと常に実感させられる。
「周りの人に、私のいいところってなにかある? って聞いても、話してたら楽しいとか、いっつも補習一緒に受けてくれるとか、常にお菓子配り歩いてるとか……そんなんしかなくて。私が人の役に立てたり、なにか突出してできることなんてほんまになんもないんやなって思っててん」
でも、ユウくんがおにぎりをくれて。私一人じゃ食べきれないような大きさの爆弾おにぎり。どうしてユウくんがそれをくれたんだろうって考えてたら……ほんの少し、答えが見えた気がした。
「一人でね、家でよく考えてみてんけど、みんなが私のいいところって言ってくれたこと……突き詰めて考えたら、もしかしたら私、誰かを笑顔にしたり、安心してもらったりできてるんかなって思ってん。そんなん、形に残るもんちゃうし、数字に表れるわけでもないし、ぼんやりした特別なことじゃないんかもしれんけど……。でも話してて楽しいって思ってくれたり、いつも補習で一緒に頭を悩ましてとほほってなってたり、お菓子あげて喜んでもらえてるんやったら……私ができることってそういうことなんかなって思ってん。私、料理も致命的に下手やけど、すでに炊き上がってるごはんと、出来上がってる唐揚げで、食べ応えがあるおにぎり作れたよ。それ食べて、晴くんや、カナくんやユウくんが笑顔になってくれた。それを見れたんがうれしいなって思った。全然勉強も運動もできへんけど、そうやってちょっとでも周りにいる人たちを笑顔にできてるんやったら、それでええんかなって。ちょっとだけ思えてん」
晴くんがつないでいる手を持ち上げて、私の手の甲にキスをした。
晴くんの柔らかな唇の感触にどきっとする。
「それ、俺がまさにいつも思ってることや。彩は周囲の人を笑顔にする。楽しい気持ちにして、幸せを感じさせてくれる。それが彩の一番強い力やと思う。勉強とか……テストとか、数字で測れることなんていくらでもごまかしがきくけれど、そういう人の気持ちを動かすことにごまかしはきかん。彩はそれができる。俺が一番尊敬しとるところや」
「え……」
尊敬、とまで言われてしまうと……え、そこまで!? って思って恥ずかしくなる。
私が無理矢理ここが私の長所ってことにしちゃっていいかな、と思って言ってみたことを、そこまで全肯定されてしまうと……
「なあ、お前ら」
晴くんが前を歩く双子に声をかける。
二人が私たちを振り返った。
「お前ら、彩のおにぎり食って、腹も心も満たされたやろ」
晴くんの言葉に、二人はんー、と首をかしげて考えた。
「まあ……そんな深く考えてへんけど、そう言われてみればそうかもしれんっすね。いつも部活のあとは腹減りすぎて苛ついとるけど、今はそんなことないし」
カナくんがあいまいに答える。
まあそうだよね。部活帰りにどうぞって突然差し出されたおにぎり食べただけで、そんな大げさなこと言われたって返答に困るよね。
ユウくんは両手を頭の後ろで組んだ。
「まー心はそうかもしれんけど、腹はまだ満たされきってないっすね。もっと食いたい」
私はぷっと吹き出した。
そりゃそうだ。ユウくんが作ってた自分用のおにぎり、めちゃくちゃ大きかったものね。私が作ったおにぎりじゃ小さすぎるよねえ。
「あは、そうやね。次作る時はもっとおっきいの作るね」
「俺のは爆弾おにぎりで。いっちゃんでっかいやつ頼む」
「悠太、作ってもらう立場で偉そうなこと言うな」
晴くんがそう言うと、ユウくんは肩をすくめてくるっと私たちに背を向けた。
晴くんが私を見る。その視線を受けて、私も笑顔を返した。
私は……昨日とは打って変わって、すごく満たされた気分だった。
赤点だった事実は消えないし、また補習地獄が始まるのは決定なんだけど……
でも、自分には何もないんだって絶望し続けなくてもいいのかもしれないと思えたから。
形には見えない。数字にも表れない。でもきっと、私にもいいところってあるんだよね?
私のことを好きな晴くんだけが認めるいいところ、じゃなくて……他の人にも同じように思ってもらえてるって、信じていいんだよね?
ほんの小さな自信。ひとかけらの自信だけど、それが心の中に芽生えたことが私はうれしくて仕方なかった。




