悠太の一日・2
今日は学校の外をランニングしていた。
最初彼方とスピードを競っていたが、河川敷で向かいから来た自転車をよけた彼方がそのまま自分の体を止められずに河川敷をゴロゴロ転がり落ちていったので勝負ありだった。
今日は俺の勝ちだ!
いい気分で学校に戻り、到着した人間から順次水分を取ったり少し休憩していいことになった。
最初スポドリを飲んでいたが、腹が減りすぎて耐えられなくなる。もうちょっとこう、飲みごたえのあるものが欲しくなり、俺は自販機に向かった。
すると、自販機の前に妙な人物がいた。
地面にはいつくばっている。はいつくばって、自販機の下を覗き込もうとしている。
「……なにしとん、彩さん」
俺が声をかけると、彩さんは顔を上げて俺を見た。
「あ、ユウくん」
「どうしたん。小銭でも落としたんか?」
変な格好を俺に見られたせいか、彩さんは少し恥ずかしそうに笑った。
「ちゃうねん。ちょっと探し物しとって」
「なに」
「アクキー。友達が落としてしもたみたいでね。めっちゃ大事な宝物らしいから、探すん手伝っててん」
あきれた。またこの人はそういうよく分からん頼まれごとに応えているのか。
「それでなんで自販機の下?」
「んー、茂みとかも探しとってんけどね……確か彼女、お昼にここでジュース買ったって言ってたから。もしかしたらその時落として、誰かが気付かずに蹴っちゃって自販機の下に入り込んじゃったってこともあるんかもって思って」
なるほど。だから彩さんの制服にちょこちょこ草みたいなのがついてるんだな。茂みを探している時についてのか。
まったく、他人の探し物のために自分も汚れて。どれだけこの人は損な性分なんだ。
「だからね……こう、下を覗き込んで、なんか見えへんかなって……」
また彩さんは体をかがめて自販機の下を覗き込もうとした。
でも、さすがに頭が地面につかないように気を遣って、地面に落ちそうになる髪を手で押さえている……が、全然押さえきれずに髪は砂埃まみれの地面についてしまっていた。
「あー彩さん、そんなんあかんあかん。こんくらいせな」
俺は彩さんの横で、べたっと地面に頭をつけて自販機の下を見た。これくらい思い切らないとあんな狭い空間見えんだろ。
俺が迷いなく側頭部を地面につけたので、彩さんは驚いて声を上げた。
「うわ、さすが豪快やねえ!」
俺はちょっといい気分になった。そうだろ、男ならこれくらいためらいなくできないとな!
薄暗い自販機の下を眺めまわすと、地面に何か……落ちているように見える。
「お、なんかあるな」
「ほんま!?」
「ああ。うーん、これ、手え届くか……?」
「待って、それやったらユウくんより私の方が腕細いから届くかも! どの辺?」
彩さんが俺のすぐそばでしゃがんで、自販機の下に手を伸ばす。
あーあ、汚いのに。制服姿の彩さんがそこまで汚れる必要あるか? でも俺の腕の太さじゃ自販機の下の隙間に入っていけないのも確かだった。
彩さんの白い手が汚い地面を探る。
地面の埃っぽい匂いと、彩さんの制服の柔軟剤みたいな甘い匂い。彩さんの髪からもなんかよく分からんがいい匂いがする。いろんな匂いがごちゃ混ぜになって頭がくらくらしてくる。
「もうちょっと右。あー、奥かな。その左の方」
「うーん……あ、もしかしてこれ?」
彩さんの手が自販機の下に落ちている何かに触れ、彩さんはそれを引っ張り出した。
彩さんが手に持っていたのは……少なくともアクキーではなかった。
「……なにこれ?」
「これ、昔コンビニとかでペットボトル買った時についてきたキーホルダーちゃう? なんか見たことある」
「そういえば……そうかも。あー、アクキーやなかったー」
彩さんが悔しそうに空を仰ぐ。
……ま、そりゃそうか。そんな簡単に見つかったりしないか。
二人で自販機の前に座り込む。彩さんは悔しがっていて、俺は彩さんのその姿をぼんやり見ていた。
この人、めっちゃ汚れてるけど、いいのかね。俺は部活の体操着だし、汚れ慣れてるから何とも思わんけど。
ふと、彩さんの髪に草がついているのが見えた。
「彩さん、頭に草ついとる」
俺は手を伸ばしてその草を払おうとする。……が、草は手で払ったくらいでは彩さんの髪から離れていかなかった。
「ええ!? うそ! あー、茂み探しとった時についてしもたんかな……」
彩さんも自分で頭を払おうとするが、まあ見えてないし。仕方ないので俺は草を指でつまんで除けようとした。
「ちょっとじっとして」
「いたた! ユウくん、髪の毛数本だけ引っ張られるん痛いから!」
「いやだって草が細いから。草だけつままれへん」
彩さんの髪が恐ろしく柔らかくて驚く。草だけつまもうとしているのに、彩さんの髪が柔らかすぎて、いつの間にか髪もつまんでしまっていたことに気付かない。
できるだけ強く引っ張らないように細心の注意を払いながら、何とか草を取り去ることができた。
「はー、なんかボロボロになってもた……」
彩さんが笑いながら言う。ボロボロ、って言ってる割には全然不満そうに見えない。
「あ、ほら、ユウくんの頭も砂ついてる。さっき地面に頭つけて探してくれたから」
彩さんが俺の頭に手を伸ばす。俺の頭をそっとなでるように砂を払ってくれる。
そんな風に頭に触られたことなんかない。だからむずがゆくて仕方なかった。
……いや、こんな優しい手つきで払われたって、砂もどっかに行ったりしないだろ。
俺は思いっきり頭をぶんぶん、と横に振った。
「わ、びっくりした」
「こんなもん適当に頭振ってりゃそのうち落ちるし」
「ええー? そう?」
彩さんが首をかしげながら笑っていると、彩さんの制服のポケットに入っている携帯がぶるぶる、と震えた。
「あれ? なんやろ。友達かな……」
彩さんは携帯を取り出して画面を見た。そして大きく目を見開いた。
「アクキー見つかったって! 良かった!」
「そうなん? そしたら俺ら汚れ損やん」
「まあええやん。ユウくんもありがとね。巻きこんじゃってごめんね」
そう言って彩さんはまたポケットに手を突っ込み、昼にくれたのと同じマシュマロを取り出した。
「これ、一個残ってたのあげる。感謝のしるしね」
チョコマシュマロか……ぜんっぜん食った気しないやつ。
でももちろん食いもんをもらうのに文句を言う俺ではない。
「あ、でも部活中にお菓子なんて、ばれたら怒られる?」
「いや」
俺はすぐにマシュマロの袋を破って口に入れた。
昼間食った時と同じだ。マシュマロはすぐに口の中で溶けてしまう。マシュマロの中に入っていたチョコだけがほんの少し口の中に残るけれど、一瞬でなくなってしまった。
それでもなぜか満足感があった。動いた後だからかもしれない。
「そしたら、ゴミは私が捨てといたげるよ。証拠隠滅ね」
彩さんが俺の手からマシュマロが入っていた袋を受け取ろうとする。が、俺はそのゴミを手で握りしめた。
「別にええよ、これくらい。こんな小さい菓子の袋ひとつあったって、なんもばれたりせんし」
俺は立ち上がった。
さ、練習に戻らないと。ちょっと休憩が長すぎだったかもしれない。
「あ……そっか。ユウくん、もしかして自販機に用あった? なんか買いに来てたん?」
そういえばそうだった。腹が減りすぎていたから、飲みごたえがありそうなものを買いたかったんだ。
確かに腹は減っている。めっちゃぺこぺこだ。今すぐ何でもいいから腹に入れたい。
でも。
「買おうかと思ったけど、今はええわ。もう練習戻らんとあかんし。マシュマロもらったしな」
「ほんま? 喉渇いてへん? 私、お礼になんか買おうか?」
「別にええよ。むしろ彩さんが頑張って探した褒美に自分になんか買ったったら」
俺の言葉を聞いて、彩さんはきょとんとしたように俺を見た。それから楽しそうに笑った。
「あは、ええね、それ。そうやねえ、私もこんな草とか砂まみれになって頑張ったもんね! ご褒美あってもええかも」
「そういうこと」
「ありがと、ユウくん。練習頑張ってね!」
俺に向かって笑顔で手を振る彩さんに、俺も手を上げて返して体育館に向かって走り出した。
やば、何か今俺、めっちゃ元気かも。
腹が減っている? それがどうした? 腹が減っていたって俺は動ける。今から二十四時間だって練習できそうだ。
体育館に駆け込むと、ちょうど中の練習が始まるところだった。
駆け込んだ俺を見た同級生が、お前何しとってん、と言いながら近付いてくる。
「それでお前、ユアちゃんのことやけど」
「あ? まだその話か?」
「まだって、お前返事してへんのやろ」
「そうやけど。練習終わったらするって」
ユアちゃん? ミアちゃん? モアちゃん? 聞いた直後なのにもう忘れた。
悪いけど部活が忙しいから会うのは無理だとか適当に返しておこう。
もちろん女子といろいろしたいとかそういう欲求はないわけじゃないけど。
でも今は、部長がいない時のあの人をよく見て助けてやらないといけないからな。
すぐに損するようなことばかりに手を出してしまう、そして自分でそれに気付いていない不器用な人。
でも傷ついても、ボロボロになっても、あの人は笑ってるんだ。
あんな弱そうな女子がそうしているのに、俺が傷ついたとかボロボロになったとか言ってふてくされてる場合じゃないし。
だから俺は腹が減っていてもいなくても、あの人に腹減った、と言って近付いて、こっそり助けるんだ。
どうせそんなことしていられるのも期間限定だし。……そう、少なくともあの人が俺の目の前にいる限りは。あの人がこの学校にいる限りは。
あの人が卒業してしまうまでは。




